おはよう

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自分の名前って、子どもの頃は嫌いだけど大きくなるに従って

好きになる人もいれば、子どもの頃から嫌いだという人も

いますね。

わたしも まさよという名前は大人になっても嫌いでした。

昔 浅田美代子ちゃんという可愛らしいアイドルがいて

その容姿も名前も可愛いと思った事がありました。

同じクラスにも美代子ちゃんという子がいて、やっぱり可愛くて

みよこ という名前に一時憧れた時がありました。


子どもの頃「ロンパールーム」という子ども番組がありました

その中でみどり先生が 「鏡よ鏡、鏡さん。みんなに会わせて

くださいな、そ~っと会わせてくださいな 」って言った後で、

〇〇ちゃん、〇〇君と 子どもの名前を呼びかけるコーナーが

ありました。

いつか自分の名前も呼ばれるかも知れないと、テレビの前で

緊張しながら期待して待っているのですが、毎回呼ばれた

事がなくて、ようこちゃんとか まちこちゃんとか 何度も呼ばれる

子がいるのに、まさよは 何で呼ばれないのだろうか?と 

子どもながらも、複雑な思いがありました。

それでもいつか 自分の名前が呼ばれるかもしれないという 

期待と どうせわたしの名前なんて呼ばれないやという

諦めと捻くれた気持ちがあって、それでもテレビの前に座っては

期待しているわたしがいてね。

そうしているうちに 自分が大きくなって魔法の鏡というのが嘘だと

気付いたのが先だったのか、番組が終わってしまったのが先だった

のかは覚えてはいませんが、どうぜ自分に、特別な事を期待したら

ダメなのだと 子ども心にも悟ったように思いました。

学校の先生を見ていると、明らかにひいきしている子と

そうでない子がいて、わたしはどうやっても ひいきを受ける子

ではなくて、むしろ嫌われている子だったので、それもあって

自分の名前は、嫌で嫌で仕方なかったように思います。

自分の名前がやっと好きになったのは、光にあってからで

本当は、名前が嫌いなのではなくて自分自身が嫌いだった

のだって気付いたのは、その後の事でした。

でも、ダチョウ倶楽部のコントのように、名前すらチーム不思議な

存在と事前に決めていたこと、既に決まっていた事を知ったとき

なんだか こんな名前でもこんな自分でも愛おしく思いました。

むしろ なんて勇気があるのだろうかと、誇らしく思いました。

子どもの名前は親が一生懸命に考えて 子どもの幸せを願って

付けますね。 辞書みたり字画をみたりしてね、あーでもない

こーでもないってね。

でもね、既に決まった名前を持って生まれてくる子どもに

付けらせられているのです。

それは、ペットの名前も同じで、面白いことにぴったりの

名前を付けるのです。

その子に名前が似合ってくるのではなくて、すでのこの世に存在する

前に決めているので、名前にその子が合って来るのです。

それを不思議な皆さんに教えてもらってから、「名は体をあらわす」

のことわざは、まさにだなぁって思ったりするのです。

そう思うと あなたが考えて付けたと思っても付けられられたの

だなぁって思います。






今日の仙台は少し寒いです。

水色の空が 今日は遠くに見えるように思いました。

鏡よ鏡、鏡さん

まさよの今日も 良い日に致します。

〇〇ちゃんの今日も 〇〇君の今日も どうぞ良い日にされて

下さいませ。

〇〇ちゃん 〇〇君行ってらっしゃい。

まさよも行ってきます。

沢山の感謝でありがとう。