バブル時代に学生生活を送った僕は、その感覚がいまだに抜けず、鮨・鰻・天麩羅・フレンチを食の四天王と称して基本的にローテの中心に据えているということを、以前書きました。鮨と鰻に関しては、先日の博多で食べおさめをしました。天麩羅はやはりゴマ油で揚げた。「金ぷら」と呼ばれるような江戸前が好きなので、東京でなければなりません。それも近年では「なかがわ」さんと決めているので、先日、多忙の合間を縫って、築地まで足を運び、無事食べおさめをしました。4人で伺ったのですが、そのうちの一人は、


「懐石みたいにいろいろなものが出てくる方がいい」


 とおっしゃっていたのを、


「天麩羅がいろいろ出ますよ」


 というセリフの、「天麩羅が」というところをあえて言わないで、いわばだまし討ちのような形で連れて行ったのです。その方は脂っこいものは苦手だから3、4個しか食べられないともおっしゃっていました。


 いつものように、海老、海老のかしら、烏賊、キス、はぜ、めごち、アナゴなど。珍しいところでは白子があって、締めのかき揚げの小柱は「大星」と呼ばれる極上のもの。噛むと、じゅわっと来るんですよ。そしてアナゴは、今や日本一といっても問題はないんじゃないでしょうかね。よくもまあ、いつもあれだけ肉厚の良い品を仕入れてくるものだと感心します。もちろん、そういう素材を生かす腕もあるわけですしね。そんなわけでこれ以上ない満足感のうちに、天ぷらの食べおさめが終わりました。


 3、4個しか食べられないとおっしゃっていたくだんの方も、締めの天茶までぺろりと平らげ、


「天麩羅って油っこいとばかり思っていたんですが、違うんですね」


 とのこと。こちらも満足いただけたようです。


「こちらのお店は、何年になりましたっけ?」

「9年ですね」

「僕も随分長くなりましたよね」

「そうですね、26年くらいですかね」

「えっ?」


 26年前、僕はまだ学生でした。それでも年に何度かは、茅場町の名店「みかわ」に伺っていました。彼はそこでずっと修業を積んで、その後独立されたのです。


「林さんは、大体月一くらいでいらしてましたよね」


 学生時代から今に至るまで、もちろん波はありますが、平均すれば少なく見積もっても、年に10回は天麩羅屋さんを訪れたかと思います。なにしろ「四天王」ですから。(笑) 「近藤」さん、「楽亭」さん等には何度か伺いましたが、値段がリーズナブルなこともあって(やっぱり「H」さんなどは、お高いですからねえ)、一番多かったのは「みかわ」さん。そして今では、「なかがわ」さん(のみ)。(僕は「揚げ手」が複数いるお店には基本的に行きません。天麩羅は実に高い技術を要する料理だと思っており、そんな「名人」が何人も一つのお店にいる確率は、あまりにも低いからです。) そんな僕を、彼は学生時代からずっと見ていてくれたのです。(それにしても、10×26=260とは、結構な回数ですな。)

 

 そんなくだらない計算はどうでもよいことです。この店に伺うたびに僕が痛感するのは、自分が生涯の仕事と決めたものに、ただひたすら誠実に正面から向き合うこと、そのことの尊さと大切さです。天麩羅は秒で決まるようなデリケートな食べ物ですから、正直に言って、独立されたばかりのころは、たまに?と思うようなときもありました。しかし、いまや、口に入れれば、思わず微笑が漏れてしまいます。一つの仕事に打ち込むこと、それを何年も続けること、このことの持つ迫力はどんな人でも黙らせてしまうということなのかもしれません。



 しかし、26年とは、決して短くない時間です。彼がこんなふうにまっすぐに、誠実な仕事を続けているだけに、僕の方がふざけたことや人として間違ったことをしていたら、この店の敷居をまたぐことはできないな、そう思いました。


添え木…


 その時浮かんだ言葉です。植物がまっすぐ伸びるように支える、あの添え木です。一人の人間が真面目に生きることは、他の人の「添え木」の役を果たすのではないだろうか、そんなことを考えていたのです。僕が彼の仕事を見て真面目に生きていかねばと思い、万が一にも僕が伺ったときに、彼がよし、一丁やるかと思ってくれるならば(そこはわかりませんが)、お互いが「添え木」になっているということです。そんな関係を何人もの人と築いていくことは、人生の意味そのものであるといったら、大げさでしょうか。


 とりあえずの目標は30年。4年後に「もう30年かあ、お互い年を取るはずだよね」と笑って言えるようにしたいものです。そのためになすべきことははっきりしています。


 小まめに油をかえながら、真剣にタネを揚げ続ける彼のお店は、お客さんが入れ替わりながらも、ずっと満席でした。僕自身、先日、スタッフに食べさせてやろうと電話をしたら、断られたばかりです。当日はほぼムリになってしまったのは残念ですが、これは喜ばしいことでもありますから、仕方ありません。


 そういうわけで、おなかも、気持ちも豊かに満たされて、銀座へと続く道をゆっくり歩いていったのです。


 途中のコンビニで、最近気に入っている、「イリー」のエスプレッソを買いました。天麩羅の後は、できるだけ濃いブラックコーヒーを。これまた、たぶん26年以上続いている習慣です。