国民が政治に不満を抱くことはさして珍しいことではなく、僕自身も、いったい何をやっているんだ、と思うこともしばしばですが、そのなかでも押さえがたいもどかしさを抱き続けているのが、復興策についてです。


 あれから2年。毎日大量の汚染水を出し続ける旧原発の廃炉までは何十年も必要であり、その汚染水を貯めておく施設も、近く限界を迎えるとのこと。また、いまだ仮設住宅で暮らす人も数多くいらっしゃいます。全ての問題の解決が不可能であるにしても、あまりにも遅い、なぜもっとスピーディーに対応できないのだろうかという思いは消えません。


 僕がこの2年間で送った額など知れていますが、それでもかなりの義援金が集まったはずなのに、必要な場所にちゃんと届いていないような気配が感じられるのも、いら立ちを増す原因となっています。


 そんななか、岩手、宮城、福島三知事のコメントを読みました。岩手の達増知事は、「人口流出に歯止めがかかった」とおっしゃっています。一方で、福島では除染の遅れ、15万人以上の県民が帰還していない状況だそうです。様々なデータを見ても、「復興格差」などという嫌な言葉の、現実味を痛感するばかりです。




 そんな思いを抱える日々のなかで、昨日は、東大の合格発表が行われました。そして、東進の合格祝賀会には何百人もの新東大生が参加してくれました。僕は、本当は彼らにこう言おうと思っていたんです。


「皆さんにとって、今日の3月10日が大切な日であることはわかります。しかし、明日の3月11日もまた、忘れてはならない日であることを認識していますか? 今、喜びの頂点にある君たちが、東大に受かるような頭をもっている君たちが、自分が被災地に対してできることは何かと考えて、それを誠実に遂行してください」

 

 と。全員にボランティアに行け、と言っているわけでも、もらったお祝いを寄付しろと言っているわけでもありません。各自のやり方でいいのです。それを考えて実行してほしい、必ず何かできることがあるはずですから。


 しかし実際には、諸事情により、僕はすぐに会場を離れなければならず、結局、この言葉を彼らに伝えることができませんでした。だから、この場を借りて、たとえ一人にでもいいから、この言葉を伝えたいと思うのです。


 最近、特に忙しさを増して、一日の休みもないなかで、僕にできることは黙って寄付を続けることをはじめ、実にわずかです。そんなんじゃあ甘いという非難もあることも重々承知しています。しかし、できる範囲でやっていかないと、継続できないのもまた事実です。


 その寄付についても、本当にちゃんと届いているのか? という疑念の消えないなか、最近「募米運動」というのがあるのを知りました。こちらの方が直接的な効果があるのかな、という思いもあるので、近く参加してみようと思っています。


 また、僕がささやかながら応援し続けている、ホームレス支援をしていらっしゃる方から、こんな話も聞いたことがあります。


「復興支援はもちろん大切なことです。ただ、皆さんの意識がそちらに向かってしまって、ただでさえ不十分な支援が、ますます厳しくなっています。しかし、こちらに回してほしいとも言えませんから。」


 やらねばならないことを数多くあり、同時に、一人一人がやれることもたくさんある、ということだと思います。あとは、それをやるかどうかです。


 今日、3月11日はそのことを、一人一人が深く心に刻みつけるべき日ではないでしょうか?