先日、ある人と話していたら、
「こういう状況ですから、今は辛くても先憂後楽でがんばりますよ」
と。
?????
「どういう意味ですか?」
と問いかけると、
「今は辛くてもそれに耐えて、後から楽しもう、と」
「いや、先憂後楽はそういう意味の言葉ではありませんよ」
「えっ? なら、どういう意味なんですか?」
それで説明したのですが、もしかしたら彼同様の誤解をしている人が案外多いのかな?とも思ったので、ちょっとブログにも書いておきます。
先憂後楽
広辞苑には、「天下の安危について真っ先に憂え楽しむのは人より後にすること、政治家の心構えを説いた話」とあります。この言葉は、北宋の范仲淹の著した『岳陽楼記』が出典であり、故松下幸之助氏も、常々口にされていたという話も聞いたことがあります。今こそ、政治に関わる方々には、この「先憂後楽」の精神で頑張っていただきたい、と思うのは僕だけでしょうか。
東京では、今日から休業要請が発効します。ただ、それ以前から全ての人々が、自粛を余儀なくされ、鬱々とした日を過ごしている人も少なくないでしょう。思い浮かぶ言葉はやはり、
臥薪嘗胆
です。この言葉の意味は、広辞苑では「仇をはらそうと長い間苦心、苦労を重ねること。転じて、将来の成功を期して長い間辛苦艱難すること」とあります。この言葉の成立事情は、複雑なので省略しますが、「臥薪嘗胆」という形で使われているのが確認されるのは、宋代の蘇軾の詩においてのようです。日本では、日清戦争後に結ばれた下関条約に対しての、露・仏・独による、いわゆる三国干渉に反発して、国民の間に広く浸透したと言われています。
ウィルスに対して復讐は不可能でしょうが(したところで無意味)、転じて以下の「将来の成功を期して長い間辛苦艱難すること」という内容は、現況にもあてはまるでしょう。先に書いた、「先憂後楽」をわかりやすいかたちで示してもらえれば、国民も「そうか俺たちも、臥薪嘗胆で」と素直に思えるのではないでしょうか。
いろいろ書いてきましたが、現況に目を向けて、ふと思い浮かんだのが、
苛政猛虎
という、『礼記』に出典を持つ言葉です。意味はお調べください。少し強すぎる表現かな?
それでも、いつか、世を見てふと思いつく言葉が、
鼓腹撃壌
になることを願っています。辞書には、人びとが平和で安らかな暮らしを送る様子、といった意味が載っています。明らかに、今の日本と反する状況ですが、その出典を確かめると、一層感慨深いものがあります。
この言葉は、『十八史略』の聖天子・堯(堯舜の堯です)の治世に関する話に由来します。原典を見ていただくのが一番よいのですが(口語訳でも構いません)、要は、素晴らしい為政者が支配する世の中では、人びとがその支配を全く意識することなく幸せな暮らしを送ることができるという意味です。
今日ご紹介した言葉は全て、長い年月を超えて受け継がれてきたものばかりです。単なる知識としてではなく、その言葉に秘められた精神をよく理解して、特にその立場にある方々が、鋭意頑張ってくださるよう願ってやみません。