こんにちは、株式会社アイビア代表の杉浦です。

以前、フェイスブックに書いたのですが、その時の記事をブログでシェアします。

長文になるので、お時間のある人だけお読みください。

僕の人生を変えたターニングポイントのお話しです。






今日は僕の人生を変えた人の話しをします。

この話しは、一人の知人がどうしても聞きたいと言われたので書きます。

あなたは人生を変える出会いをした事がありますか?


僕はこの3年間の中で、多くの人と出会いました。

今日はその中で、僕を大きく変えた1人をご紹介します。



今まで40年生きて来て、こんな出会いは、はじめてです。

長くなるので、興味のない人は飛ばして下さい。



2009年の春。

息子が大好きな僕のカルボナーラを食べて死にそうになりました。

アレルギーのおこすアナフィラキシーショックというものです。

3歳の息子が食事中にフォークを落とし、振り返ると顔は真っ赤で呼吸も乱れ震えていました。

僕は、息子を抱きかかえ無我夢中で病院へ走りました。

いまだに、どうやって病院まで行ったのかさえ覚えていません。



息子は卵、牛乳のアレルギーでした。

しかも、ちゃんと調べたら、それ以外にも沢山のアレルギー反応が出ました。



それからと言うもの、息子の食べるものはほとんど無くなりました。

食品の裏をよく見ると、ほとんど卵と乳製品が使われています。

当然お菓子も全滅。

幼稚園では、給食のプリンを自分だけ食べられないとよく泣いて帰って来ました。



僕自身が卵アレルギーだった為、完全なる遺伝です。

正直、責任を感じ、息子に対して申し訳ない気持ちでいっぱいでした。



息子が大好きだったアイスクリームも食べられません。

そして氷をなめる息子を見て、彼が食べられるアイスを作ろうと決意しました。

それからしばらくして、豆腐を使ったアイスが完成。

豆乳なら飲めたので、このアイスは息子にとって最高のデザートになりました。



2009年9月。

僕は、このアイスをアレルギーに悩む子供達に食べてもらいたいと、思いきって起業したのです。

起業したものの、店舗を作るお金などなかったので、ネットショップを立ち上げをしました。

しかも、この時の僕のネットスキルはメールをするだけと言うお粗末なもの。



僕はすぐに本屋でホームページの作り方、ネットショップの作り方など、数冊を購入してきました。

苦しい事に、僕はいまだにカナ入力をしています。

ホームページは全て英語。

僕はキーボードのローマ字の場所が分かりません。

まさに人差し指1本でのホームページ作りが始まったのです。



9月に起業した会社。

ネットショップが完成したのが翌年の7月。

この間10ヶ月無収入。

その頃の僕は貯金は無くなり、借金まで抱えていました。

息子を遊びに連れて行く事も出来ず、毎日、朝から晩までパソコンの前に座る日々。

僕はなんのために起業したのか・・・

自問自答する日々でした。



一年間外食0回。

他人との交流0回。

旅行、行楽地、当然0回。

悲惨な状態でした。



それでも、ネットショップが完成した翌月に、はじめて1セットのアイスが売れました。

3500円の売り上げ。

その注文メールを見た時、自然に涙があふれました。



しかし、起業して1年目の売り上げはこの3500円だけ。

仕入れが発生するので、利益は600円ほどなのです。

1年間こんなにがんばってきたのに600円の利益。

ここからだ!

前向きにがんばろう!



そう思っていた矢先、息子が原因不明の病気になりました。

熱は40度から43度を行ったり来たり。

最初はただの風邪だと思い、病院へ連れて行きました。

どこの病院でも、明日には良くなると言われ点滴をして帰って来ました。

しかし、次の日も、その次の日も全く変化はありません。



僕達夫婦は、頼むから入院をしてちゃんと検査をしてくれ!と医者を怒鳴りつけました。

子供の異変は親が一番よく分かります。

そして初日に入院した病院から原因がわからないと連絡があり、大手の病院を紹介されたのです。

原因がわからないってなんだよ!!



入院した次の病院でも原因がわかりませんでした。

息子は毎日40度以上の熱を出し、白目をむいてゼェゼェと息をしているだけでした。

何本も点滴を刺され、身動きが取れないようにベッドにくくりつけられているのです。

そして名前を呼んでも、目がこちらに動くだけの状態が続きました。



僕ははじめて息子の死を意識し、病院で付き添いをする嫁や息子の着替えを洗濯する日々でした。

この時、車の中で親父に電話をして泣き崩れ弱音を吐きました。



息子がやばいかもしれん。

どうすれば代わってやれるんだ!

どうすれば、またうるさく騒いでくれるんだ!

親父・・・死んだらどしょう・・・



言葉にならない声で、何度も何度も親父に叫びました。

聞いている親父もきっと苦しかったと思います。



仕事は軌道にのらず、借金まで抱え、息子は瀕死の状態。

病院にいる時も怖いお兄さんから何度も電話がかかってきます。



その日の夜。

パソコンに届いた1通のメルマガ。

そのメルマガには、何故か激励と励ましの言葉が詰まっていたのです。



僕はメルマガを読んで号泣し、発行者にメールをしました。

息子が今、こんな状態で落ち込んでいました。

あなたのメルマガに勇気をもらいました。

ありがとう。と・・・



名前もよく知らない、顔も知らない、どこで何をしている人かも知らない。

知人にすすめられ、数か月前から読んでいたメルマガです。



その5分後。

メルマガの発行者からこんなメールが届きました。



僕はあなたの事は知らない、あなたも僕の事は知らない。

でも、僕のメルマガを読んでくれていると言う事は、少しは僕の事を知っているはずです。

僕の事を信用してくれるなら、病院を教えて下さい!

と・・・・



日々の疲れと、息子の死を覚悟していた僕は、お見舞いカードの1枚でも送ってくれるかと思い病院を教えました。

次の日。

昨日のメルマガ発行者の方が、大きな花束を持ってお見舞いに来てくれたのです。

本当にビックリしました。



僕は家で洗濯物をたたみ、病院へいく準備をしている所でした。

そんな時に嫁さんからの怒りの電話!



突然、あなたの友達が来たわよ!

私はパジャマでスッピンだし、来るなら来るって教えておいて!



僕は何の事か分からず、茫然としました。

名前も聞いても思い出せないのです。

そんな人知らないし・・・・



その人が昨日、一度だけメールをやり取りした人だと気づくまで時間がかかりました。

だってありえないでしょ。

顔も知らないのに。

名前もうろ覚えなのに。

常識では考えられないわけです。



後に彼は、こう言っています。

常識どおりやって成功するなら、日本人は皆成功者だ!

成功している人は常識じゃない事をやっている!

と。



今でも、この時の感謝の気持ちは忘れません。

彼がお見舞いに来てくれた翌日、息子の病名がわかり、使える薬がわかりました。

そして息子はみるみるよくなり、数日後に無事退院したのです。



退院後。

僕は彼にお礼を言いたくて、彼の会社を訪ねました。

忙しい彼は30分だけ時間を作ってくれました。

正直僕は、彼にお礼を言い会社を止めるつもりでした。



しかし、彼の口から出た言葉は衝撃でした。

『アメブロがんばったら成功するから!』



後で知った事ですが、彼はその時アメブロのカリスマブロガー!

多い時は1日50万アクセス!

ヤフーのトップページに直リンクされるほどの人気ブロガーだったのです。



彼は、会社でアメブロのセミナー(勉強会)をしているから一度おいでと僕を誘ってくれました。

僕は、これが最後のお付き合いだと思ってセミナーに参加したのです。

セミナーでは目からウロコの情報満載でした。

僕は、金脈を発見した気持ちで意気揚々と、自宅へ帰ったのです。



自宅のリビングでは通帳と離婚届けを出している嫁さんがいました。

そして一言。

『あと3ヶ月で、この家に住めなくなるよ』



金脈を発見した僕への最後通告。

タイムリミットはあと3ヶ月。

この後、嫁さんに言った一言で大ゲンカになったのです!



『3ヶ月間アメブロやっていい?』



今思ったら嫁さんが正しいですよね(笑)

借金して、バイトでもしなきゃいけない時に、ブログやるって言われたのですから。

嫁さんは3ヶ月後に離婚を決意していたようです。



僕は、絶対になんとかなると信じて、アメブロを続けました。

この3ヶ月、布団で寝た記憶はありません。

死ぬ気でやる。

簡単な言葉ですが、僕は過去にここまで死ぬ気でがんばった事は無かったかもしれない。

1日20時間はブログをしていました。



タイムリミットの3ヶ月後。

1年で3500円しか売れなかったアイスが、200倍以上の売り上げとなりました。

会社は倒産の危機をまぬがれたのです。



そして、このノウハウを多くの人に知ってもらい、僕と同じように苦しんでいる会社を助けたい。

その思いから、僕のコンサル業がスタートしました。



後に彼は笑いながらこんな事を言いました。

あの日は別の用事があったから、ついでに病院に行ったんだよね!

ついでと言うけど方向は逆です(笑)

どこまでが本意なのかいまだ読めない人です。



先日、彼と初めて2人で食事をしました。

出会ってから、ちょうど2年。

あの時の事、そして今がある事。

その感謝の気持ちを全て話しました。



まだまだ、彼の足もとにも及ばない。

彼ほど非常識な事をやれない。

でも彼の行動が僕の人生を変えた事は間違いない。



人生を変える出会いなんてそうそう無い。

だからこそ自分もそんな男になりたいと思う。

あなたのお蔭で人生が変わった。

そう言われるような男に。



1年半でコンサルしてきたブログは500件を超えました。

そして、多くのブロガーさんが結果を出してきました。

こんな事が出来る様になったのも全て彼と出会ったから。



彼の名前は 只石昌幸。

日本一赤色が似合う熱い男。

只石さん ありがとうございます。

心から感謝しています。






最後に。

この写真は先日、彼のセミナーにゲストとして登壇した時のもの。

自分の命の恩人と同じステージに立てるなんて想像もしていなかった。

でも、いつか彼と同じ舞台に立ちたいと思っていた夢が1つ叶った瞬間だった。

でも、死ぬほど緊張した僕は、いまだに何を話したかも覚えていないんです。

まだまだですね(笑)

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