昭和55年11月、12年間勤務したナカイ運輸商会を退職し、いつの日か人に使われるのではなく、自分だけでやりたい子供の頃からの思いの社長が、こんなに簡単になれるとは。

きっかけは少年野球でした。
どうしても優勝できない万年準優勝チーム(3年間)、ある日の練習の合間に誰だか思い出せないのだが、
もっと練習しなければ優勝できないよ。レッドスターは、(当時、築地に勤務の池田さん監督)夕方の練習をしているよ。監督、俺たちもやろうよ
だって俺は仕事があるから無理だよ」
間一髪、「だったら辞めれば?」
いとも簡単に私の独立を決めてくれました(30歳)。

子供の頃からの、いつの日か社長の夢は、こんなにも簡単になれました。
会社名は設立にあたり場所を提供していた石原さん(少年野球で出会った)の名前を借りて、有限会社イシハラ企画。そのまま使用させていただきました。
ナカムラ企画より裕次郎のようで、かっこいいの単純な発想でした。

主に手仕事で封入や乾電池のパック等でした。

会社のモットーは、どんなことがあっても、
“必ず納期前日までに仕上げること!”
ある日、市役所体育課係長の根本さんより電話があり、市内にはグランド管理会社がないため、体育館の完成間もない野球場の管理についての相談がありました。
当時の少年野球場と比較しても、劣るグランドでしたのでなんとかならないかとの相談でした。
実は、以前、私が少年野球監督で我孫子市の会長として県所有の土地に少年野球場を造り、利用していました。
そこに来賓として市長、教育長と担当課が来場した際に、いつも良い状態とグランドを褒めて頂いていました。

 

それ以来、遊びの少年野球から仕事として受けることになり、思いを込めて好きな仕事として取り組んでいるうち、創立当時の業務との両立をやめ、屋外施設管理会社として改めて設立し、現在にいたっています。

 
*追伸 私が作った少年野球場は、現在、県の運動施設になり、県の施設一覧にも載っています。