バブルの弾ける数年前”(23~25年前)利根川河川敷に於いて、私は委託にて管理している野球場4面(6万㎡)の現場の下見にバイクで出かけていた時の事、散らかっていたゴミを拾っていた。


そこに、若い夫婦が乳母車を押してやってきた乳母車から1歳ぐらいの赤ちゃんを抱き上げ備え付けてあるベンチで若いママがオムツの交換を始めた、微笑ましい光景に羨んだところ、大きな声でパパ”又”お漏らしてるよ‼どうしてなの‼何度言えばいいの”怒り心頭”まん丸顔の赤ちゃんは何で怒ってるの?何でオムツに出してはいけないの?と何とも言えない顔をして、うっすらと笑っていた

瞬間パアッシーンと”おしりを叩き取り替えたオムツを備え付けのゴミ箱に投げ入れた、泣き叫ぶ赤ちゃん”一緒に怒っている若いパパ、

オムツの交換が終わりまだ泣いている赤ちゃんを乳母車に乗せ、歩き出した。

全てを見ていた私は、オムツは持って帰ってくださいねと、優しく?注意したらゴミ箱に捨てたらダメだって、パパ持ってきてと歩き出した、若いママ、ゴミ箱から拾い上げた紙オムツを手に3人の若い家族は、ひばりのさえずる春の河川敷を歩いて行った。

ゴミ箱の横の看板にはゴミは持ち帰ろうと書いてある?だったらゴミ箱は要らないのでは役所に矛盾を説明してこの日を境に河川敷からゴミ箱が撤去された。


過去の経験からしてこのような態度の人は大方が持ち帰らず途中にて投げ捨てる、案の定帰りの道すがらに捨ててあった。


私は捨てた行為よりも、怒られて叩かれる寸前まで、微笑んでいた赤ちゃんの顔が気になって

仕方なかった、何故怒られなければいけないの、どうして使い捨てのオムツに出して叱られるのと言いたげな矛盾に満ちた顔に見えてならなかった怒られるなら、ちっとも便利じゃナイジャンと言ってるようだった。


もしも、私達が充てていた当時50年❓前の布製のおむつなら持ち帰り、おそらくは母が手洗いして汚れ具合等では体調の良し悪しすらも感じ取っていたであろうと想った。

便利を追及するが故に何かを置き去りにして来た時代、20数年前に河川敷で見かけた若い夫婦は


そして怒られる意味すら解らず、紙オムツを充てられて乳母車に乗ってた赤ちゃんは今頃25~26歳になったであろう、通勤電車でスマホ片手にヘッドホンを付けて、突然携帯が鳴って話だし、周りの視線に何で、かかってきたのに話しちゃいけないんだよの顔をする、

注意しようものなら、うるさいなーと言われてしまう、それでも正義感を持って止めなさいと注意しら、


報道で今日、電車の中で携帯の会話を注意さして刃物で刺されて死亡した事件として軽く流されるかも?


戦後の便利と言う言葉に惑わされ謳歌してきた時代”ともするとバブル崩壊したとマスコミで耳にタコができるほど聞かされてきたがバブルは何故どうして始まったかを報道した局は今だ無い❓。


*続く