タイトルの国策に揺れる町の真実のタイトルの冊子が手に入った。
「上関原子力立地30年の歩み」
のサブタイトルで書かれている。
読み始めて57頁に、『愛郷一心会』
現在の祝島島民の会で
初代会長金田敏夫氏のコメントに目が止まる。
書き出しに結論から言えば、面子をつぶされたことに反発して、反対運動を始めた。
「安全か安全でないか、必要か必要でないかも分からなかった」
島民の9割が組織に加入し、
「ワシの言うことをみんなが聞いてくれて、今もって不思議なぐらい、強引に島民を巻き込んだことに今は責任を感じる」
著者 山口敏昭 インタビューから半年後に亡くなったと書かれている。
読み終えて何とも祝島らしいと何故か感じた。泥船には乗らない風習 余計な事を言うなよ
子供のころ祝島でよく耳にしたことを思い出す。
2代目、山戸貞夫、3代目現在の清水と受け継がれている。
金田氏は辞任後は批判を浴びた人生だと聞いた。何故か2代目山戸氏についても現在の清水とは相反するものがあると耳にした。
残念だが現在も村八分運動は受け継がれているのは帰郷の際に実感する。
権力から外れると如何なる権力者も批判にさらされるのは世の常である。