今日5月9日は母の日赤薔薇


私もティーンの娘2人の母で、毎年長女がくれる手作りのカードやマシュマロのような次女の盛大なハグ(?)を楽しむ。旦那は今年もみんなで何を食べようか迷っているようだ。


そして毎年この日は亡き母を想う。


母は9年前の桜の季節に、マレーシアにいる私たちを待たずに旅立ってしまった。孫娘たちにどんなに会いたかっただろうと思うと胸が苦しくなる。


知らせを受けて、2日も経たないうちにひとりで日本に帰った。まだ小さかった娘たちをマレーシア人の旦那に託して…


今でも空港での待ち時間に感じた例えようのない辛い痛い気持ちを覚えている。日常の風景の中にいる自分以外の皆がとても幸せそうに見えた。なぜか全てがスローモーションで流れているように見えた。


小さな頃からずっと母が大好きだった。


とにかくよく褒めてくれた。だから勉強も学校も楽しいと思っていたし、反抗期などなかったと思う。


成長するにつれ、自分がかなり普通であることに気づいた。(遅い…) それでも母は、高校入学の時も大学入学の時も就職した時もとても喜んでくれた。


娘たちが生まれた時も「可愛いね、一番可愛いね。上手に産んだね。」と高齢の私を褒めた。笑


母は民謡が好きで名取になり、70歳を過ぎてもスポーツクラブに通い、友達も多く時々おしゃれをして出かけていた。


また仲良し3姉妹の末っ子で、毎月3人で温泉旅行に行っていた。この3人は顔がそっくりでほぼ同時に全員が違う話題で話す。それでいて絶妙なタイミングで皆で笑っていて、いつも楽しそうだった。


実家は不動産賃貸などもしていたので、母は相当に忙しかったと思うが、いつも家の中は片付いていたし、食事もきちんと用意されていた。


自分が母になってみて、どうやって家事とたくさんの趣味と仕事をこなしていたのか不思議に思う。車を運転しない母は買いものだけでも大変だったと思う。


父は母が誰よりも大好きで、外食を好まず「おかあさんの作ったものが一番美味しい」といつも言っていた。


遺品を整理していた時に父から母に宛てた手紙がたくさん出てきて「お父さん、ラブレターが出てきたよ〜♡」と見せた時も、嬉しそうに愛おしそうに一通一通見ていた。そして照れもせず、私に見せてくれた。


達筆な字で「先程お別れしたばかりなのに、またすぐお会いしたいという気持ちになり…」なんて書いてあるセピア色の手紙にグッときてしまった。母は「お父さんは背が高くて本当にカッコ良かったのよ。」と時々言っていたっけ。はいはい…爆笑


マレーシアにも3回も来てくれた。

「良い子ね〜 賢いね〜」と言い、子供みたいに孫娘たちと一緒に遊んでいる母は本当に幸せそうだった。


母に何の恩返しも出来なかったと、いつまでも心を痛めている私に、尊敬する先輩が「恩返しでなく恩送りをすればいい。」と言ってくれた。この言葉にどれだけ救われたか…


自分のまわりにいる人を大切にするってことが恩送りなのかな、お母さん。


美味しいものをみつけたら一緒に食べたいし、美しい風景を見たら一緒に見たいと思う。背の高い孫娘たちと手をつないで歩いて気持ちの良い風に吹かれて欲しい、そう思う。


今でも会いたいよ。


結婚した時は「あなたは彼じゃなくちゃ手におえないね。結婚出来て良かったね。」って言っていたね。笑い泣き


そんな私に耐えている旦那と娘たちと、小さなことにも感謝しながら生きていくね。