お久しぶりですニコニコ

ほぼ半年ぶりの投稿ですあせる


マレーシア人と結婚して南国暮らし21年やしの木

小さかった娘達ももう18歳と20歳になった。

私も気づけば50代、父は90歳になった。


先月中旬、兄から父が末期癌であることがわかったと連絡があった。遠く離れて暮らす私はショックで頭が真っ白になった。


とにかく日本に帰ろうといろいろ調べて準備をし、連絡を受けてから1週間後には成田に降り立っていた。


二重国籍であってもマレーシアのパスポートしか持たない娘達は外国人扱いで入国禁止対象。『お嬢さん達は日本に入ることは出来ません』とマレーシア大使館の方から説明を受け私一人で帰国することになった汗


(マレーシアサイドはパスポートを2つ持つことを違法としているのにコレおかしいですよね?)


こんな時期である。いつもの楽しいワクワクした一時帰国とは全く違う緊急帰国で、疲労はピークに達していたが、『おかえり』と言った父の笑顔を見て心底ホッとした。


可愛い孫達の顔が見られないと知った父はがっかりしていたが、未だ新規感染者数の減らないマレーシアからの移動は避けた方がいいことも理解していた。


近所でも元気で有名な父は、毎日電動自転車に乗りあちこち散歩していた。健康診断でも毎回褒められていた父が、『なんだかちょっと重い感じがするなぁ…』と胃の不快感を訴えて病院に行き、スキャンや胃カメラなどの検査を経て末期の食道癌であることがわかった。


担当の医師は自宅で穏やかに残りの日々を過ごすことが最良の選択であると言った。


もうすぐ旅立つ日が来ます…


そういうことである。


今回病院でお世話になった担当の先生や看護師さんをはじめ、訪問医の女性の先生、イケメンの訪問看護師さん、ソーシャルワーカーさん、ケアマネジャーさんと本当に皆さん優秀で細やかな気遣いがあって、私はいちいち感動している。


そして、マレーシアとは比較できないほど高齢者が多い日本を痛いほど感じている。


スーパーだけでなく、コンビニやダイソーでも優に70歳は超えてそうな方々が普通に買物をしている。マレーシアでは見られない光景に改めて驚く。


メディアは終活、介護用品、高齢になっても加入出来る保険、葬儀ビジネスやらで溢れている。


街を運転していると、高齢者用の施設やら介護タクシーがやたらと目に入り、どこに行っても痒いところに手が届く介護用品が手に入る。


流動食のみの父の気分が落ち込まないように食事時は大抵一緒に座って話をする。


90歳になってもボケていない父は今でも10年前に一足先に旅立った母の話をよくする。今でも大好きで堪らないようだ。こんなにお互いを思いやって人生を一緒に歩んだ夫婦はそういないのではないかと思う。


すっかり痩せてしまったが、天気の良い日にはユニクロのジャケットを着て愛車(電動自転車)で颯爽と散歩に出かける父。その後ろ姿が小さくて愛おしくて涙が出る。


声を荒げたことのない父は我慢強く誰にでも優しい。おそらく悪口を言われたこともないと思う。私と兄は常に静かに見守られて大切に育てられた。


『孫娘達の着物姿はきれいだろうなぁ…』

と目を細める父。


お父さん、もっとたくさん栄養を摂って一日でも長く生きよう。


あの子達の『おじぃちゃ〜ん♡』って呼ぶ声をiPadの中からじゃなくて、温かい体温を感じながら生で聞こう。


一緒に年を越そう。

桜だって一緒に見たい。


お父さん、一緒に頑張ろう音符


🍁 11月末の日本は美しくて散歩が楽しかった