最近むちゃくちゃなニュースが多いですね。

秋葉原での通り魔事件も、もうコメントのしようがないほど悲惨な結果になってしまいました。

犠牲者の方のご冥福と、その遺族の皆様方の悲しみが少しでも和らげるよう、お祈りします。

 私も過去に通り魔事件を扱ったことがあります。あの事件では3人が死亡し、5人が重軽傷を負いました。


(この事件、犯人のちょっとした間違いがなければ、重軽傷の5人も確実に死んでいて、おそらく死者は今回と同じ8人になっていたと思います。)



でも、一般的にこうした無差別殺人の犯人は、今回の加藤容疑者ほどの短期間に反省を示しません。そこが私は気になったんです。



事件に至るまでの犯人の心理が掲示板に書き込まれていたそうですが、書き込みがおかしくなってくる直前には、彼は掲示板にこんなことを書き込んでいたようです。

「私は愛が欲しい訳でも、愛して欲しい訳でもないのです。精一杯、誰かを愛したい… 愛している証(し)が欲しいのです」


普通ならば、愛して欲しい、とか、相手にして欲しい等という受け身の欲求に、フラれたとか軽蔑された等という現実がカウンターパンチとなって襲いかかり、不満が爆発するのでしょうが、この書き込みを見る限り、彼は誰かを愛したかったのです。

愛されることより愛することを欲していたなんて、ちょっと文学的な気もします。どこかからの引用でしょうか。



でも両親は離婚寸前の別居状態。会社は解雇予定。彼女なし、金なし、仕事なし。

被害者とその遺族のことを思えば、無差別殺人犯に同情の余地はないのですが、ニュースから見えるその心理的な紆余曲折には、自分と境遇が重なってしまう方も、今の日本にはかなり多いのではないのでしょうか。



しかもこの事件のスイッチとなってしまったのは、雇用問題。

政治も問題が多すぎて、また別の日記に改めて書きたいと思いますが・・・圧倒的に支持率の低い福田内閣が信任決議可決というのだから、もう政治家では日本は救えないようですね。

大丈夫か、日本。
みんなで出来る範囲で、何とかしましょう