相談室:「私なんてまだまだ」を言う目的は? | Your Progress人材育成講師・嶋尾かの子の「勇気のつけ方」レシピ集

Your Progress人材育成講師・嶋尾かの子の「勇気のつけ方」レシピ集

勇気づけの対人コミュニケーション研修・講座の講師、嶋尾かの子による勇気づけのレシピ♪




{A3D1C41E-09B9-43D7-A3BB-F62CDC715441}





「自分を卑下してしまう」というご相談をいただいたので、

今日は似たような想いを抱いていた、

かつての私の経験からお話しますね。




私は尊敬する人を目の前にすると、

自分が持っている知識を思うように出せない傾向がありました。





「自分の知識なんて、この方からしたらずっと前から思って(知って)らっしゃるだろうな」


と思うと
恥ずかしくて言い出せない時が。





でもね、考えてほしいのは次の点。





「私なんて」と口から出てしまうけど、


それは「何のために」自分を卑下しているのか、

ということ。




その人によって自身を卑下してしまう根っこにある気持ちは違うのですが、

私の場合は、
傷つきたくない、馬鹿にされたくない、

言って恥ずかしい思いをしたくない(失敗したくない)
つまり自分を守っていたい、

と思っているから。





傷つきたくないから、「私なんてまだまだ」といって
行動を起こさない

(この場合だと話さない)のです。





でもね、大きく見たら、
それによって得られるものは結局、

惨めな思いなのです。




失敗を恐れて何にもしないことで、

自分自身の価値を下げている。





としたら、
守っているつもりが、

結局自分を裏切っていることになる。





ここに気づいたとき、


「ああ、もう出し惜しみはやめよう」

と思ったのです。





そもそも、尊敬する人の前では思いが話せないこと自体、


変な上下関係を作ることにもなります(*^^*)





失敗したとしても、大丈夫。





アドラーは結果ではなく、過程に注目します。





どんな状況においても、発展途中(*^^*)





歩く速度がゆっくりになっても、走れるようになっても、

ちょっと立ち止まったとしても、
大丈夫✨




ご自身のペースに合わせながら勇気づけしていきましょう✨