シャボン玉 | るるる de スピ・コチ!

るるる de スピ・コチ!

魔法のスピリチュアルコーチング

facebookをしばしお休みする理由は…。

なんか知らんけど
色んなことが一氣にアホらしくなったからです。

 



玉突き事故の渦中にいた時…。


わかっちゃいたけど、

こんなにも命って

薄っぺらな何かの皮?のような一枚向こうで

はい!終わり…。


になるんだし、
それは自分だって例外ではない。

それを体感したからかもしれません。

 
 
別にスローモーションでもなんでもなく
あっと言う間の空間移動のように

簡単に事故を起こせるし、起こされるし…。

 
あの薄っぺらな皮一枚の何かって、

大いなる意識と
自分の肉体を通して感じる意識の

その境目…

だった氣がしたんです。


 
怖くはなかった。


あの時、もし死んでたら…


なんて、こと思うと怖くなるといいますが、
私は怖くなかったし、

ホンマのホンマ、


どうでもいいわ


そう思ったことが、かなり今になってある意味衝撃的なんです。
 

 
私、肉体持って生きてる意味…

 
あるんやろか?

 
 
それをなんか知らんけど
今日朝から思うてるんです。

 
そうしたら、なぜか、

今までの送受信したメールボックスを削除したくなり、

LINEや、facebookもすごく整理したくなったんです。


そう。


もう今は、いらんのです。


情報やメッセージがいらんのです。



でも、やっぱり

こうやって何かは言いたい。
伝えたい。
書きたい。
見せたい。


それだけは残ってます。


私は、昨日まで、自分の考えに固執するもんがあったような感覚があります。
 

自分の人生をドラマティックなもんにしたいがための考え方?思考?感情?みたいなもん。

 
そんなもん。


なんかマジにどうでも良くなってるんです。


この感覚が一体何なんかは、全くわからないのですが。

さっぱりしたくなったので
facebookのアプリも削除してみました。



なんに囚われてんのか
感じてみたくて。


ただそれだけ。



私は強いと思われているようですが、
なんのことはない…


知らんうちに
勝手にパン!と弾ける

シャボン玉の膜のようなのか《わたし》ですわ。

 
それがわかって、
すごくショックなんは

わたしが生きる価値がその膜そのものだったのか?と、わからんようになってしまったからかもしれません。

 

奇しくも、あしたは、父の5回目の祥月命日。


あの日も命の薄さを知ったのですが、
我が身をもって

限りある肉体と意識の膜を感じ…

 
かなり狼狽する一日です。


なんなんだろう。この感覚は。

悲しくもなく
寂しくもなく
よろこびでも
たのしみでも
怒りでも
苦しみでも
憎しみでも
ないもの。

{663FE93B-3072-4925-BF21-C3CAA233A394:01}