正直いいますが、私は今回のツアーの凄さがわかってませんでした。

コースだけみてもテルアビブから入り北端のティベリアまでいき、明日は南端のエイラットの方からヨルダンに入って、ヨルダンからエルサレムを経由して、またテルアビブから帰国するという、イスラエル縦断+ヨルダンのツアーです。
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聖書や歴史を学びながら凄いメンバーとの11日間です。ガイドはイスラエル在住45年の日本人、バラさん。コーディネーターはイスラエルに28年間で14回も訪問されている赤塚さん、という最強の布陣です。折り返しを前にして、既にツアー代金以上の学びと出会いを頂いていて、もう少し仲間を連れてこれなかったことを悔やんでいます。

イスラエル探索4日目の今日は、死海のほとりのエン・ボケックからクレーターのあるミツベー・ラモーンまで移動しました。
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朝はホテルで、海抜マイナス380メートルの死海から日の出を拝みました。
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塩度28%の海水をなめてはいけません。
浮くのは当たり前ですが、海水が目に入ろうものなら病院行きになります。

世界にはまだまだ不思議がたくさんです。


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今日の最初は、聖書の中に出てくるロトの妻の塩柱を訪問。見えている山は全て塩です。
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続いては、世界遺産のテル・ベエル・シェヴァ。紀元前4000年頃から人が生活していたようで、それがまだこうして形としてあるのは、やはり石の文化の功績ですね。
日本にも同時期の遺跡はたくさんあるはずですが、木ではなかなかここまで残りません。
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そして次が今日のメインのベン・グリオンの砂漠の家と彼のお墓です。
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ベン・グリオン氏については後で詳説しますが、イスラエルを建国した初代首相がこの小さな家で晩年を過ごしたと知り、感じるところ大でした。
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家の後は、彼と奥さんのお墓参りをし、皆さんとご挨拶の君が代斉唱、そして敬意を込めて4日間練習してきた、イスラエル国歌ハティクバを斉唱しました。

すると周囲にいたイスラエルの方々が「ありがとう」と言って、握手をしに来て下さいました。
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ネゲヴ砂漠が一望できる美しい場所に建てられたお墓にはイスラエル人も頻繁に参拝されるんですね。愛されています。
日本人は伊藤博文のお墓にはなかなかいきませんから。
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最後は、エン・アウダッド国立公園をトレッキング。砂漠の中の中の水場の大切さについてお話いただきました。

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今日のホテルは、ミツベー・ラモーンのベレシートホテル。プールからはラモーン・クレーターが一望でき、シンガポールのセントーサを超える感動がありました。

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さて、今日は皆さんにイスラエルの初代首相のダビッド ベングリオン日本人ついてお話しましょう。

彼は1886年に、ロシアに占領されていた現在のポーランドに生まれます。

父はシオニズム運動を進めるヘブライ語教師で彼に大きな影響を与えたものと思われます。

先日お話したヘルツルが「ユダヤ人国家」を書いたのが1896年ですから、これも青年ベングリオンに勇気を与えたことでしょう。

1906年に彼はパレスチナに入植し、農業を始めましたが、アラブ人との対立があり、自警団を取りまとめていくことになります。

そして1910年には、団体機関紙の編集者、第一次大戦中はニューヨークでシオニズム団体の支部を起こしています。大戦あとはパレスチナにもどり、政治団体のリーダーなり、統治していたイギリスの抑止にも関わらず、大規模なユダヤ人入植をすすめます。
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そして、1948年5月14日にテルアビブでイスラエル国は建国宣言をし、以来彼は、1948年5月14日から1963年まで、1954年から1955年の約2年間を除いて首相であり続け、アラブ諸国の猛攻撃を耐え忍び、ユダヤ人国家の発展に生涯を捧げていきます。

1970年の政界引退後は、今日訪問したネゲヴの中心のスデ・ボケル(Sde Boker)というキブツに隠棲します。
不毛のネゲヴ砂漠に入植地を作ることがパレスチナのアラブ人たちの反発を最も抑えられる方法だと考え、身を以って範を垂れるためだったと言われますが、こんなエピソードも。

ある時彼は、イスラエルの子供たちと話す機会があり、子供らの将来の夢を聞きました。
銀行員になりたい、教師になりたい、スポーツ選手になりたい、みんな都会に住んで生活するのが当然という顔です。

ベングリオンの顔がみるみる真っ赤になり、机を叩いて叫びます。
「この国の60%を占める荒野のに挑む者はおらんのか!イスラエルの未来は荒野の開拓にかかっているんだ!」
開拓者精神の薄れゆくイスラエルの将来を危惧したベングリオンは、こうして若き日と同じく、自ら砂漠の開拓村に入植するのです。

こうしたベングリオンの生涯について、あの糸川英夫氏が本を書かれているのを今日初めて知りました。
「荒野に挑む」早速読んでみましょう。

糸川英夫氏は人間は二度死ぬとおっしゃっていたそうです。
一回目は肉体から魂が離れる時、そして二回目は生きる全ての人から忘れられた時。

糸川氏は、ベングリオンの功績を忘れず、イスラエルから日本は学ぶべきだと、周囲に話され、今回の団長の赤塚さんがその思いを受けて私たちをイスラエルに連れてきて下さり、私がまたベングリオンの功績を学び、彼のことを記憶に刻んだのです。

私が生まれる4年前1973年にベングリオンは87年の生涯をおえていますが、隠棲後の彼の下には世界中のリーダーが訪問したといいます。

あまりに要人がたくさんくるので、ギブツの子供たちがベングリオンに「おじいちゃんは何をしている人?」と聞いたそうです。

するとベングリオンは
「私はこのギブツに一番最後に来た青年だよ」と答えたそうです。

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70歳を超えて、若者に範を示そうとするような政治家を私は現代の日本に知りません。

日本の元首相は逆に問題を起こしています>_<

また政治家でなくても、我々若い世代に日本の未来を頼むぞと、想いを託して下さる方も限りなく少ない。

悲しい国になりました。

赤塚さん曰く、日本はアラブ諸国からの石油に頼っているため、あまりイスラエルについて肯定的な報道などをすることはできないとのこと。

確かに日本人のイスラエルへのイメージはあまり良くないかもしれません。情報操作かな。

ただ、私個人は自由人ですから、イスラエルの良いところ、学ぶべきところはどんどん発信していきたいと思います。

イスラエルでも日本人は認められていると感じています。
また後日そんな話もまとめます。