稲の秋 | Diary

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The way I am…

田んぼの稲が黄金色に実りました

 

 

今年は芒種の頃からずっと見てきたので、なんか感慨深いです

 

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助手席の父に「桜の頃からずっと四季を撮ってるね」と言われ、去年の夏に母が亡くなってから、いつになく父と近しく過ごした一年でもあったなと思いました。

 

今朝、父から電話で「あのさ、なんでもないんだけど、今日10月7日はお父さんとお母さんの結婚記念日なんだよ」と照れ臭そうに言われ、唐突だったので「エッ?」と思いました。

 

「今日みたいな曇りじゃなくて、晴れたいい日だったんだよ。東條会館で式を挙げたんだよ」

「そうなの・・・おめでとうございます」

「うん」

 

その後、ちょっとした用件の話がありましたが、どっちが本件だったのか。90歳を超えても結婚記念日を覚えている父に、なんか素敵だなと思ったり、毎年この日には母と二人で思い出話していたのに、相手がいなくて寂しくて、私にかけてきたのかななんて思いました。

 

父は最近よく昔話をしてくれて、昨日も兵役につく時に祖父に世話になったことや、入隊後のこと、戦地でのこと、母との出会いからなれそめまで、いろいろ話してくれました。母とのなれそめを話したので、結婚記念日のことも話しておきたくなったのかもしれません。

 

父の話は、ほとんどが前に聞いた話が多いですが、毎回少しずつ新しいエピソードが加わって、私も記憶の断片を繋ぎながら、頭の中で父の一代記のジグソーパズルを埋めています。父のことを知っていたようで、知らなかったことも多く、父のイメージが(良い方向に)少し変わったりもしています。それを言うと、嬉しそうな顔をします。

 

父が今している昔話は”荷おろし”かなと感じています。

いろいろな動作が億劫になり、俺ももうそんなに長くないと弱音を吐いたり、最後だと思うから親戚に挨拶に行っておきたいと、兄と弟に頼んで会いに行くようにしたり、物の整理のほかに、まるで心の身辺整理もしている気味の父。

 

人って、語られたことより、語られなかったことの方が多いし、寧ろ語られなかったことの中に本当にその人にとって大事なことが詰まっていたり、今まで身近な者にも、誰にも話したことがない話、恥ずかしかったから、話す機会がなかったから、または話すほどのことでもなかったから、ずっと心の中にしまっておいたことがあったりするのかなと思います。

だけど、このままあちらに持って行くには、要らないものだし、誰かに聞いてもらうことで、荷おろししてスッキリしたい、そんな感じなのかななんて感じています。

 

その人にとって、大切にしたいこと、心の中にしまっておきたいことは、聞かずもがなですが、その人が話したくなった時には、しっかり受け止めて聴きたいと思います。

 

父が今している”荷おろし”の聴き役、私、割と気に入っています。

 

 

 

 

稲の秋に、金木犀。秋は黄金色が似合う季節です。