続・金を稼いでいる限り、奴隷の道からは抜けられない(前回の続き) 《癒奏術・山桜の章》 | 生命の「ゆらぎ」を癒す ~神人一致の癒奏術・Yuragi Therapy

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ボディセラピスト、ヒーラー、アロマブレンダーとして目指すヒューマンセラピーメソッド。
それが癒奏術・Yuragi Therapyです。
そして新たに備わった【龍を授ける】力で、多くの人を幸せに導きたいと思います。





前回の続き・・・


「金を稼ぐ」というその「言葉」自体が「本質」を隠すための「洗脳」であり「トリック」であり「刷り込み」である。


金を作り金を売るものからすれば、その「思い込み」こそが「金が売れる」元であるから、その「思い込みのMATRIX」の中に閉じ込め続けるわけである。



はて?

まだわからないだろうか?


「金を稼ぐ」と思い、「金を稼いでいる」と思っている人たち。

その本質は


金を買っている


ということ。

「思い込み」によって「買わされている」とも言えるだろう。


「大金を稼ぐ」というのは、つまりは「大金を買う」ということである。


さて、ここで人の思考の「MATRIX」があるわけである。

「買い物をするためには金が必要」

という思い込み。

それが思考の「MATRIX」


その実態は「何かを売って金を買っている」なのである。



時間を売り、労力を売り、知恵を売り、それでも足りないと「様々な」ものを売っているわけである。

自分の時間だけでは足りないから、他人の時間も削り取って売り、他人の労力も削り取って売り、自分の周りの「何か」を足しては売って「金」を買い取っている。


やがて人を欺き、人の時間や労力や何がしかの「上前」を少しずつ撥ねては売り、そうして金を少しでも多く買うわけである。


「何のために?」


思考の「思い込み」によって「金を買う」ように行動するよう「調教」されているからである。



「金持ち」というのは、「たくさんお金を買った」人であり、それらの人々は、では「何を売って」大金を得た(買った)のか?

ということが本質である。



「金」を買うために人は様々なものを「売る」ように仕込まれている。


そして

最も高く売れるモノ・・・・


それが「魂」である。




金を作り売っている者たちは、様々なものを買っている。

時間を買い、労力を買い、人の命を買い、そして魂を買っている。



「魂」を買う存在とは何だ?


それは【悪魔】というものしかないだろう。



人は「大金」を稼ぐために一番高く売れる「魂」を売る。

それは実に高く売れることを知っている。


「魂」を売り渡せば、その時点で「身も心も」売り渡したと同じ事。

それが【悪魔】に対する最大の『隷属』である。



世間を見渡せば「大金」を稼いでいるものたちがいる。

さて、彼らは「何を」売ったのだろうか?



世界の理(ことわり)は「等価交換」である。

それはけっして「曲げられぬ理」

【神】でも変えてはならない理(ことわり)



「タダほど怖いものは無い」

と言うが、それは事実である。

実は「売りつけられ」て「買わされている」ということ。



【悪魔】は実に几帳面できっちりしている。

「等価交換」の原則に厳しく、自らそれを逸脱することはない。




先に与えろ

と言わんばかりの「引き寄せ」は、叶えば叶うほど「恐ろしい」こととなる。


「大金が入った」と喜ぶもの・・・・

さて、後々「何を」売る羽目になるのか?




世の金持ちと言われる人々・・・

お金があるから「自由だ」と思いたいのだろうが、その実「自由」な人など居ない。


稼げば稼ぐほどに「たくさん買わされている」という事実が積みあがるだけである。

つまりは「稼いでいる分だけ多くのものを売っている」のである。

「借銭」もたくさんあるだろう。

借銭と言うのは「借金」ではなく「金を買ったことで売らなければならない予定のもの」である。

だから猶更自由がない。


その魂はすでに「悪魔の牢獄」の中である。



自由な発言をしている「ふり」をしたところで、自分が発する「言葉」さえもすでに自由を奪われている。

言葉すら自由を奪われたものの行動に、自由などあるはずもない。

自由な言葉、自由な行動を奪われて、時間を与えられたところで、そこにどれほどの自由が残っているのか。

いわんや「大金」があったところで、それでは「自由を謳歌」出来ているのか?


わずかに与えられた「限られた自由」の中で、金などいくらあったところで「自由が無いのだから自由に対しては使えない」金ばかり持っていることとなる。


だがそれでも「金」を欲する。

魂はすでに【餓鬼】へと堕ちてしまっているのである。




金を稼ぐことを夢見ている人の目標たる人々が、実は「奴隷」であるということなど夢にも思わないことだろう。

ならば稼げばいい。

とことん稼いでみればいい。

その時、自分が「何を売って」金を買い取っているのか・・・・

しっかりと見極めることだ。