下書きに残っていた記事。

しかも、その元記事も下書きを見直したもの(笑)

あれから20日ほど過ぎたけど

最近、息子に対してイライラした記憶がない。

ちっさな”めんどくさい”は変わりなく多発してますが^^;

 

一つ、課題をクリアできたのかな?

だったらいいな♪と思いながらアップします♪

 

 

ご近所の梅が盛りを迎えてます

 

 

(ここから下書き保存してた記事)

先日。

息子に対しても、彼が

”どんな気持ち・どんな感覚であるか”

というところに

意識を向けられずにいた自分

に気づいた、と書きました。

 

 

この時、はじめは

なぜ意識を向けることができなかったのか

原因を探ろうとしました。

 

ただ、言い訳がましいな、と思って

途中でやめたんです。

(でも下書きには残してました(笑)

 なんとなく、この想いを”無”にしたくなくて)

 

言い訳って、自分を正当化する行為。

無意識に、自分を守ろうとしたんでしょうね。

 

そして、守ろうとするのは、

「私は責められる」と思っているから。

 

責められるって、いったい、誰に?

ブログを読んでくれる人??

息子???

 

・・・答えは、私自身。

 

今、下書きに残していた内容をみると、

これ(責めているのは自分自身)が

明確に分かる内容だな、と思います爆笑

 

幼い頃の私が、すっごく怒っていて。

大人になった私は、親と同じことをしている。

だから、

拗ねられると気持ちが落ち着かないし

(インナーチャイルドが刺激されるから)

優しく受け流せない自分に

後ろめたさも感じていたのです。

(この対応が良くないって知ってるから)

 

言い訳がましい、と感じたのは

上に書いたようなことに(なんとなく)

気づいていたから、かな?

 

そして、

日々の小さなまなゆい習慣が

ずっと抱えていた問題(?)に

向き合う土台を作ってくれたんじゃないかなー?

なんて、思いました照れ

 

うん。きっと、そう。

小さなモヤモヤを無かったことにせず

受け入れ・認め・許し・愛する

この繰り返しが、私にもできるっていう

小さな自信と安心感を育んでいて

(私にとって)大きなモヤモヤにも

向き合う勇気を持てたんだと思う。

(内面的なことだから、証明できないんだけど)

 

ふふふ🤭

言い訳がましい、と一度却下した内容から

思わぬ自分の変化に気づくことができました♪

 

せっかくなので(?)

ここでお披露目しておきます。

(怨念供養、みたいな感覚です🤣)

 

 

カメ↓↓↓  ここから  ↓↓↓カメ

 

(拗ねた息子を)

なぜ、放置したのかと言うと。

 

・人のせいにしてはダメ

・拗ねても何も良い結果は生まない

・故に、それらの行動を改めるべき

 

って私の価値観があって、

それを息子に

分からせなければ”って思いもあったから。

 

この3つの価値観は、親からのものだけど

私自身の経験からも痛感していること。

 

だから、これまでにも何度も伝えてきているし、

”大人が機嫌を取るようなことをしていては、

味をしめて拗ね続けるだろう”という判断のもと

放置(機嫌取りはしない)って行動をとっていたのです。

 

それに。

私の父は、

突然怒り出した上に口をきかなくなる人、

つまり

大人になっても(老人となった今も)拗ねる人。

幼い頃の私から見ても、理不尽な人でした。

それなのに、

母は、そんな父の機嫌を取るように

いつも通りに話しかけたりご飯を作ったり。

思春期の私は、

そんなことをするからつけあがるんだよ、と

母に対しても怒りを覚えていました。

 

こういった経験から

「”拗ね”に対して優しい態度をとると

 ますます尊大になる

 (から優しくするのは間違っている)」

っていう思い込みが

私の中で出来上がっていたのです。

 

カメ↑↑↑  ここまで  ↑↑↑カメ

 

 

一生懸命「私悪くないもん!」って

言ってる感じがする爆  笑

 

 

そんな私も可愛いな、

なんて思える今の自分を、

私は結構気に入ってます口笛

 

どんな自分をも受け入れられるって無敵だー✨