歴史から抹消されても忘れないペガサスのメモリーズ/クリス・ベノワ【俺達のプロレスラーDX】 | ジャスト日本のプロレス考察日誌

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俺達のプロレスラーDX
第32回 歴史から抹消されても忘れないペガサスのメモリーズ/クリス・ベノワ



「彼にあと10cm身長があればヘビー級のトップは取れる!」

かつて新日本プロレスの海外担当・マサ斎藤はこう語ったことがある。
彼の名は、クリス・ベノワ。
身長 175cm 体重 100kg。
新日本ではワイルド・ペガサスのリングネームでジュニアヘビー級で活躍していた。
ジュニアヘビー級では彼は怪物だった。

新日本道場とカナダのレスリングファミリー・ハート道場仕込みのテクニック、ヘビー級でも互角に渡り合うパワー、メキシコで身に着けた空中戦を使う万能型の戦闘マシーン。
クリスは、間違いなく新日本ジュニア史上最強の男だった。
しかし、彼は努力と鍛錬を重ねて、なんと世界最高峰団体WWEの頂点に立つまでに上り詰めた。
今回は、みんなに愛された男が味わった天国と地獄の物語である。

クリスは1967年5月21日、カナダ・ケベック州で生まれる。
ダイナマイト・キッドに憧れて、カナダの名門・ハート道場でトレーニングを積み、1985年にプロレスデビューを果たす。その後、新日本に参戦していた常連外国人バッドニュース・アレンの紹介で、1987年に来日し、新日本に練習生として入門する。

レスリングの基礎を学ぶためにやってきた異国の地で、彼は日本デビューまでの半年間を合宿所で過ごした。道場での生活は苦しかった。また日本での風習を覚えることも大変だった。

それでもプロレスラーとして俺は大成したい。

その一念で耐え抜いた。クリスは謙虚で忍耐強い性格の好青年だった。だから順応も早かった。日本デビュー後、ヨーロッパやメキシコで揉まれ、経験を積み、1990年、謎のマスクマン・ペガサス・キッドに変身する。

獣神サンダー・ライガーのライバルとして大ブレイクし、1990年8月にIWGPジュニアヘビー級王座を獲得する。
その後、ライガーとの敗者マスク剥ぎマッチに敗れ、素顔になるものの彼は、ジュニアのトップであり続け、さらなる進化を遂げる。

ライガーとの抗争は、毎回エスカレートしていき、クリスは最終的にライガーを倒すために雪崩式パワーボムという危険技まで披露してしまう。
ライガーは対戦相手としてクリスに絶対的信頼感を持つようになる。
だからエスカレートしていくにも関わらず事故には至らなかった。
やはり、プロレスとは信頼がなければ成り立たないジャンルである。

1993年にトップ・オブ・ザ・スーパーJrを初優勝したクリスは、キッドの名を捨てた。
ワイルド・ペガサスに改名する。
この改名以後、彼はよりパワフルになり、さながら人間凶器のようなレスラーと化す。

当時、プロレスライターの斎藤文彦氏は彼をこう評している。

「彼は新日イズムを理想的な形で身につけた外国人レスラーかもしれない。日本人のなかに交じり、新弟子生活を経験しているからレベルの高いレスリンができるし、またリングに上がれることに喜びと感謝の気持ちを持っている。いつも微笑みをたたえている純朴な青年は、実はみんなの宝物なのである。」

まさしくプロレス優等生。
これはアメリカ時代でも変わらないがとにかく練習熱心。
WWEでも新日本式のトレーニングを貫いたという。
それがクリスのアティテュード(姿勢)だった。

新日本時代に、彼は生涯の仲間に出会う。
二代目ブラック・タイガーとして天才ぶりを発揮していたエディ・ゲレロと関節技を得意としたテクニシャン・ディーン・マレンコである。
クリスとエディとディーンの三人はアメリカ時代でも行動を共にしていく。

1995年、アメリカに本格的参戦を始めたクリスはハードコア団体ECWで大暴れする。エースであるサブゥーの首を折って、しまったことにより、ザ・クリップラー(壊し屋)と呼ばれるようになる。
WCW移籍後はリック・フレアー率いるエリート集団フォーホースメンのメンバーとなる。
しかし、WCWでは彼は当時リングを席巻していたnWoの後塵を拝することになり、なかなか目が出なかった。

当時WCWは新日本と提携をしていたのでクリスはたまに新日本に参戦していた。
2000年1月4日の東京ドーム大会が彼にとって最後の新日本参戦となった。
猛牛・天山広吉とのシングルマッチ。
もう彼はジュニアでは扱われていない。
ヘビー級として天山を圧倒した。
逆水平チョップは、ドームをどよめかせ、起き上がりこぼしジャーマンで何度も投げ切った。互角以上に渡り合い、天山に敗れたが、あの体力の自信がある天山が疲れ切っていたという事実がクリスの強さが窺い知れる。

その直後、WCW世界ヘビー級王座を奪取するが、翌日に返上し、WWE(当時WWF)に移籍した。
アメリカでもクリスは自らのスタイルを変えることはなかった。
技の制限はあるものの、ハードヒットな攻防は新日本時代と同様である。
WWEでは最大のライバルが登場する。
アトランタ五輪レスリング金メダリストのカート・アングル。
カートとクリスが繰り広げたのは、パワーやギミックにあふれたアメリカンプロレスではなく、本格的な技術がぶつかるレスリングだった。
二人の闘いはアメリカ版名勝負数え歌となる。

特に印象に残ったのが、2003年1月「ロイヤルランブル」での大一番。
二人は歴史に残る名勝負を演じた。
カートのスープレックスには、クリスもスープレックスで返し、カートのアンクルロックにはクリスはクリップラー・クロスフェースで対抗する。
レスリングだけで場内を熱狂させて見せた。
試合はカートのアンクルロックの前に、クリスはタップアウトをしてしまう。
しかし、試合後異変が起こった。
なんと、場内のファンが二人をスタンディングオーベーションで称えたのだ。
勝者カートが去ったリングに、クリスがいた。
場内の大歓声に彼は右腕をさりげなく突き上げてみせた。
恐らく、彼は誇らしかったに違いない。

「俺が信じたプロレスがあのWWEで通じた!」

2004年、WWE最大イベント「レッスルマニア」のメインで念願の世界ヘビー級王座を獲得した。試合後、クリスを祝福する男が現れた。
苦楽を共にしたエディ・ゲレロだった。
エディはWWEヘビー級王座を防衛してみせ、メインのクリスにバトンタッチしていたのだ。
二人は互いを称えあい、涙していた。
これがクリスにとっても、エディにとっても人生のピークだった。

2005年11月13日、親友エディが遠征先のホテルで動脈硬化性疾患によって急死。
クリスはエディの死に大きなショックを受ける。

この頃、レスラー仲間にこう言っていたという。

「もう友達の葬式にはいかない。教会は嫌いだ。宗教なんて大嫌いだ。」

クリスのプロレス人生は、大切な仲間との別れの連続だった。
若手時代のライバルだったオーエン・ハートはリング上で事故死してしまい、兄貴分だったデイビーボーイ・スミスも亡くなった。若手時代のトレーニング仲間ブライアン・ピルマンもなくした。
近所に住んでいた元パブリック・エネミーのジョニー・グランジはエディの死から三か月後に急死した。

この頃から彼は閉じこもってしまい、何もかも信じられなくなっていたのかもしれない。
そして、悲劇であり惨劇ともいえるあの事件が起こる。

2007年6月24日、WWEの特番を家庭の事情という理由で急きょドタキャンしたクリス。
そして、翌日に自宅にいるクリス、妻、息子が遺体として発見された。
クリス・ベノワ、享年40歳。

その後、捜査の結果、ベノワが22日に妻を縛ったうえで絞殺、翌23日には息子に薬物を投与し意識を失わせた状態で窒息死させた後に、地下のトレーニング室で首吊り自殺したと断定された。日本でいうところで無理心中である。
しかし、アメリカでは無理心中という概念はない。
ダブル・マーダー・スアサイド(二重殺人・自殺事件)としてCNNでは報道される。
つまり、彼は殺人犯である。

苦難を乗り越えて、頂点にまでたどり着いた男の結末は最悪だった。

WWEでは殺人事件と断定された時点で、戦績・グッズなど彼に関するすべての情報を削除し、公式サイトにおける彼のプロフィールも閲覧不可能になる。

WWEオーナー・ビンス・マクマホンはテレビでこう発言した。

「今後彼の名前が番組内で語られることはない」

つまりWWEに在籍した8年半の歴史が抹消されてしまったのだ。
またWWEはWCWとECWの肖像権を保有しているので、アメリカでの活躍までも消されてしまったのだ。

クリスの父マイケルさんは自分を責めた。

「わが人生の後悔は、13歳だったクリスにウエート器具を買い与えたことである。息子がダイナマイト・キッドに憧れたのを応援してしまったのは私の責任。」

実はクリスは最後は新日本で引退したいという夢があったという。
そして、引退する場合は、自身がブレイクするきっかけとなったライバル獣神サンダー・ライガーとのラストマッチがしたかったという。
クリスにとって新日本のスタイルがアメリカよりも性に合っていた。
そして、どこにいっても新日イズムを持ち続けていたのだ。
新日本時代に苦楽を共にした橋本真也が急死した際も、クリスは日本人記者に橋本の住所を聞いて花を贈ったという。

そういえばクリスの死後翌年の2008年。
AKIRAとのコンビでIWGPJrタッグ王座を奪取したライガーは試合後、こう喜んだ。

「ペガサス(クリス)、エディ、橋本真也。このベルトを獲った事、きっとこの3人が一番喜んでいると思うんだ。」

もしかしたら天国にいるこの3人は満面の笑みで奮闘するライガーの姿に拍手を送っていたかもしれない…

アメリカでは彼は大罪を犯した殺人鬼なのかもしれない。
それは事実だ。
しかし、彼がレスラー仲間から尊敬されるナイスガイであることは揺るがない事実だ。
例え歴史が消えても、クリスが天空駆けるペガサスの如く活躍した記憶まで消されるわけではない。
それもまた、事実なのだ…

私は彼に横たわる事実を受け止めた上でこう言いたい。

クリス・べノワは、永遠にみんなの宝物なのだと…
だから心の隅でも構わない。
彼のことを忘れないでほしい…