私とプロレス マスターコウジさんの場合「第2回 プロレスリングBARカウント2.99誕生」 | ジャスト日本のプロレス考察日誌

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有名無名問わず、さまざまな分野から私、ジャスト日本が「この人の話を聞きたい」と強く思う個人的に気になるプロレス好きの方に、プロレスをテーマに色々とお聞きするインタビュー企画「私とプロレス」。

 

 

 

 

 今回、記念すべき20回目のゲストは、「プロレス西の聖地」プロレスバー・カウント2.99のマスターコウジさんです。





(画像は本人提供です) 




マスターコウジ (北山幸治) 

1976年3月25日、大阪府大阪市生まれ。バーテンダー。

2010年(35歳の時)に脱サラし、同年11月大阪ミナミに「プロレスリングBARカウント2.99」を旗揚げ。日本のプロレスから世界のプロレス、男子プロレスや女子プロレス、クラシックから現代プロレスまで長らく広くプロレスを見続けてきたマスターがプロレスの発信をはじめ、オーセンティックBARでのバーテンダー修行を生かした美味しいお酒を日々提供中。大阪はもちろん、県外から訪れるお客様も多く、最近では海外から訪れるお客様もいるとか。またBARにプロレスラーを招いて開催するイベントもプロデュースを手掛けており、その数は300を超える。


プロレスバー「カウント2.99」 - 大阪ミナミのプロレスバー「カウント2.99」のホームページ 



プロレスバー・カウント2.99とマスターコウジさんについて、以前私はブログで取り上げたことがあります。


ライターになる前、一プロレスファン時代だった頃の私をよく知る数少ない方がマスターコウジさんでした。  

カウント2.99さんがあったから、私はプロレスがもっと好きになることができて、一プロレスファンという立場からフリーのライターとしてプロレスやエンタメを中心に色々な書籍や記事を書く立場になれたと思います。マスターコウジさんは私にとって恩人のひとりです。

プロレスとの出逢い、好きなプロレスラー、好きな名勝負、カウント2.99立ち上げの経緯、イベントの思い出、コロナ禍のカウント2.99、今後について…。


マスターコウジさんへのインタビューは二時間半超えの長時間大作となりました!




是非ご覧ください!


私とプロレス マスターコウジさんの場合「第2回 プロレスリングBARカウント2.99誕生」


 
35歳で脱サラしたコウジさんの運命を変えた言葉「お前にはプロレスあるやん」
 
 
──コウジさん、ここからはプロレスリングBARカウント2.99についてお聞きしていきます。まずは開店の経緯についてお聞かせください。
 
コウジさん プロレスバーを立ち上げる以前は、20代後半から35歳まで製造業の生産管理みたいな仕事で課長やっていたんですけど、色々な方向性の違いから計画性もなく会社を辞めまして。再就職するにも最後の年齢だろうから、やりたい仕事や受けたい会社だけを受けました。たまたま応募が出ていた全日本プロレスの営業も受けましたし(笑)でも転職活動がうまくいかなくて、自分でやることにしました。

──どこかの企業に就職するのではなく、独立だったり店を持つということですね。

コウジさん はい。ただ自分でやるといっても会社をやるノウハウもない。お店に関しては20代の時にオーセンティックバーでバーテンダーをやっていたことがあるだけで。そんな何も浮かばない時、バーテンダー時代にお世話になったバーの師匠に「次、何したらいいですかね」と相談してたんです。週一でそのバーに通って相談するにつれて、自分でバーをやろうかなと思うようになりました。でも普通にバーをやっても勝ち目がないような気がして、バーテンダーの仕事も10年近く離れていたので、このまま開店しても絶対に勝てないと思ったんです。



バーだけでは勝てないけど、プロレスを乗っければ勝負になるかもしれない


──勝算がないと、なかなか開店には踏み切りにくいですよね。

コウジさん それで悩んでいた時に、師匠が「お前にはプロレスあるやん」って言ってくれたんです。その瞬間、「バーテンダー2年+プロレスファン25年」の経歴になって(笑) これだったら勝負できるんじゃないかな、と思いました。

──「プロレス×バー」ということですね。

コウジさん そうです。バーだけでは勝てないけど、プロレスを乗っけると勝負できるかもと思ったんです。だから自発的にプロレスバーをやりたいわけではなくて、師匠のアドバイスがあったからプロレスバーを作る流れになったのです。当時はガールズバー、ダーツバーとか流行ってましたけど、そのジャンルでは勝負にならないし、やるからには続けないといけないですから。

──確かにそうですね。

コウジさん ビジネスとしてちゃんと成立するものを探してて、「自分の武器は何だろう」っていうことを考えて振り返ると、周りから「お前、プロレス詳しいやん」「プロレスやったらなんでも答えてくれるやん」と言われていて、自分では気づかなかったんですけど、それが武器になると感じたからこそ、「プロレスバー」をやってみようかなと思ったんです。

──そういう経緯があったんですね。

コウジさん でも僕には開店するにしてもお金がなかったんです。すると師匠が「俺がオーナーになって金を出すから、お前が店長になれよ」と言ってくれて。渡りに船で飛び込みました(笑)師匠との話し合いで店名は「カウント2.99」にすぐに決まり、店の内装や構成は自分の中でどんどんイメージできたので、一気に進んでいったんですけど、肝心のお金が師匠から出なかったんです。お金が出ないことに僕がしびれを切らせてしまい、師匠と離れることになって…。



お金がない中で開店資金を貸してくれた恩人



──当初の構想と離れたんですね。

コウジさん それで最終的に前の勤め先でお世話になった取引先の社長に頭を下げに行って、事業計画書を持って開店資金を貸してもらうことになりました。もしその社長からお金を借りれなかったら、プロレスバーを開店するのは諦めようと思ってましたから。でも結果貸してもらえることになって。これでもう後戻りはできないなと。

──引くに引けなくなったという感じですか?

コウジさん 良い意味でこれはもうやるしかないなと思いました。プロレスバーをやっていく運命なんだなと勝手に解釈しましたね。

──コウジさんにお金を貸してくれた社長さんはお店には後に来られたのですか?

コウジさん はい。もちろん何度か来店してくださいましたし、いつも応援してくれています。本当に僕の恩人ですよ。社長がいなかったから、「プロレスリングBARカウント2.99」は誕生してないと思います。

──ちなみに借りたお金の完済は済んでますか?

コウジさん はい。完済してます。 



これからプロレスは面白くなると読み、2010年「プロレスリングBARカウント2.99」オープン



──あと、カウント2.99立ち上げた頃、他の大阪でプロレス関連の店はあったんですか?

コウジさん プロレスバーとは謳ってませんが、プロレス関係者が経営するバーがひとつかふたつあったかなと思います。プロレスバーについて他の競合を調べると当時はなかったんです。以前プロレスバーはあったんですけど潰れていて、これを競合がないからチャンスと捉えるのか、ニーズがないと捉えるのかの二択でした。開店した2010年のプロレス界は暗黒期を抜けかける頃で、僕自身は面白くなってきたと感じていて、これからもっとプロレス市場は上がると判断して、勝負に出ました。まず、どこでやるのかというは大事だったので事前にリサーチして、やっぱり大阪のプロレス熱はキタ(梅田)よりミナミ(難波)で。ミナミなら大阪府立体育会館だなと。その近辺から空店舗を探したのですがなかなか入れる店舗がなくて、たどり着いたのが今のテナントビルで、目の前には「ムーブ・オン アリーナ(デルフィン・アリーナ、道頓堀アリーナと呼ばれ、かつて大阪プロレス常設会場として使用されていた。2015年に閉店)」がありました。

──ムーブ・オン アリーナの近くだったのは偶然だったんですね。

コウジさん 本当に偶然でした。当時の大阪プロレスを誌面では追ってましたけど、試合は見に行ってなかったので、物件を見に行った時に「大阪プロレスの常設会場、ここなんや」と驚きました。そしてもう、ここでやるんだなと良い解釈をして契約しました(笑)。

──思い切った決断をされたわけですね。

コウジさん 今、考えるとよく勝負したなと思いますよ。その後、プロレスファンの兄を筆頭に色々な方の協力があって開店することができました。当時は大阪にこういう店がなかったので、プロレス関係者の皆さんもものすごく協力的な方が多く、プロレスラーやプロモーターさんをたくさん紹介していただきました。でも、その半面、一部のプロレスラーには「こんな店やるのは金持ちの道楽か、ただのアホしかいないわ」と言われて、馬鹿にされたこともありました。

──それは言われた側はカチンときますね。私もプロレスラーを含めて色々な方に取材してきましたけど、大物になればなるほど、そのような不用意な発言はしないですね。

コウジさん その通りです。大人な対応しないと、どこでどう繋がるかわからないじゃないですか。仮に思っていても相手に不快になると察したら、その本音は言わないですよ。場をわきまえますから。



早い段階で経営は安定するも、自分自身の器とスキルが追いつかなった



──2010年にカウント2.99を開店して、そこから「これはいけるな」と思えるようになったのはいつ頃ですか?

コウジさん 開店してから1年目から売上があがって、半年ぐらいで経営は安定しました。そういう意味では結構早い段階でいけるなと思いました。ただ、せっかく皆さんのおかげでお店を軌道に乗せてくださったのに、そのスピードに自分自身の器とスキルが追いついてなくて。背伸びばかりの毎日ですごく辛かったです。揉め事もよく起こしましたし人間的にもまだまだでした。自分で始めたお店だったのに、「カウント2.99」の名前が勝手に一人歩きした時期があって、自分のお店とは思えなくなってしまってもう辞めようかなと思った時もありました。

──今、おっしゃった話でいうと、店の売上スピードに対して、ある程度自分が追いついてきたなと思えたのはいつ頃になりますか?

コウジさん 心技体が揃ったと感じたのは9年目ですね。日々の通常営業であったり、たくさんのプロレスラーが当店でイベントをしていただいて、自信とか色々なものを積み上げていったんですけど。9年目にそれまで数回当店でイベントをやっていただいていた飯伏幸太選手とバースデーイベントをしようとなりまして、お店を飛び出して開催しようとなりました。具体的に言うと、ライブハウスを借りて150人ぐらいお客さんを入れて。結果、飯伏選手の表現を借りるなら「大爆発」したんです。その瞬間もですがイベント終わってから、この仕事を始めてから自分が持っていたマイナスの感情があのイベントで一気にプラスへ転じたというか、大きな自信になったんです。あのイベントで辛かった時の負の感情が精算できたなと。バーテンダーが本職なんですけどね(笑)


店内でプロレスの映像しか流さない理由


──これは聞いてみたいなと思ったのが、以前お客さんとしてカウント2.99に行った時に、コウジさんが「プロレスバーを立ち上げてから、格闘技中継を流そうかなと思ったりもたけど、最終的には流さなかった」という内容を言われてたのも覚えているんです。他のプロレスバーだったら、格闘技中継や普通にテレビ番組を流すところもあったりするじゃないですか。

コウジさん はい。

──カウント2.99では、プロレスしか店内に流さないという理由は何だったんですか?

コウジさん それはジャイアント馬場さんの理論で「みんなが格闘技に走るので、私、プロレスを独占させてもらいます」ですよ(笑)。プロレスバーをやるなら、基本的にプロレスだけ扱います。実は最初はスポーツバーにしようかなと迷ったこともありました。スポーツバーを名乗っていてプロレスを中心に扱っているところがありますけど、その気持ちは分かるんです。サッカーが盛り上がっていたらサッカーを扱いたいし、野球が盛り上がっていたら野球を扱いたいから。でも僕はサッカーも野球もそこまで詳しくない。専門店(コンセプトBAR)をやるなら、店のスタッフが詳しくないといけないと思うんです。詳しいスタッフがプロレスに絞って運営をする。そうすることでプロレスファンは全部取り込みにいきますよと。プロレスだけに特化してプロレスのファンの方に知っていただくやり方を取ったっていう感じですね。

──そうだったんですね。

コウジさん お客さんに言われるまで気づかなかったんですけど、Googleで「プロレスバー」で検索した時に何年目かの段階でカウント2.99がトップに出るようになったんです。特にSEO対策をしたわけではなくて。それはプロレスに特化して店を運営した結果だと思います。

──そこは格闘技に寄り道をしなかったっていうのが正解でしたね。

コウジさん そうですね。本当にプロレスを独占するというやり方ですよ。

──馬場イズムですね(笑)。

コウジさん ハハハ。新日本ファンだったのに、馬場イズム(笑) でも言えることは、見てきたプロレス全てが経営に生きています。



お客さんが来たいなと思わせる話題作りや情報出しを常にやらないといけない


──ありがとうございます。ではカウント2.99を経営していく上での苦労についてお聞かせください。

コウジさん 苦労は今でもありますよ。とにかくうちは何かやっている感を常に出しています。周りのイメージは「カウント2.99はいつもイベントをやっている」というのがあると思うんですけど、それをずっと意識しています。

──カウント2.99開店当初からですか?

コウジさん はい。それは今も変わらないですよ。止まったら終わりやと。新しいメニューやイベントを常に考えないといけないという苦労はあります。バーという待ちの仕事ですけど、お客さんが来たいなと思わせる話題作りや情報出しは絶対、僕はやらなあかんと思ってるんですね。カウント2.99に来ていただける努力をしないと。ただ毎日お店に来てお客さんを待っているだけではダメ。昔みたいに有料で広告出していく時代ではなく、SNSは無料で宣伝できるんですから利用しないなんかもったいない。だから、常に「攻めの姿勢」です。あと新鮮なものを出さないとお客さんも飽きちゃうので、「今月どうしようかな」とずっと考えてますよ。

──それはこの店をやり続ける限りは続くでしょうね。

コウジさん そうですね。



プロレスラーは本当に面白いので、イベントでその魅力を届けたい



──カウント2.99さんで手掛けたイベントで思い出のイベントはありますか?

コウジさん うちのホームページには過去来ていただいたレスラーさん絶対毎回、お写真いただいていて掲載しているんですけど、もう300本以上イベント開催させていただいているんで、思い出はいっぱいですね。

──開店して13年で300本以上のイベント数って尋常じゃないですね。

コウジさん イベントも「攻めの姿勢」ですから(笑)。最近では藤波辰爾選手、古くは藤原喜明選手、天龍源一郎さん、小橋建太さん、蝶野正洋選手といったレジェンドレスラーの皆さんは子供の頃にテレビで見ていましたから。自分のお店に来ていただいたのはすごく嬉しかった思い出ですね。あと今WWEで大活躍しているASUKA選手(明日華/華名)やイヨ・スカイ選手(紫雷イオ)、新日本だと棚橋弘至選手、真壁刀義選手、矢野通選手といった現在活躍しているレスラーのイベントも手掛けさせていただいて。振り幅でいうとDDTのヨシヒコ選手のイベントも開催しましたから(笑)。ヨシヒコ選手のイベントをやったのはうちだけだと思いますよ。

──DDT系の飲食店でもヨシヒコイベントはなかったように思います。

コウジさん あのイベントはファン参加型で、ヨシヒコ選手が何を言ったのかを心の声で聞き取っていく感じのイベントでした(笑)。

──ハハハ(笑)。最高です!

コウジさん うちのイベントは単純に僕が「この人に会いたい」「この人の声を聞いてみたい」と思った人にオファーしています。昔は、ASUKA選手やハヤブサさんへアメブロのメッセージ欄からお声かけしましたし、最近開催した新崎人生選手はみちのくプロレスのホームページにメールを送らせていただきました。やっぱりイベントをやるなら常に面白いことをやりたいですね。誰もやったことがないことをやりたい。プロレスラーは本当に面白いですから、そこを皆さんに届けたい。

──本当に幅広くイベントを手掛けてますね。

コウジさん レジェンドレスラーからメジャー系のレスラーのイベントを数多く開催した結果、安心感や信頼感を得たのかなと思います。「大阪でイベントをやるならカウント2.99がいいな」と思っていただけることも多くなり、年々イベントのお声掛けをいただける機会が多くなりました。もちろん、一つ一つのイベントをしっかりとやらせていただきましたし、オフィシャルサイトをちゃんと作って過去のイベント写真をはじめ情報や実績を正確に掲載して、このお店なら大丈夫だと思っていただける仕組み作りはしっかりやりました。そこはサラリーマン経験が生きています(笑)

──大阪でプロレスのトークイベントをやるにしても、やるところが少ないんですよね。

コウジさん そうですね。歓談系のイベントはありますけど、MCがマイクを持ってちゃんとトークイベントを回すタイプはあまりない気がします。僕はプロレスラーの話を聞きたいので、基本はトークイベントでお願いすることが多いです。イベントと言う限りトークショーは必須だと思っていますし。歓談イベントは歓談なりの良さはもちろんありますけどね。

──確かにそうですね。

コウジさん 実は最初の数回は知り合いの方に進行をお願いして僕はスタッフしてサポートしていたのですが、進行があまりにも面白くなくて(笑)いつからは僕が自分で進行をやるようになりました。イベントをすごいペースで開催していることもあって、自然とMCもやれるようになりました。実はうちで一番イベントをやったのはイヨ・スカイ選手(その当時は紫雷イオ)で10回以上です。彼女がイベントをやるにつれてどんどん出世していって、今や世界のトップレスラーじゃないですか。本当に感慨深いですし、いつか凱旋イベントをしたいなと夢を描いています。

──今はイヨ選手とASUKA選手でWWE女子タイトル戦をやる時代ですからね。

コウジさん そうですよね。凄い時代になりました。こういうトークイベントというのは業界のスターに直で触れられる貴重な機会なんですよ。イベント内外でのスターの振る舞い方や生き方を近くで体感できたのは僕の大きな財産になりましたし。だから、お客さんにも触れてほしいなと年々思うようになりましたね。
(第2回終了)