Fried rice | 夢だけど、夢じゃなかった世界一周!

夢だけど、夢じゃなかった世界一周!

他とは違って、あんまり良い事書かないけど。



初めて彼らに出会ったのは小学校3年生くらいの時だった。
出会った場所はNHK

第一印象はとても不思議で、理解しあう事は不可能だと子供ながら感じていた。







それから3年の月日が経ち、気付けば小学6年生になっていた。

次第に成長していくにつれ、彼らを生活の中で見かける事も多くなった。
が、やはり理解する事は不可能だった。


そんなある日
担任だった山崎先生が手作りで作ったであろう彼らを、クラス全員に会わせた。

紫色のジャージのズボンに薄黄緑色のポロシャツ姿が良く似合う山崎先生が作った彼らは
ちょうど、トランプを半分にした感じの大きさで、彼らが離れ離れにならない様に
しっかりと金具で止められていた。


初めまして


と言いたい所だが、僕は何度か会っている。


数えると彼らは26人もいた。
当時の僕のクラスは22人。

とりあえず名前を覚える事から始まった。






汗を流しながら作ったカレーライス!


と卒業式で言うお決まりのフレーズや、校歌の練習とやらで、彼らの名前を全て覚える事は出来なかった。

いや、正確には覚えようとさえしなかった。



卒業式当日、山崎先生は泣いていた。











それから数週間が経過
班長旗を持たない代わりに、自転車のハンドルを持ち
毎日同じ、ぶかぶかの格好で
片道20分かけて通う新たな生活が始まった。




そこで、再び彼らと再会する。

しかし、変わり果てた彼らの姿に僕は言葉を失った。

何故なら、僕が知っている彼らは大きい方だけだったからだ。
小さい方の姿は見た事もなかった。
それに加え、無限に組み合わさる彼ら


声を掛ける事は出来なかった。


どうにか理解しようと精一杯触れてみる。

しばらく彼らに触れ、大きい方も小さい方も少しずつだけど、名前も覚えてきた。






月に1度の席替え

僕は澤田さんと言って、クラスで1番頭の良い女の子の隣になった。

三つ編みのツインテールで、メガネをかけていて、制服のリボンがいつも真っ直ぐな澤田さんの隣は嬉しかった。

分からない事を聞けば嫌な顔一つせず
優しく教えてくれた。

彼らとの接し方も澤田さんに聞いて
何とか必死でついて行こうとした。

澤田さんのおかげで、少しずつだけど彼らとの接し方が分かってきた様な気がした。



これからだ!
きっと、これから理解できるに違いない。
そう確信していた。



が、そんなに世の中は甘くなかった。




蝉が鳴き始めた初夏の事
生まれながらにして、彼らと深い絆で結ばれていると言うポール先生が来た。

ポール先生は金髪で長身で体格も良く、あと少しでスーパーサイヤ人にでもなれそうな感じの先生だった。

ポール先生は僕の教室に入るなり
彼らを音速のスピードで放つ。


教室中に彼らが消えては現れ、消えては現れを繰り返す。


僕の右手は完全に停止していた。


いつも僕に彼らとの接し方を教えてくれた澤田さんは、3の川と言う列にいる。


その時、僕は1の川と言う列だった。


男女平等社会となった僕の隣には
滑舌の悪い、ゆうた君。

やっと、生麦生米生卵が言えるようになったぜ!
と白い歯を見せ満面の笑みで僕を見る。

ゆうた君は、僕以上に彼らとの接し方を知らなかった。


その後も、ポール先生の授業は続き
次々に彼らを放つ

到底、分かり合えるはずも無い


スラムダンクで言ったら
耳には入っていたが、頭には入っていなかった状態だった。







時間の経過と共に
僕と彼らとの溝はどんどん深まっていった。

全人類を好きになる事が出来ない様に、僕も彼らを好きになる事は出来ない。



この時、僕は彼らを見捨てた。












1年、2年と時が経つにつれ
気付けば彼らを益々嫌いになっていた。

ぶかぶかだった服も気付けば窮屈になっていた。


それでも年に8回程、彼らに試される時がある。
1番嫌いな時期だ。

もちろん真剣に彼らと向き合ってない僕は、ゆうた君と最下位を争うほど彼らとは仲が悪い。


でも、4つの中から選択するタイプの彼らは少し優しくて好きだった。
















更に時が経った。

新たに母のお弁当が僕の持ち物に加わった。
水筒も加わった。
携帯も持つようになった。
ハンドルも少し変わり、サドルも高くなった。
片道20分から40分と倍になった。
スクールバックとやらを持つようになった。
ズボンをちょっとだけ下げて、履くようになった。
髪型を意識するようになった。



一緒に受験したゆうた君は

そこにはいなかった…







少しずつ変わっていく生活の中で、変わらない物があった。

それは、どうしても彼らを好きになれない事

その場所でも同じように
年に8回、彼らに試される時がある。

今までと違うのは、彼らに選別される事。


もちろん僕は、彼らが大っ嫌いなので
彼らに赤く染められたりもした。

赤く染められたばかりに、夏休みや冬休みなどの貴重な時間を削り、片道40分かけて彼らに会いに行く。



余計、嫌いになっていた。
もう、どうにでもなれ

と思っていた。


それでも、4つの中から選べるパターンの彼らは僕を裏切らなかった。



そんな事を3年間ほど繰り返し、もう2度と彼らと触れ合う機会が無くなった。


日常で彼らを使う事もない。

たまに音楽を聴いてて、彼らがちょこっと顔を出すくらい。


僕の人生に彼らは必要無かったんだ。


これからは彼らと接する事もない。





メールアドレスは、依然単純なまま。






















それから数年後

気付けば再び彼らと向き合っていた。
いや、向き合わされている。

毎日、毎日、四方八方から彼らの存在が消えては現れる。


彼らに会わない為には、目をつぶり耳を塞ぐしかない状況にいる。


これは自らが望んだ状況で、こうなる事は最初から知っていた。



再び彼らと向き合おうと努力してみる
が、数十年で生まれた溝は深かった…


やっぱり彼らを好きになれない。



そして
これからも彼らと向き合ってはみるけれど
彼らを理解する日は来ないだろう…





そう思った今日この頃。







僕がこの日、放った彼らは

Excuse me
How much?
Thank you
Fried riceだけだった。



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Fried rice 15000K(約230円)








See you Tomorrow
(^o^)/

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