あらためて書きためたものを見ると、こんなのも書いていたんだなぁと思い出されます。

故郷の北海道の海岸部ではこの時期、波の花という泡が舞い上がります。

懐かしく思いアップしました。


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『波の花』





 「雪!」彼女は、弾む声で言った。
 「いや、そんなに冷えてないはずだ」ぼくは、落ち着いて否定した。





 ぼくたちは、羅臼の海岸沿いの打ち捨てられた番屋の中で暖をとっている。
 あまり、火などを焚いて痕跡など残したくないのだが、彼女の体力を考慮しての行動だった。

 予定外の行動。

 ぼくは、心の中で自分自身をなじった。
 オペレーション内容には無かったことだ。ただ、教団内部を調査し『こちら側』の秘匿文書が漏洩してるなら、その建屋ごと文書を始末するだけの簡単な任務だった。
 しかし、そうはならなかった。
 教団は、北側の『浸透組』幹部の娘を拉致監禁していたのだ。

 二ヶ月前から東千歳駐屯地の通称『象の檻』という通信傍受施設に詰めて、全ての通話を盗聴していたのに関わらず、この事実を突き止めることが出来なかった。自分の無能さに苛立ちが込み上がってくる。往々にしてオペレーションに突発的な事態というものは付き物だが、大きな土産を持っての退避行動はいささか骨が折れる。
 右大腿に突き刺さったままの鉄板の破片を、苛々と見つめながら沸き上がる忿懣の中に身を置いていた。 

 「大丈夫ですか?」

 この状況においても凛としている。たいしたものだ、他人の心配までするなんて。彼女の育ちの良さに舌を巻く。
 「あぁ。下手に引き抜くと鉄板の尖端が曲がってたりしたら、出血多量であの世行きだからな。当分お付き合いは覚悟しなきゃいかん。あんたともな」
 彼女は本当に心配そうに眺めている。(なんて顔しやがる……)ぼくは、心の中で毒づいた。

 『自らの不祥事は、自ら決着を』が、今次オペレーションの指針だった。各省庁でもそんな対策に追われているのだろう。退避行動中に、知り合いのサツカンに公衆電話から聞いたところによると、サッチョウの長官の狙撃事件で、やっと重たい腰をあげた警視庁のハム(公安)が、次々に教団潜伏先を突き止め一両日中にも、潜伏先のガサ入れと被疑者の確保をするとのことだった。
 長くてあと二日は、この逃避行が続くと思うと気が重たくなる。

 10月の羅臼の海は、鉛色に染められていた。遮蔽物のない海岸沿いの番屋には容赦なく風が吹き付け、窓をがたがたと揺らし壁の継ぎ目から入り込む隙間風は、笛のような甲高い音をあげる。しかし気温は、そう低くないようだ。
 彼女は、曇った窓から外を眺め、感嘆の声をあげた。

 「雪!」彼女は、弾む声で言った。
 「いや、そんなに冷えてないはずだ」ぼくは、落ち着いて否定した。

 一段と高くなった波が岩場に打ち付けられ、そこから生まれる『波の花』。番屋の周りはふわふわと揺らめく、真っ白な泡でいっぱいになった。
 「きれい………」

 彼女の言葉に、不覚にもぼくは頷いていた。
 しばらくは、このままで。
 いつしか、ぼくは願っていた。


 しかし、いつまでも続くはずもなかった。波の音、風の音の分け目から二機の羽音を、ぼくの耳は聞き分けていた。
 AH-1S通称コブラ。二機の対戦車ヘリ、ガンシップを寄越した意味を察知し、「出ろ、今すぐにだ」と彼女を促し、岩場に逃げ込んだ。


 二機のガンシップは、無情にも波から生まれた泡を蹴散らし番屋に向けて機銃をばりばりと音をたてて一斉掃射した。曳光弾の光の束は、番屋をことごとく粉砕する。彼女は、喉をならして唾を飲み込み身を固くした。


 そうしてぼくらは味方からも追われる逃避行が、始まりを告げたのを知ったのだった。


                              (了)


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本文は全くのフィクションですから実在の団体等とは関係ありませんので
ご了承願います。






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