CIAはいかにして現代ドイツを創ったか

<記事原文 寺島先生推薦>
How CIA Created Modern Germany
筆者:キット・クラレンベルグ (Kit Klarenberg)
出典: INTERNATIONALIST 360° 2024年4月17日
<記事翻訳 寺島メソッド翻訳グループ> 2024年4月30日



象徴的なブランデンブルク門のそばに潜む広大な在ベルリン米国大使館

2月4日付の『エコノミスト』誌は、オラフ・ショルツが率いるドイツ社会民主党(SPD)の崩壊について、痛烈な分析、いや「事前検死」を発表した。2021年9月、西側メディアが同時に「衝撃的な」結果と報じた内容で当選した連立政権への期待は各方面で高かった。しかし現在、ショルツ首相の支持率は現代史上最悪で、全国世論調査でもSPDの支持率は15%以下である。

『エコノミスト』誌は、ショルツ党首の失脚と、ドイツ政治における重要な勢力としての同党の消滅を、ベルリンの経済的・政治的影響力低下の縮図としてとらえている。彼の在任中、国家財政は「ぐにゃぐにゃ」になり、ビジネス部門の自信は崩壊し、記録的なインフレが市民の収入と貯蓄を破壊したと指摘している。他の情報源は、この国の「脱工業化」について詳述しており、『ポリティコ』は「ライン川沿いのラスト・ベルト(錆びたベルト地帯)」というニックネームをつけた。

悪化の一途をたどるドイツの苦悩についての上記の考察に歩調を合わせ、エコノミスト誌の厳しい診断は、2022年2月にロシアに課された西側の制裁がどのようにベルリンの危機を引き起こしたかについて言及していない。ショルツはバイデン政権が推進した 「ルーブルをラブル(瓦礫)にする」ための顕著なチアリーダーだった。その努力が見事に裏目に出て、もはや無視もできないし、また方向転換もできなくなった今、「どんな現実的な机上演習でも容易に予測できたことは」、制裁が失敗するだけでなく、制裁者にブーメランとなって突き刺さることだと『ニューズウィーク』誌は認めている。

ウクライナ侵攻を事前に予測していた数少ないアナリストたちは、ベルリンがアメリカの反撃を、特に金融面で支援し、容易にするだろうと予測したが、ことごとく外れた。彼らは、ドイツには(主権国であれば)必須の自治的な判断力があり、帝国のために故意に経済的自殺をすることはないと考えていた。しかし結局のところ、この国の安定、繁栄、権力は、安価で入手しやすいロシアのエネルギーに大きく依存していたということだ。その供給を自ら終わらせることは、必然的に悲惨なことになる。

こういった落ち度については許せる。ベルリン、特に統一後のベルリンは、自国とヨーロッパの最善の利益のために行動する良識ある人々に率いられた主権者として、自国を世界にうまくアピールしてきた。しかし実際には、1945年以来、ドイツは米軍施設の重圧に溺れ、政治、社会、文化はCIAによって積極的に形成され、影響を受けてきたのだ。

この知られざる現実は、CIAの内部告発者であるフィリップ・エイジが1978年に出版した暴露本『ダーティ・ワーク(闇の仕事)』(邦題『西ヨーロッパにおけるCIA』)に詳しく書かれている。ベルリンの本当の責任者は誰なのか、そしてドイツで選出された代議員が実際にどのような利益のために働いているのかを理解することは、なぜショルツらがあれほど熱心に自滅的な制裁を受け入れたのかを理解するための基本である。そして、なぜノルドストリーム2の犯罪的破壊の事実が決して明らかにならないのかということである。

「巨大な駐留軍」

第二次世界大戦後、アメリカは誰もが認める世界の軍事・経済大国として台頭した。エイジが書いているように、その後のアメリカの外交政策の最大の目的は、その独占的な指導力の下で「西側世界の結合力を保証する」ことであった。CIAの活動はそれに応じて、「この目標を達成するために向けられた」。帝国の世界支配計画のために、「左翼反対運動はいたるところで信用を失墜させ、破壊しなければならなかった。」

イギリス、フランス、アメリカのそれぞれの占領地域から西ドイツが誕生した後、この誕生間もない国、西ドイツはこの点で特に「重要な地域」となり、ヨーロッパその他の地域で「広範囲に及ぶCIAプログラムの最も重要な作戦地域のひとつ」として機能した。西ドイツにおけるCIAの国内活動は、同国が「親米」であり、米国の「商業的利益」に従って構成されていることを明確に意識したものであった。

その過程でCIAは、キリスト教民主同盟(CDU)や社会民主党(SPD)、労働組合を秘密裏に支援した。CIAは「二大政党の影響力を、左派の反対勢力を締め出し、押さえ込むのに十分なほど強くしたかった」とエイジは説明する。SPDには急進的なマルクス主義の伝統があった。SPDは、ドイツのナチ化の基礎を築いた1933年の全権委任法に反対票を投じた帝国議会で唯一の政党であり、ナチスの禁止令につながった。

戦後、新たに党組織を立て直したSPDは、1959年までその革命的ルーツを維持した。その後、ゴーデスベルク綱領*のもとで、資本主義に真剣に挑戦することを放棄した。CIAがSPDの急進的傾向を中和させることに明確な責任を負っていなかったというのは、信憑性を欠く。
ゴーデスベルク綱領*・・・ドイツ社会民主党の1959年から1989年までの綱領。 1959年11月、バート・ゴーデスベルクで開催された党大会で採択された。このため、この綱領はバート・ゴーデスベルク綱領とも呼ばれ、1925年のハイデルベルク綱領を破棄し、階級闘争を正式に放棄したことで知られている。(ウィキペディア)

いずれにせよ、西ドイツの民主主義を効果的に支配制御することで、ワシントンの「巨大な駐留軍」(数十万の軍隊と300近い軍事・諜報施設を含む)は、国民の大多数が一貫してアメリカの軍事占領に反対しているにもかかわらず、どちらが政権与党であるかに関係なく、政権担当者が異議を唱えることはなかった。

エイジによれば、この駐留軍がCIAに「さまざまな隠れ蓑」を与えた。CIAの工作員の大半は、兵士を装って米軍に潜入していた。CIAの最大の拠点はフランクフルトの陸軍基地だったが、西ベルリンとミュンヘンにも部隊があった。アメリカの工作員は「電話を盗聴し、郵便物を開封し、人々を監視下に置き、諜報通信の暗号化と解読を行う高度な資格を持った技術者」であり、「国中で」働いていた。

専門の部署は、SPDやその選出議員など「政治体制内の組織や人物と接触する」任務を負っていた。収集された情報はすべて、その組織への「潜入と工作に使われた」。CIAはさらに、多くの国内スパイ活動において、西ドイツの治安当局と「非常に密接に」協力し、西ドイツのさまざまな情報機関がCIAの直接の命令で活動を行なった

「信用失墜と破壊」

エイジによれば、CIAと西ドイツとの親密な関係には「問題」もあった。CIAは彼らの子飼いを完全に信頼することはなく、彼らを「監視」する必要性を強く感じていた。それでも、1970年にCIAが西ドイツの対外情報機関である「連邦情報局(BND)」と提携し、スイスの暗号会社「クリプトAG」を秘密裏に買収することに、この信頼の欠如は何の障害にもならなかった。おそらくこれは、「CIAの活動をいかなる法的影響からも守る」ために行なわれたのだろう。

「クリプトAG」社は、外国政府が詮索好きな目から安全に、機密性の高い高度な通信を世界中に送信できるハイテク機器を製造していた。そう彼らは考えていた。現実には、「クリプトAG」社の秘密の所有者、ひいてはNSA(米国国家安全保障局)やGCHQ(英国情報通信本部)は、彼ら自身が暗号コードを作成したため、同社のデバイスを介して送信されたメッセージを簡単に解読することができた。この共謀はその後数十年にわたり完全に秘密裏に行われ、2020年2月に初めて明らかになった。

「Crypto AG」社を通じて収集された情報の全容や、CIAも所有していた主要な競合会社「Omnisec AG」を通じて収集された情報がどのような邪悪な目的で使用されたかは不明である。しかし、収集されたデータが、西ドイツ内外の左翼反体制派の「信用を失墜させ、壊滅させる」ためのCIAの作戦に役立ったとしても、まったく不思議ではない。

冷戦は終わったが、ドイツは依然として占領されている。ベルリンの壁崩壊後の数年間、国民の圧倒的多数が米軍の一部または全部の撤退を支持していたにもかかわらずドイツはヨーロッパのどの国よりも多くの米軍を受け入れている。2020年7月、ドナルド・トランプ大統領(当時)は38,600人の米軍部隊のうち12,000人の撤退を発表した。



その撤退は現在は破壊されてしまっているノルト・ストリーム2の建設に賛成したドイツを罰することを狙ったものだったが、世論調査によれば、ほとんどのドイツ人は大喜びで「(米軍よ)auf wiedersehen(さようなら)」と言っていた全体の47%が撤退に賛成し、4分の1が自国内の米軍基地の永久閉鎖を求めた。しかし、ホワイトハウスに就任してわずか2週間後、ジョー・バイデンは前任者の方針を覆し、すでに撤退していた500人だけ兵士を帰還させた。

大統領はまた、シュトゥットガルトを拠点とするアメリカ・アフリカ司令部を、事実上ワシントンをアフリカ大陸の53カ国の軍隊に組み込むために、ヨーロッパの他の場所に移転させる計画を破棄した。調査によれば、同司令部の訓練プログラムは、アフリカにおける軍事クーデターの数を大幅に増加させたという。エイジが証言したように、米軍基地はCIAスパイの温床である。したがってベルリンは、ドイツ人が好むと好まざるとにかかわらず、「CIAの遠大なプログラムにとって最も重要な作戦地域のひとつ」であり続けなければならない。