インターネット政治運動の歴史6 ――北朝鮮「拉致」発覚の衝撃― | 十姉妹日和

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つれづれに書いた日記のようなものです。

 世の中にはときどき不思議な符合というものがある。
 この2002年の半島情勢をめぐる動きもそうした一つだろう。
 もともと北朝鮮と朝鮮総連への批判を中心に展開されていたネット壮士たちの活動は、この年から次第に韓国批判、マスコミ批判を中心としたものに変化していく。
 このため最近のネットの保守層とされる人々を見ても、韓国への関心ほど、拉致問題を除けば北朝鮮への関心はあまりない。
 
 ここにネットの社会運動のひとつの特徴がある。
 それはある批判の対象が広く世間の関心事になったとき、当初からその問題を追及してきた人々の関心は、むしろ別の方面に向かうというものだ。

 

 振り返ってみると、当時北朝鮮という「国」はまだ多くの日本人にとって謎に包まれた存在だったといってよかった。
 長距離弾道ミサイルの発射や、不審船事件以降、世間でも徐々にある程度の「脅威」と見られていとはいえ、北朝鮮という国の思想や、彼らが関わっているとされる覚せい剤の密輸疑惑などは、どこか実感のない、遠い国の出来事のように思えたのである。


 そうでなければ、あれほど北朝鮮を擁護する人々が堂々と主張を展開することはできなかったろう。
 だが、こうした流れは2002年の小泉総理大臣による北朝鮮訪問を契機に一変することになる。
 その「とどめ」となったのはもちろん拉致事件の判明だった。

 

 小泉総理の訪問前、すでに北朝鮮が日本人を「拉致」しているという情報は、かなりの信憑性の高いものであると見られていた。

 

 以前にも述べたようにネット壮士たちもまた早い時期から北の拉致疑惑を追及しており、2ちゃんねるの中だけではなく、朝鮮半島に関する問題を討論する外部の掲示板などでも盛んに論戦を展開していた。

 

 当時北朝鮮よりとされた人々には「拉致をでっちあげとしてまったく否定する」ものと「一部の拉致とされる事件に北朝鮮の人間が何らかの関与していた可能性は排除しないが、多くは疑惑に過ぎない」という意見が主であり、ネット壮士たちはこれに対して、韓国で拘束された北朝鮮工作員などの証言を元に、事件の実在性を証明しようとしていたのである。

 そのため、相手も必然的に北朝鮮に近い人間になっていた。
 
 この頃のネットの議論の水準が高かった理由のひとつには、当時ネット壮士たちが相手にしていたのは本物の北朝鮮関係者と見られる相手が多かったためもあるという。


 北朝鮮、そして在日北朝鮮人にとって、この「拉致疑惑」はそれだけ大きな問題であり、拉致そのものを捏造とする人々の中には「北朝鮮を陥れようとする、米国や韓国による策謀である」という者もいた。
 そのため拉致が実在する問題かどうかについては、相当に「思想闘争」の側面が強くなっていた。


 ただ、そうした思想的な面を別にすれば、すでに北朝鮮の拉致は半ば確定した事実であることは疑いがなかっただろう。


 それは拉致被害者の一人、調理師の原敕晃さんを拉致し、彼になりすまして工作活動を行っていた北朝鮮工作員の辛光洙の証言などからも明らかだった。


 このため、当時北朝鮮を擁護していた文化人らは、すでに拉致問題の全面的な否定は難しいと見ており、「拉致」の疑惑の内、どこまでが実際に行われたものなのかを線引きしようとしていた。


 とりわけこの拉致疑惑の中でも、その議論の中心になっていたのは当時13歳で北朝鮮に拉致されたとされたとされる少女「横田めぐみ」さんに関してであった。

 

 横田さんのケースがそれだけ重要な意味を持っていると彼らが考えた理由は単純である。


 それは拉致の対象となった人物が「成人」であれば、「本人の自由意思による渡航だった」という言い訳もできるが、それが13歳の少女となると「無差別に日本人を狙った国家犯罪を行っていた」という批判を避けられず、また国際社会からの批判も相当に強まるのも見えていた。

 ようするに横田さんの存在が「拉致問題のシンボル」になることを彼らは恐れたのだ。


 このため、横田めぐみさんの拉致をめぐっては、いくつもの懐疑論や否定論が展開された。

 

 社民党はネット上に社会科学研究所の北川広和氏による「食糧援助拒否する日本政府」(月刊社会民主7月号 よりの転載)という論文を掲載し。

 

 「二〇年前に少女が行方不明となったのは、紛れもない事実である。しかし、それが北朝鮮の犯行とする少女拉致疑惑事件は新しく創作された事件というほかない。
 証拠は何一つない事件、本当にいるかはっきりしない元工作員の又聞き証言だけが根拠となっている事件、その証言内容も矛盾だらけの事件、そして新しい意味付与がなされている事件、それが拉致疑惑事件の実態である。
 拉致疑惑事件は、日本政府に北朝鮮への食糧支援をさせないことを狙いとして、最近になって考え出され発表された事件なのであるる(原文ママ)。」


 と、述べ、拉致疑惑をほぼ全面的に否定した(なお、この論文は拉致を北朝鮮が認めた後も社民党が削除しなかったことから、ネットではさらに批判されることになる)。

 

 http://nyt.trycomp.com/hokan/syamin07kitagawa.html


 ここでいう二十年前の少女行方不明事件とはもちろん、横田めぐみさんのことだろう。


 同じく、過去に不審船問題などでたびたび日本政府に批判的な見解を示していた東京大学の和田春樹名誉教授も「『日本人拉致疑惑』を検証する」とした論文で、横田めぐみさんの拉致疑惑を否定的に論じている。

 

 「以上見てきたように、横田めぐみさん拉致の情報は、その内容も、発表のされ方も多くの疑問を生むものである。
 安明進の証言の進化のあとを、一九九四年、一九九五年、一九九七年、一九九八年こ系統的に点検すれば、信頼度が低いものと結論せざるをえない。
 となれば、石高氏が伝える韓国情報部高官の話しかのこらないのだが、石高氏の説明にも多くの疑問点が存在する。
  石高情報だけでは、一九九七年二月の時点で、日本政府自体が抗致疑惑を認定できないとしたのである。以上の検討からして、横田めぐみさんが拉致されたと断定するだけの根拠は存在しないことが明らかである。
 そういう情報が韓国情報機関から流されているのなら、拉致されたかもしれないという疑惑が生じうるという以上の主張は導き出せないと思われる。横田さんのご両親にはまことにお気の毒だが、それ以上の確たる材料は与えられていないのである。」

 http://nippon.zaidan.info/seikabutsu/2001/00997/contents/00334_004.htm 

 

 こうした拉致疑惑に対する消極的な姿勢は一部の文化人だけに限ったことではなかった。

 日本政策研究センターの岡田邦宏氏は、拉致問題の発覚後「拉致事件を放置した政治家・外務省・言論人『八人死亡』が事実なら、彼らを見殺しにしたのは誰か」と題する論文を掲載し、北朝鮮との外交担当部署である歴代のアジア局長がどのような発言をしていたかをはじめ、複数の政治家の名前や文化人の名を挙げて、その発言を引用している。

 いくつかを見れば。
 

 阿南惟茂アジア局長(当時)
 「拉致疑惑には、亡命者の証言以外に証拠がないわけなんですから慎重に考えないといけないんですね。韓国の裁判で証言があるといったって、韓国に捕まった工作員だから、彼らは何を言うかわからない」

 

 槇田邦彦アジア局長(当時)
 「たった十人のことで日朝正常化交渉がとまっていいのか。拉致にこだわり国交正常化がうまくいかないのは国益に反する」

 

 などがある。

 

 http://www.seisaku-center.net/node/401 より

 

 これはベテラン議員や外務省が拉致問題をいかに厄介なものと見ていたかをよく示しているといえるだろう。


 そのため拉致問題を北が公式に認める以前には、拉致被害者家族会などの動きを、あたかも北朝鮮との国交正常化を妨げる集団であるもののように批判する言動さえも見られた。

 拉致被害者の一人である地村保志の父、地村保氏は「拉致問題より国交正常化 国民無視の国会議員」というテレビ番組内でのインタヴューに答えて、具体的に数人の自民党の大物政治家の名前を実際に挙げている。

 

 参考:当時のテレビ番組の動画 https://www.youtube.com/watch?v=jIFigOqLiUE より

 

 その一人が小渕内閣で官房長官などを務めていた「大物ベテラン」の野中広務議員だった。
 かつて野中議員は2000年に北朝鮮への米支援が行われた際に、当時「救う会」や拉致被害者家族たちが外務省前で抗議の座り込みを行ったのに対して。

 

 「日本国内で一生懸命吠えても横田めぐみさんは返ってこない」

 

 と、発言したという。

 

 http://www.sukuukai.jp/mailnews/item_932.html より

 

 また、拉致問題の発覚以前に拉致問題を担当していた超党派議員の会「北朝鮮拉致疑惑日本人救援議員連盟」(拉致議連)の会長を務め、「日朝友好議員連盟」の会長にも就任していた中山正暉氏(自民党)なども。

 

 「政治家としての勘だが、色々でている話は、幽霊のように実態のないものだと思っている。往来が無かったがために、日本側はそうした幽霊の実態をつかめないでいた。往来を活発にすれば光があたり幽霊もいなくなる」

 

 http://www1.korea-np.co.jp/sinboj/sinboj2000/sinboj2000-9/sinboj000904/81.htm より


 と発言するなど、北朝鮮を擁護する発言を繰り返し、むしろこうした拉致の疑惑を提起することが両国関係の「妨げ」になっているという不快感を隠さなかったとされる。

 

 小泉総理による北朝鮮訪問はこうした議論が盛んであった時期だけに、北がトップ会談で「日本人拉致」についてどのような対応をとるかに、ネット壮士たちが注目したのは当然であった。


 その結果、小泉総理の訪朝はまさに一代転換点といえるほどの成果をもたらすことになる。


 北朝鮮は横田めぐみさんをはじめとする日本人の拉致を認め、しかも国の機関がそれに直接関与していたことまでも金正日総書記自らが認めるという衝撃的な事態となったのだ。

 

 これによって、これまで北朝鮮の拉致を否定していた人々は一気に梯子を外された形となり、窮地に立たされることになる。
 さらにこの発表は、それまで拉致をまだ「疑惑」と見ていた世間にも激しい動揺を引き起こした。
 しかも拉致被害者の多くがすでに死亡していたとするこの発表は、北が想定していた以上に日本人を激怒させ、北朝鮮を対外的な「脅威」と認識するのに十分なものだった。

 

 この世論の変化により、小泉総理との間に「日朝平壌宣言」を結び、国交正常化に一定の目処がついたと見ていた北朝鮮の思惑は大きく狂うことになる。


 試しにこの年、2002年度の12月に行われた内閣府の外交に関する世論調査を見ると。

 

 (12) 北朝鮮との国交正常化についての賛否

 9月17日,小泉総理は平壌(ピョンヤン)を訪問して,金正日(キム・ジョンイル)国防委員長との間で日朝首脳会談を行い,国交正常化交渉の再開に合意したが,北朝鮮(朝鮮民主主義人民共和国)との国交正常化についてどのように考えているか聞いたところ,「賛成」とする者の割合が66.1%(「賛成」23.1%+「どちらかといえば賛成」43.0%),「反対」とする者の割合が26.0%(「どちらかといえば反対」17.9%+「反対」8.0%)となっている。

 

 と、国交正常化には前向きな意見がある一方で。

 

 (13) 北朝鮮への関心事項

 北朝鮮(朝鮮民主主義人民共和国)のことについて関心を持っていることを聞いたところ,「日本人拉致問題」を挙げた者の割合が83.4%と最も高く,以下,「不審船問題」(59.5%),「核開発問題」(49.2%),「ミサイル問題」(43.7%)などの順となっている。(複数回答,上位4項目) 

 

 など、拉致問題や不審船事件への関心が非常に高かったことがわかる。
 

 しかし、なぜこのとき北は拉致を、しかも横田めぐみさんの拉致までも認め「なくてはならなかった」のだろうか。

 それにはいくつかの理由が考えられる。

 北朝鮮は当時、多年の食糧不足に苦しんでいた。
 しかもアメリカのブッシュ大統領が先に北朝鮮をイラクなどと並ぶ「悪の枢軸」と名指しで批判したこともあって、米国との対立を避けるためにも韓国との交流の加速や、日本との国交正常化を急ぎたいと考えたのは間違いないだろう。


 そうした中で、過去に行った拉致を「一部の人間によるもの」とはいえ、北朝鮮政府が公的に認めることは、これまでの路線から方向転換したことを世界にアピールしたい思惑があったともとれる。
 だが、これはまさに「世論のない国」の誤算であった。

 

 拉致の発覚後、世間に先行して、ネットでは拉致を認めない北朝鮮擁護論者はほぼ姿を消すこととなる。

 これにより、いよいよネット壮士たちの勢力も強まっていった。


 しかし、最初から拉致疑惑に関心を持っていた「古い層」のネット壮士たちは、まさに勝利の瞬間ともいえる拉致の発覚にもあまり沸きあがることはなかった。

 

 彼らとすれば、ようやく疑惑が事実と認められたことへの安堵と共に、これから朝鮮総連や、それに連なっていた擁護論者たちがどういった弁明をするのかを「生暖かく」見守れば、もうそれでよかったのだろう。
 これで在日韓国、朝鮮人社会がどうなるにせよ、それは彼ら自身が選ぶべきことである。
 日本人に対して謝罪するのならばそれもいい。
 あるいは従来通りに「日本人に差別されている在日」という態度をとるのなら、いずれ世論の風当たりは彼らにも向くのが見えていた。

 そうした孤立の道も一つの選択肢である。

 

 一方、日韓ワールドカップ以降、急速に勢力を増していた嫌韓厨をはじめとした強硬論者たちはそうではなかった。
 彼らは在日韓国、朝鮮人をこのときからますます強く憎悪するようになり、それと繋がりのあった左派系の文化人や政治家をも含めて「売国」、「工作員」と罵った。

 ここから彼らの主張は激しい、攻撃的な様相をますます強めていくことになる。


 だが、この苛烈さは従来コリアンウォッチャーたちからは過激なだけの嫌韓同様、むしろ迷惑なものであり、彼らはそれを横目に見ながら、やがて独自の方向で韓国との交流、研究をはじめるようになる。
 
 およそネットでは3、4年でひとつの世代交代が起きるほどに人の入れ替わりは活発だが、ネットの政治運動の担い手たちの傾向も同様に、こうして少しずつ変化していくのだった。

 

 (続く)