拉致問題の発覚と日韓ワールドカップが行われた2002年以降、ネットでは「日本という国をどのようにして守るか」という議論が次第に盛んになっていった。
これらは九十年代に強い影響力を持っていた、社民党などに見られる「憲法九条」を掲げる平和運動への批判としてまずあらわれた、
国内では拉致。海外ではアメリカの同時多発テロと、立て続けに世界情勢を変化させる事件が起きている今「平和憲法を守っていれば戦争に巻き込まれず、他国から攻撃されることもない」という主張は今やまったく現実味を失っているとネット壮士たちは考えていたからである。
今必要とされているのはそうした理想論や理念ではなお、もっと現実を踏まえた国防、戦略のプランでなくてはならない。
そうしたとき、まず日本が死守すべきものは「海洋権益」であると思われた。
日本は島国でありエネルギー資源をはじめ、海外からの輸入に頼っているものは多い。
もしも日本と欧州を結ぶ「シーレーン」が寸断されるようなことになれば、日本はたちどころに経済、物流共に多大なダメージを受けることになる。
すでに当時、南沙諸島では中国やフィリピンなどの国々が領有権をめぐって対立をはじめており、これがいずれ日本にも影響を与える可能性は十分に考えられた。
さらに日本海でも、竹島を韓国に事実上占領されており、北朝鮮の動向は不透明である上に、北方領土問題を抱えるロシアとどう向き合うかも重要な問題である。
こうした事態に対処するにはまず韓国の主張を封じ込め、北朝鮮に圧は力を加え、中国の脅威を共有する台湾や東南アジアとは連携を深めながら、日本にとっては軍事上の生命線となっている日米同盟を強化してロシアと対峙していくべき、といった議論がネットの一部では当時すでに行われていた。
このような議論がすんなりとネットで行えたのには、もともと軍事知識の豊富なユーザーが多かったのもその理由だろう。
ネットに特有のオタクらしい(一般人にはそれほど馴染みのない)知識が大いにここでは役立つこととなったわけである。
しかし、これはあくまでも仲間内の雑談の延長であった。
いくら国防意識に燃えて「国を守る」といったところで、日本の現状はあまりにも国民にこうした危機意識がなく、それだけに不安な要因が多すぎた。
まず、国民が独自の防衛力を持つということにあまり前向きでないことに加えて、日本の軍備は「日米同盟」を前提とした運用することを前提としているため、アメリカとの力関係ではどうしてもそれを無視することができず、外交でもなかなか強気には出られない。
法整備の面を見ても、不審船事件の対処でさえ武器の使用をめぐって社民党などから批判が起きるようではこちらも怪しい有様である。
そうした中で、日本は果たして単独で邦人を守ることができるのか。
これはとくにイラン、イラク戦争の経験からも日本の大きな課題となっていた。
これは1985年当時のことで、イランとイラクの拡大する紛争の中で、イラクのサダム・フセイン大統領は「48時間の猶予期限以降にイラン上空を飛ぶ航空機は、無差別に攻撃する」と宣言したことにはじまる。
このためイランに滞在していた外国人は次々と自国のチャーター便などを使い、海外へ脱出をはじめたが、このとき、日本は民間航空がイランとの空路をすでに廃止していたために困ったことになっていた。
そこで政府は臨時便を派遣して邦人を保護する方針を固め、日航(JAL)との間で交渉をはじめたものの、日航は乗務員の安全の確保がされていない状態で紛争地域に航空機を派遣することに難色を示し、話はなかなかまとまらなかった(ただし、当時安倍晋太郎外務大臣らが外務委員会で行った答弁によれば「昭和60年4月3日≪1985年参議院会議録情報 第102回国会 外務委員会 第4号」≫、最終的にイラン、イラク両国から日航機の安全を保障するとの約束がとれたことで日航側も納得し、臨時便を派遣するための準備はほぼ整ってはいたという)。
そして結局、臨時便の派遣が実行に移される前に、駐在イラン大使にトルコ大使経由で「明日、トルコ航空機が2機来る。空席があるから日本人の搭乗希望者数を教えてほしい」と連絡があり、トルコが邦人の脱出に協力してくれると申し出があったため、政府もこれを了承する形で200人の在留邦人はトルコ機によってイランから無事脱出することに成功した。
この逸話はトルコと日本の友好を象徴する出来事としてネットではたびたび話題にされたが、その反面で、自国で臨時便を派遣する用意まではできていたといっても、最終的に他国に邦人の保護を託す形となったことは、日本政府に大きな課題を残すことになる。
事件後、当時の安倍晋太郎外務大臣は次のように答弁している。
「ちょっと私の感想を述べさせていただきますと、こういうふうな非常に緊急を要する事件というのは、まさに瞬時にして決断をしなきゃならぬ場合も多いと思いますが、今回においては情報収集あるいはまた現地の大使館の対処というものは非常に適切であったと思いますし、また外務省の対応も私は間違ってなかったと思っております。
揚げ足取りをする人たちは別にしまして、全体的には非常にそういう面ではうまくいったんじゃないか、ちょっと間違うと大変なことになったわけですから、そういうふうに私は思っておるわけですが、あえて欲を言わせていただきますと、やはり日航機を飛び立たせるということについて、手続とか時間的なロスがどうしても出てきますので、ああした状況を我々見ておりまして、刻一刻在留邦人の動き等が伝えられるに当たりまして、こういう際に政府専用機でもあってぱっと飛び出すことができれば、これは全くこういう際にはいいがなということは、私はその際に非常に痛感をいたしたわけです」
こうした反省から政府専用機の導入は1987年に閣議決定され、1991年から就航されることとなる。
しかしこの有事の際に後手後手にまわる対応はどこか「経済大国」、「先進国」としての日本のイメージに比べて、「情けない」と多くのネット壮士たちが感じるものがあったのは確かだろう。
つまり日本の国防の課題とは、まず国民の意識がいまだに90年代以来の平和主義が強く、国民に国防そのものに関心がないことに加え、将来の有事(危機)を見据えての準備がまだまだ不足していることにあった。
こうした課題は国防だけに限ったことではない。
むしろそれ以上に問題は外交姿勢にあると見ていた。
とくにこの時期、瀋陽の日本総領事館で発生した「北朝鮮人亡命者の駆け込み事件」では、領事館側が中国政府に一貫して迎合するような態度を見せ、さらに事前に阿南駐中国大使が日本大使館の定例全体会議の場で職員全員に対して、朝鮮民主主義人民共和国(北朝鮮)から脱出した住民がもし日本大使館に入って来たような場合には「不審者とみなして追い出せ」と指示をしていたことが発覚したこともあり、北朝鮮の人権問題が注目されている時期に、こんな姿勢をとっていたのではとても日本の安全などは守れないだろうと、ネットだけでなく世間からも外務省が批難されたばかりだった。
この国防への無関心と、外交の事なかれ主義をどうにかしなければ日本の「国益」を守ることなど到底できるわけもない。
しかし、政界を見てもこうした議論に前向きなのは保守派の政治家くらいしか当時はいなかった。
そうした中での小泉政権、さらには拉致問題で世間の支持を集めた安倍晋三官房副長官に期待するものが彼らは多かったのである。
このように、今でこそ「ネット壮士(右翼)はいつも『日本はすごい』、『日本は強い』とかいっててうざい」という批判の声も見かけるようにもなったが、当時にはそんな楽観的なムードが生まれる余地はほとんどないといってよかった。
むしろ、こんな調子ではいずれ日本は滅びるか、アメリカどころか中国にも土下座する日も遠くないとため息を吐くような有様である。
そんな「国力がないわけではないのに、あまりにも悲惨な日本の現状」に目を向けながら、ネット壮士たちは今更韓国や中国を持ち上げて一緒になって日本を批判しようとする左派や、欧米を持ち上げて日本は遅れていると主張する文化人たちの論調に賛同することもできるはずはない。
ここから彼らはもう一度日本という国のあり方を見つめなおそうという発想に戻ることになる。
こうした中で、当時ネット壮士たちから多くの支持を集め、話題となっていたサイトがあった。
それが「元祖世界史コンテンツ」である。
「世界史コンテンツ」というシリーズについては、以前ウィキペディアにその概要が書かれたこともあったそうだが、おそらく客観性に欠けると見られたようで、現在ではすでに削除されている。
しかし、世界史コンテンツシリーズの作者の一人であるAdon-k氏のサイトに当時の文章が保存されており、それによれば概要は以下のようなものだったという。
「世界史コンテンツ(せかいし-)とは日本の自虐史観を憂う人たちが作った。歴史サイトを指す。ネットで歴史を開設しているサイトは多数存在しているが、これらのサイトで特筆すべき点は、アニメ、またはゲームのキャラクターのアイコンが対話形式で歴史を授業形式で解説している点にある」
「その大元になるものを作ったのがテッサ総統閣下(もちろんペンネームであり、テッサ以下の敬称は頻繁に変わる為、最も使われているものをここでは表記)が作成した『テッサ先生の補習授』をはじめとする、世界史コンテンツの数々である。勘違いされがちであるが、世界史コンテンツを作成したのは元祖世界史コンテンツが載っているのHP『maaと愉快な仲間たち』の管理人maa氏ではない」
「タイトルだけみれば非常にお堅いサイトであるが、内容は半分ギャグでアニメ、ゲーム、関連が大好きなオタク関連の人間ならば笑ってしまうネタが多く、生徒アスカには世に言う毒電波の塊と評されている。
もう半分は面白おかしく歴史の流れを解説している。だからこれらのコンテンツを読む前に、半分はネタだということを十分に認識しておく必要がある」
「余談であるが、テッサ総統閣下は大勢の人間に歴史のような硬いものを読まれるにはアニメキャラクターの対話形式が一番いいという判断からこの形式を採用しているだけであって、テッサ総統閣下自身は実はオタクではないと本人は主張している。
自衛隊、高校、大学、研修医から様々な賞賛を受けている。これらに対していわゆるプロ市民系の人間から批判も少なくないようであるが、各世界史コンテンツ基本的に共産主義者をアカと罵倒し敵と言うコンセプトで書かれている為、全く無視されている。しかしそれらのせいか、管理人あてメールを送るボタンが非常にわかりずらいところにあり、テッサ総統閣下にメールがうまく届いてないようだ。(俺的ニュースの一番下にメールリンクがある)」
http://www1.odn.ne.jp/~aaa23320/sekaisi.html より
文中に「自虐史観」、「毒電波」、「プロ市民」など、当時のネット壮士たち(嫌韓厨などに多かった)に使用されていたスラングが散見されることから、記事を書いた人間は当時のネットの傾向にかなりの影響を受けた人物だろう。
このように世界史コンテンツもけして「社会性」のあるものではなく、もともと仲間同士で歴史や政治を語るための「お遊び」としてはじまったものだった(これはネットの議論としてはほぼお決まりである)。
だがお遊びとはいってもそれは「でたらめの歴史を書いて楽しむふざけた冗談」ではなく、いずれもそれぞれの作者たちが自分のテーマとする歴史や社会問題を調べながらまとめていき、それを人に見てもらうという形式のものであり、シリーズの最盛期には現代史や政治問題だけではなく、日本史、アメリカ史、中国史、ロシア史からハプスブルク家の歴史といった内容のものまで、幅広く様々な作者が制作したサイトが存在していた。
Adon氏のサイトも、人気漫画「美味しんぼ」の中に含まれる「嘘」(とくに韓国に関するもの)を暴くというテーマで世界史コンテンツを制作しており、嫌韓厨に近いネット壮士たちの間で人気をとっていた。
現在でこそLINEやtwitter、Facebookといったソーシャルメディアが中心となっているため、こうした個人サイトの影響力というのはわかり難いが、2000年代初期の頃はまだ個人サイトやブログによる情報発信がネットの主流だったため、こうした人気のサイトの影響力はけして馬鹿にできないものがあったのである。
「元祖世界史コンテンツ」は後に作者自身(テッタ氏)を含めて、多くのシリーズを生んだが、その中でも国家論としてまとまっているのはほぼこの「元祖」であるといってもいい。
そしてこの内容には、およそ今にいたるまでのネット壮士たち(ネットの保守層全般)の傾向と結びつく多くの要素が含まれている。
その内容を一言でいえば、作者に独断による「戦争と文明論」のようなものであった。
ただそこには一人の日本史上重要な思想家と、その著作の影響があったことは間違いない。
彼こそは論理面において日本の近代を導いたといってもいい人物であった。
続く――