ついに通園分離 | かなのえくぼ〜急性脳症後遺症〜

かなのえくぼ〜急性脳症後遺症〜

急性脳症後遺症で重心児首すわりなし。てんかんや嚥下機能障害などの合併症がある3兄弟末っ子の「かな」
医療ケアは必要だけど笑顔で楽しく生きていく「かな」と家族の日記。

親子通園中は子供達がしてくれるハグに癒され、幸せいっぱいだった。先生の目なんて気にしないでデレデレしていた私。
なんかの欲が満たされたような、かゆかったところ思いっきりかいたような(笑)疲れも全部吹き飛んだような不思議な気持ちに。
絶対これはなんかある!とググったらハグは幸せホルモンが出てストレス軽減にもなるんだって。

そしてついに新通園の母子分離始まり。
分離の初日は初の通園バスに一緒に乗り(発作や移動にかかる時間を考えて行きのみ乗る予定)最終チェック。のはずが
前日からバス乗るよー!と言ってたらかんぴん、早朝からかなりのテンションで目を覚ましおとの布団に移動。
バスまだ、バスバスと言ってたかはわからないけど1人でお喋り。
5時台↓
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バスに乗ると眠気の限界で寝てしまった。

活動の時間は今まで笑顔があまり見られなかったのに声を出して笑ったらしく担任の先生達はみんなで泣きそうになったらしい。って話をきいてこっちが泣きそうになった。
バス付き添い次の日からは登園時もバスから1人。かなを乗せて走っていくバスを見ながら今までの事を思い出す。

最初は、所属が病院だと思いたくないのに何をするにも病院の許可・・・と考えてしまっていた。家族なのに患者として見てしまうというか・・・自分の子なのに。(この過程もあって良かったんだと今は思う。)
そこから抜け出し私の腕と観察力と行動力を磨く努力をし(できていたかはわからないけど)次はうちの子になれるようにここ数年はやっていた。
これからは『私所属』ではなくかなは自分の世界で母と離れてやっていくのだ。←もうこれ書いてるだけで泣けてくる( ;  ; )
かなはかなの世界で得られるものが沢山あり母と離れ集団生活を送ることで成長出来る。
これが、がんがん行こーぜ、な私の結果だった。
後悔しないように今できることを。
あの日あの瞬間のこと、思い出してしまうこともあるけど色んな可能性を持っている子供達の今と未来を見ていきたい。

おまけ
イベント参加。
ボランティアのお兄さんにおとがかなのことを説明していた。
おと「かなはあーとかうーしか言えなくて言葉は話せないけど心の中で話しているの。」
母、心の中で号泣。
そのイベントで
「ブログのかなははさんですよね?」
と声をかけてくれたママさんと話していると
共通の友達が多く←ここまではあるある。
話が進む中で病院も同じと判明し神経内科の主治医は誰?という話へ。
ママさん「○○先生って知らないですよね?」
私「うちも!!」
ママさん「ツンデレ先生って○○先生だったのーー????」
私「そう・・・」
あだなごめん。

おと「早くブログ更新しなよ。見てくれてる人いるんでしょ。」
私「はい、すみません。」
おと「早くね。イベントで見てるって言われてたでしょ。」
次男坊からまさかの催促。

このやらされてる感がツボ。
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毎回決まった強弱と音程をつけて名前を呼ぶとふーいと言って手を開くようになった。
↓名前呼んでる途中
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↓呼び終わり
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二相性脳症は最初の半年で戻らなかった機能は戻らない事が多いとされている。でも大きなことが出来なくてもこうして小さな成長は沢山見られる。
かな、あいらーびゅ。

急性脳症の子をもつ家族や
同じ医療ケアをしている子の家族の方に
見つけてもらいたいと思っています。
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