おはようございます。

 

横浜ホリスティック治療室の院長 国田康二と申します。

 

 

👆実は、昔、スポーツジムでもバイトしていました

 

 

 

 

皆さんは、自分を自己分析したことはありますでしょうか?

たぶん、1度はあるのではないかと思います。

 

 

 

 

自分の場合は… かなりの不器用な人間です(笑)

 

 

 

カイロプラクティックの専門学校に行って、自分のことが良く分かったのは、このことでしたねあせる

 

 

 

今でもよく思います。

この手先が不器用な自分が、今の仕事がよくできるようになったなー、とあせる

 

 

👆不器用だったけど、キネシオロジーの先生には、この手は人のケアをする仕事に向いている手だと言われた!

 

 

 

 

 

 

 

 

まさか、自分が手を使う仕事をやることになるとは… 

人生とは、わからないものです(笑)

 

 

 

この手先の不器用なことに加えて、さらにもっと重要な部分は、

 

生き方も不器用だったことです…汗

 

本当によく今までやってこれたなーと、今でもしみじみ思うこともあります。

 

 

 

 

 

そんな、手先も生き方も不器用な人間でも、やってこれたのは…

 

 

①なぜかわからないけど、根拠のない自信

②諦めなかったから

 

 

これが大きかったと思います。

 

 

 

 

もっと分析すると、

 

①なぜかわからないけど、根拠のない自信 ➡ 自分ならやれると信じて期待していた

②諦めなかったから ➡ 怖いと思うことに逃げなかった

 

 

こんなことにあったからだと思う。

 

 

 

 

 

その根底には、勇気があったからだと思います。

 

 

それを創ってくれたのが、空手だったと思います。自分にとって闘う。ということが、重要だったのは、自分を創るために必要だったからです。

 

 

 

あれだけ空手に、のめり込めたんだのも、今、よくわかります

私は、空手で、自分にとって一番必要だった、勇気をもらいました。

 

 

 

 

👆闘う人。又は格闘家がなぜ闘うのか?この理由をプロボクサーの細川バレンタインさんは、わかりやすく解説しています。

 

 

 

 

 

この専門学校時代を卒業した後、最も葛藤やいろんな思いをした、30才~40才くらいまでの10年間、

この①と②が僕を支えてくれました。

 

(30才~40才は、自分の中では、暗黒時代でもあり、とても重要だった時期…)

 

 

 

自分でいうのもなんですが、

修行僧のような生活だったなーと思います(笑)

 

 

 

一般の人との関わりも殆どなく、インターンだけでは生活ができないので、又バイトをすることになり…貧乏生活あせる

そんな底辺の生活を経験して、それも自分で、自分にあえて何かを課したかのような生活アセアセ

 

(実は、前回お話しました、あれだけ良い環境だった、船堀クリニックを1年で辞めてしまいました… それは次回お話します)

 

 

 

 

 

ちょうど28才、29才と30代が目前の年齢になる時期で、

同世代の人達が、仕事でも経験を積んで、少しづつ自信をつけ、

そして、お金も持てるようになって、もしまだ結婚していなければ、自由だし、体力もありグー

 

 

 

一番人生で楽しい時期かなーと思います。

 

👆実家、広島の愛犬タローもこの時期に亡くなりました。悲しかったな。

 

 

 

 

しかし、この暗黒時代があったからこそ、今があると思えるのは、

根性をつける必要があり、あらゆるストレスに耐えられる下地をつくる必要がありました。

 

 

 

 

そして、自営をするとわかってくる、ネガティブな感情とどうバランスをとるか。

この自分の感情とのバランスをとる方法を身につける必要もあったからだと思います。

 

 

 

この時の自分は、人の体をケアするには、精神性が足りなくて、まだまだ、甘ちゃんだっということです(笑)

 

そんな極貧生活になるには、理由があったなーと今思えばよくわかります。

 

全て必然だったと思います。

 

 

 

次回へ続く…

 

 

 

 

横浜ホリスティック治療

 

 

 

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