横浜ホリスティック治療室の院長 国田康二と申します。

 

 

私が東京に来るキッカケを与えてくれ、今の自分があるのは、空手に出逢ったからです。

 

 

 

先日、4月3日 空手の団体、大道塾(現在は、日本ワールドゲームズ協会加盟団体 一般社団法人 全日本空道連盟)の創始者であります、東孝塾長が亡くなりました。

 

 

 

若すぎます、71歳でした。末期胃がんだったと聞きました。

今日は、東先生との思いでを書かせて頂きます。

 

 

 

 

 

 

 

 

 
 
 
 

 

 

 

 

 

 

私は、当時、新宿支部という支部に入門しましたので、東先生から直接指導を受けた経験は、殆どなかったです。

最初に直接、東先生にお会いしたのは、白帯の時に最初に出場した大会でした。

 

 

 

 

お会いしたといっても、遠目から一道場生としてみているくらいで、とても遠い存在でした。

それくらい、偉大な方という印象でした。

 

 

 

 

しかし、今でも東先生のことで、よく覚えているエピソードがあります。

 

 

 

 

毎回、開催される大会に出るようになり、大道塾の関東大会のある地区予選大会の終了後、東先生と直接お話しをさせて頂く機会がありました。

 

 

 

ほんの少しでしたが、今でもよく覚えています。

その時、声をかけてもらいました。

 

 

 

「今日は、元気がなかったじゃあないか!」

「どうした?」

 

 

と、声をかけてもらいました。

 

「押忍・・・」としか答えられなかったことも覚えています。

 

 

 

 

 

このことを今でも、よく覚えているのは、あの東先生が、自分のことを知っていたんだ!!

とわかったからです。

 

 

 

私は大会には毎回出ていましたが、当時何千人以上もいる道場生の中で、直接空手の指導を受けていない支部の一道場生であったので、まさか東先生が私のことを知っていてくれているとは、思ってもいなかったです。

 

 

本当に嬉しかったです。

 

 

そんな気さくな先生でした。

 

 

 

 

この時から、東先生が少しだけ、近い存在になりました。

 

 

 

その後、毎年恒例の夏の合宿に参加したり、又、当時は毎回、審査後に開催されていた道場内での宴会にも参加して、先生の素顔に触れる機会も少しずつ増えました。

 

 

宴会は毎回大盛り上がりで、先輩たちの芸が楽しみでした。特にT先輩の格闘技界の大御所の先生の物まねは最高でした(笑)

先生は、お酒が好きで、宴会でみんなでワイワイするのが好きでした。

 

酔っぱらった武勇伝エピソードも数々…(笑)

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

👆東先生のお別れ会の後、会場となった総本部から歩いて、当時、私が所属していた新宿支部の最寄り駅、高田馬場駅まで行き、昔を懐かしんできました。いまだに昔ながらのお店が残っていました。20年ぶりですね。この町を歩いたのは。

 

 

 

 

 

 

👆ここに昔、今ではどこにでもありますが、当時、出始めていた、『ご飯処 大戸屋』のお店がありました!

 

 

 

 

 

 

👆高田馬場駅と言えば、さかえ通りですね

 

 

 

 

 

 

BIG BOXもいまだに健在でした

 

 

 

 

 

 

 

 

しかし、未だに会うと緊張する方の一人で、今でも遠い存在です。

私にとっては、東孝先生は、そんな偉大な存在です。

 

 

 

 

 

 

自分の生きていくキッカケを与えてくれた偉大な先生。

ありがとうございました。

 

 

ゆっくり休んでください。

 

 

 

 

 

横浜ホリスティック治療

 

 

 

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