こんにちは


前回言い足りなかったところを補足してみます。

まず、大辞林で「とらわれる」と調べるとこうあります。


*************************************************

とらわ・れる[とらはれる] 40 【▽囚われる・捕(ら)われる】
(動ラ下一)
[文]ラ下二 とらは・る

[1] とらえられる。
獄窓に―・れる
わが子の手に―・れて〔出典: 保元(中)〕

[2] 感情や考えがあるものに拘束されて、自由な発想を妨げられる。こだわる。
過去の因習に―・れる
先入観に―・れる

*************************************************


ぼくがここでいう「とらわれ」とは、[2]のほうですね。


実は、ぼくはあのコメントで、わざと「囚われ」と書かず、ひらがなで「とらわれ」と書いたのです。あのコメントにも書きましたが、「こだわりは適さず、とらわれと言うべきだ」との主張は、僕とは別の最初の発言者がいます。その方は、実は「囚われ」と漢字で表現されているのです。しかし、僕もさすがに「囚われ」では、「収監」というイメージが強いなぁと思っています。(ちなみに、この発言者は元々英文の「FIX」が、「こだわり」と誤訳されされたことが、自閉症の世界に不幸であったと書いています。ネット情報なので、ことの真偽は不明です。)


しかし、当事者さんの「こだわり行動」の原因を考えていくと、「本人が好き好んで『こだわっている』というよりは、その方の認知パターンにより、あらぬことに一瞬もしくはしばらくの間「とらわれてしまう」が為に、本人の意図によらず、思考が停滞したり、気持ちの切り替えが妨げられたりしていることの方が、多いように感じます。「常同行動」にしても、本人が「好んでしている」というよりは、感覚過敏ゆえに、あふれんばかりに飛び込んでくる刺激から逃れる為に、無意識若しくは、せざるを得ずに、やっているように感じるのです。


とはいえ、「収監」のイメージの強い、「とらわれ」もしくは「とらわれる」という用語が、本当に最適かどうかは、僕にもわかりません。現に、「『とらわれ』の方が、もっと違和感がある」とのご感想も頂いてますしね。


しかし、やはり、「こだわり」という用語も決して適しているとは思えないんですよね、ぼくは。


「こだわり」なんて、誰にでもある・・・とか。「いつまでもこだわっているから、やり直せないんだよ!(または、上手く行かないんだよ)」などと、どうも「こだわり」という用語には、定型的に突っ込みたい感覚が強くあるように感じるのです。


「こだわり」というと、やはりそこにあるのは、本人の意思です。「自ら、こだわっている」という印象は免れません。すると、「そんな『こだわり』は自分で捨てて、自分を変えなきゃ!」なんて、誤ったアドバイスに繋がっていくように思うんですよね。


発達障害の方も成長していかれるし、自ら自分を変えていかれます。しかし、それは「定型社会特有の精神論」では解決しない問題を、自らの思考駆使し、試行錯誤し、いろいろと苦労した上で、ようやく「社会を生き抜くための方程式」というか、「周囲と上手くやるためのルーチン」を作って、変わっていかれるのだと思うのです。その際、彼等は自らの「こだわり」をどう制御していくのかについても、独自の方法を編み出していかれるように感じます。そのこだわりは、自発的ではなく、無意識であったり、のがれられない認知パターンとして存在するわけで、それを克服するのに、定型的な精神論(「同じ間違いを何回繰り返すの?」「自分から変わらなきゃ、なにも怒らないよ」「性格を変えなきゃね」などは、役に立たないと思うのですよね。


この両者の溝を埋める方策として、「こだわり」という誤解を招きやすい用語を変えてみるのも、ひとつの方法ではないかなぁと思ったりしています。



「とらわれ」が最適かどうかについては、何ともいえないところですが、なぜ「こだわり」という用語を良く思わないのかについて、補足させていただきました。



さて、ここで、みなさんにひとつ質問です・・・・というかテストです。

下の写真は、「一体何の写真でしょう。この写真を見て感じたことをお答えください。」



kh-net 旧HP管理人のつぶやき-pic_c


クリックすると、大きな画像で見れます!


みなさんのクリックが大変励みになります!

ぜひ、ポチっとご協力をお願いします。


にほんブログ村 メンタルヘルスブログ 発達障害へ    にほんブログ村 メンタルヘルスブログ 広汎性発達障害へ