最近よく思うこと。


いままでの私って、どんなだったっけ?


私って、どんな人間だったっけ?


って、自分がわからない。




自分という人間そのものが他人のような気がしている。



周りの人たちは、自分の好きなことや仕事の中で、「自分」を生きてるように見えて

自由に見えて

少しだけ、うらやましく思うこともあった。





私だけ

言葉が話せない、通じない赤子と二人きりの世界で

社会から、世界から孤立しているようだった。



そんな時間を過ごしてるうちに

私は、「自分」という人間がわからなくなった。

見失った。




よけいに、世界から取り残されたようだった。





この前。

こっこたーらこー♪と教育番組をみていたら

ある歌が流れてきた。




くまリラックマさんが冬眠からさめて、ぼんやり考える。

周りには、たんぽぽシャボン玉が咲いている。


そして、気がつく。


えーと、

僕は誰だっけ??  って…


そして、水たまりに映った自分の姿をみて


そうだ!

僕はくまリラックマだった。



って、自分が何者だったのか、思い出すのリラックマ



うたの中のくまさんリラックマみたいだな、今の私。



でも

今は、「自分」がわからなくても


私は、何者でもなくて

何にでもなれる。


そんな風に思える。



いままでの私がどうだったのか、わからないけど

これから先、たくさんの可能性も選択肢も、私自身が、世界が拡がってることを感じている。



だから

いまは


なんにもなくていい。

わからなくていい。

見失ってていい。



って、思えた。



まるで記憶喪失みたいで、過去も自分も忘れてしまったけど

かすかな感覚だけが、身体のどこかにぼんやり残っているような…




私はだれだろ?


そんな感覚の中で、日々の毎日が何事もなく

当たり前のように過ぎ去っていく。




空白の時間みたい。


はじめての感覚。



けど、


かるくて  なんだか心地良ささえも感じる。


すべて

いままで抱えていたもの

私だと思っていたもの


すべて

消したのかもしれないな。



私は、何者でもないから。


そして、


何にでもなれるから。



そして  いつか


くまさんのうたリラックマみたいに



私は私を見つけるはず。


自分の本質に気づくはず。




そんな気がしてならない今日この頃。



なので、私は今

初期化しているようですシャボン玉