先日風邪をひいて、未だに治らず長引いてますガクリ

久々に38℃越えの発熱。

さすがに、こっこあひるを1人でみられる自信がなくて、母に応援要請ががん


特に午前中は身体がきつく、いつも通りのこっこあひるの起床と共に起きても、あまりのだるさに気がついたら眠ってしまってて。


はっとなって飛び起きると、こっこあひるはイスに座ってTVをみてる。

見ていた番組もすでに終わってて、なにかの専門家のようなおじ様がしゃべっている番組を、じっと静かに見ていた。

こっこあひるの後ろ姿に、罪悪感が出てきた。

寂しい想いをさせたな。

我慢させたな。



それからも、1人で遊んだり

時々私のところへ来て、おっぱい飲んで、また1人で遊び出して…を繰り返し。


私の状況をわかっているようで、危ないことも悪いことも、ぐずることもしない。


良い子にしてくれてありがたいけど、

痛々しくて、心配になってしまう。


こっこあひるに申し訳なくて、悲しくなる。



さっき、横になって休みながら自分の気持ちを感じてた。


私は、こっこあひるが甘えたいのを我慢して、寂しい想いをしているとばかり思っていたけど


こっこあひるは、ほんとは我慢しているんじゃなくて、

私を休ませようと、協力してくれてるんじゃないかな?って…


頭の中が、あれ???ってなった。


確かに、こっこあひるの姿を見てても

我慢している。というよりは、協力してる。という方が近いような気がする。。。


そう思うと、

私は、こっこあひるが協力してくれてることや、休ませてもらえてることを

ちゃんと受け取ってないんじゃないかな?

って…


こっこあひるからの私への優しさも愛も、まっすぐに受け取っていないんじゃないかな?

って…


そんな風に思ったのでした。



それまで、こっこあひるに対して持っていた罪悪感は、

見方を変えれば、感謝キラキラに変わるキラキラ



ごめんね。を言うよりも

ありがとう。を伝えよう。



我慢して寂しい想いをさせてるように感じるのは、私の過去のインナーチャイルドが、こっこあひるを通してうずくから。

でも、

私が小さい頃、同じ状況があったとしたら、我慢として捉えていただろうか?

辛いと感じていただろうか?


寂しさや我慢を多少感じていたとしても、
きっと、協力することを選択したと思う。

大好きな母を助けるために。



そんな時。

ごめんね。よりも、ありがとう。と言われた方が嬉しい。


ごめんね。は、母親(私)の感情のフィルターを通した言葉になるけど

ありがとう。は、事実であり、対等な関係で尊重されたと感じる。

もちろん、我慢したからその後たくさん甘えさせてもらって、充電して芽



こっこあひるは、対等な関係の中で、私への愛を伝えてくれていましたキラキラ

そして、いつの間にか  心も成長していることを気づかされました芽




私は、ただただ受け取ろう。


受け取ることを無意識に拒んでいたのだと、反省です汗



もっと  自分自身をゆるして

ありのままを

受け取っていきたいものです嬉しい