他が為にあるって事。 | katsu「人生と自由の美学」

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人は

私は凄い や 私は偉い。

私がしてやってる や 私がしてやってない。

私がしてあげてた や 私はしてあげてない。

私が手を貸してた や 私が手を貸してあげてない。

私がやったから や 私はやれてない。

誰かの為に や 誰かの為になってない。

って 色々と自分から外の世界のモノの為に

私がしてあげたとなる事が人にはある



本来の僕らは いや全てのモノは

私がしてあげたはあり得無い事だ。



私がしてあげたとなると人は何様になってしまう。

「いやいや~ してあげたけど そうは思ってないですよ~」

っていう人もいるけど

してあげたという感情すら必要ない。

僕らはそうなる必要はない



宇宙の真理に「他が為にある」という事がある。

「他が為にある」という事が宇宙の真理なんだ。



「他が為にある」という事は

もう既に誰かや何かや他の為になってると言う事。



例えば コップが目の前にあるとする。

コップはコップとしてある時点で

誰かが飲み物を飲みやすくするの為。

液体をこぼれない様にする為。

熱い飲み物を手で熱さを感じずに飲める為。



もう既にあるだけで他の為になってる。

既にあるだけで他が為と言う事だ。



ホッチキスは紙を留める為。

靴は足に履いて足を守る為。

道は歩きやすくする為。

服は体を外から守る為やお洒落の為。

メガネはモノを見やすくする為。目を守る為。

空気は人や動物 この星の為。

水は植物に潤いを与え、僕らの渇きを癒し、空気中に湿度を与える。

光は暗闇を明るくし。

暗闇は休息や光を際立たせる。

太陽は光や熱をもたらし

月は引力があり

星は場所を示す。



ここに書いたモノやコト。

他にも沢山 沢山のモノやコトが

色んな意味を持ち

そこにあるだけで

他のモノの為になってるって事。



宇宙の真理は「他が為にある」

既にそうであるって事。

今もう 既に他の為になってるって事。



だから君は自分らしく居るだけで

もう既に 誰かの為に 他のモノの為になってるんだよ。



何も自分に力を入れる必要もない。

何も無理に頑張る必要もない。



君は居るだけで「他が為」

それが宇宙の真理



その宇宙の真理に逆らうモノが居る。

なんだと思う?

この地球という星で唯一逆らう生き物。



それが人間って生き物だ。



花は誰かの為など思ってない。

だけど人は安らぎや優しさや美しさを感じる事が出来る。

動物は誰がの為になど思ってない。

だけど凄さや可愛らしさや美しさを感じる事が出来る。

その他にも色んな形や意味で沢山感じたり、役に立ってる。



植物は二酸化炭素を酸素に変え

動物たちは生まれて死に大地の栄養となる。



もう既に全ては他の何かの為なのに

人は

してあげてる・してあげてない

やってあげてる・やってあげてない

となってしまう。



その時点で宇宙の真理からズレてしまう。

そうなる必要は1つもないのに。

ある意味可哀想な生き物だ。



人がそうなるのは自分から見て外側の世界を見しまうから。

社会や他人って事だね。



あの人より凄い。

あの人より凄くない。

あの人より出来る。

あの人より出来ない。



きりがない。


自分から見て外の世界への感情に左右されなくて良い。


そうして 自ら宇宙の真理からズレる。




君は君のままで「他が為」なんだ。

君の存在が

君の行動が

君の言動が

君の全てが

他が為だ。



自分に目を向け自分と向き合えばいい。

昨日の自分を越えてけばいい。

昨日の自分より1つ良くなればいい。



他の為には関係ない。

だって もう既に「他が為」だからね。



こんなに大きな宇宙の

こんなに大きな星の

こんな小さな点の様な僕らが

何かをしてあげてるなんて

おこがましいんだ。



凄い人は凄くはならない。

凄くはなろうとしない。

凄くなくて良いって事だ。



凄いとは比べる事。


僕らは個として生まれ個性で1つ。

だから

周りと比べず自分を見て自分を極める



そんな積み重ねが 他から見て

「凄い!」となるだけの事。


大した事ではない。

やってるだけだよ。って事だ。



私は私の選ぶ事を 私は私の人生を

やってるだけだよ。って事だ。



知らずして与えてる事が人の為になってる。

誰かの力や勇気や希望や憧れや喜びや幸せに。



今 目の前にあるモノを淡々とこなしてる姿が

他の為であるんだ。



この話をしたら ある人が僕にこう言った。

「例えば川にゴミが落ちてても他が為ですか?」と。

僕は「うん。他が為です。」と答えた。



人のやる事に善悪の判断がある。

善悪の判断は人が捉えた人の作った常識。



ゴミとしてゴミとなった時点で他が為になる。



ゴミは川を汚す。

川にゴミが落ちてるのを見つけた人がいる

川を綺麗にしなくてはと思う感情や気持ち現れる人がいる。



綺麗にしよう!

ゴミが教えてくれる他が為。



人間は よくしよう。よくなろう。

と言う元々前向きな生き物。

それは人が心地いいを知る・知り得る・知ってる生き物だから。



暗いから明かりが欲しいと思った。

争いがあるから平和を願った。

人は亡くなり悲しみを知り。

人が産まれ喜びを知る。



全ての物事に反面がある。

反面がなくては善悪すら捉えられないのも人。

そんな ちょっと可哀想な生き物。



全ての物や出来事は他が為に。

それが宇宙の真理



だから

君は居るだけで誰かの為なんだ。

君は君でいるだけで誰がの為なのだ。



やってあげてる感も要らない。

してあげてる感も要らない。



自分の知り得る事を話し・伝えるだけ。

自分の出来る事をやるだけ。



誰の為でも無い。人は自分の為。



そして その自分の為の事が

人の為になってるって事。




何様になった時点で自分ではなくなるんだ。

なる必要はない。なる必要もない。

既に他が為にあるからね。

何様になったら宇宙の真理に逆らう事。



宇宙の真理からズレたら

宇宙の1つですらなくなるよ。

この星の流れすら乗れないよ。



せっかく自分で産まれてきたんだ。

自分を生きたらいいさ。



もう 既に 君は人の為になってるから。

宇宙があるが故の真理の名の下に。



私がしてあげてる。

ではなく

私ができる事をしてる。



人と他人と触れ合う時 そう在る自分で居たいね。

誰も皆んな 他が為になってたんだね。



良かった。

もう 既に 君もそうなってたんだね。
katsu

2018年 再アップ記事


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