ブログ更新を再開しようかなーと思ってたんですが、もう前回更新したの2週間前なんですね・・・意外と忙しくて更新する暇がない。まあ、マイペースで気が向いたときに、書評やらアレコレ書いてみようかと思ってます。

 

最近、読んだ本が、「意識の進化的起源~カンブリア爆発で心は生まれた」と「言語の起源~人類の最も偉大な発明」という2冊(「言語の起源」は読み途中)。

 

どちらも、特定のテーマ(前者は生物の意識、後者は人間の言語)に関して、進化論の観点から読み解くという観点で書かれており、議論としては非常に興味深かったです。

 

ただ、やはり読み手として残念なのは、どちらも複雑で込み入った議論であるため、スパッと分かりやすい解説がされてるワケではないので、色々とモヤモヤすることですかね。「さおだけやはなぜ潰れないのか」とか、「なぜ社長のベンツは4ドアなのか」みたいに何でもスパッと分かりやすい回答があれば良いんですけどね 笑

 

(以下、Twitterで書いた感想まとめ)

 

意識にしても、言語にしても、ある時、いきなり今の人々が持ってるような意識や、人々が使ってるような言語が突然現れたわけではなくて、原初的な意識や、原初的な言語から次第に進化して現在のようになったという話

 

言語に関しては、単語やジェスチャー(更には、それらの羅列)といった原初的な形態というのがイメージしやすいのに対して、人間より原初的な意識形態というのはイメージができない。筆者は、魚類などの脊椎動物が最初に意識を形成したと論じているのだけど、魚って一体どんな意識を持っているのだろう

 

多くの原初的生物が、反射によって行動するのに対して、反射よりも複雑な行動選択を取る際に意識を発生させたということなのだろうけど、単純な反射と、初期の複雑な知的行動選択の境目をどう分けるべきか分からないし、何よりも、知的行動選択をする生物が意識を持っているということが確認できない

 

ちなみに、「言語の起源」の著者は、シンギュラリティ論者が信じるようなコンピューターへの意識の移植や、意識を持つAIは、(少なくとも現時点では)不可能と断じている

 

仮に、脊椎(もしくは類似した役割をもつ身体器官)を持つことが意識を生じさせる必要条件だとするなら、確かに、どれだけ人間の脳を模したコンピューターを作っても意識は形成できないということになる

 

「意識の進化的起源」では、意識を形成させる必要条件として、視覚や嗅覚等の、「外界を認識する感覚器官(とおそらく、それらの情報を統合する脳と、その二つを繋ぐ神経)」が必要としているから、

 

もし、最初に意識を形成するAIができるとしたら、コンピュータープログラムではなくて、本当にSF映画みないな人型ロボットだったりするのかもしれない

 

(Twitterまとめここまで)

 

後半で、AIの議論について、書きましたけど、AIとシンギュラリティ-の議論が過熱した時期と比べると、今では、各分野の専門家から、「如何に、人間のような意識や感情を持ったAIを作るのかが困難か」といった問題が提起されることが多い気がします。

 

意識や感情を持ったAIを作ることの困難さに関しては、メチャクチャ大雑把に分けて、3つの課題があると思っていて、一つは、人々の意識に関する認識の限界。そもそも意識とは、何か?意識とは如何にして形成されるのか?という問題が、少なくともある程度解明されなければ、意識を持ったAIを作るのは困難だろう、という問題があります(この点に関しては、シンギュラリティ論者の中には、仮に、意識を形成する条件を人々が理解できなくても、意識を持ったAIは誕生し得る、と論じる者もいるようですが)。

 

二つ目は、技術的限界。物質や生命体が意識を持つための条件がある程度解明されたとしても、それをシリコンで作ったコンピューターで再現できるのか?といえば、やはり難しいでしょう。特に、現在では、脳科学者から、人間の脳は、必ずしもニューロンやシナプスの電気信号だけで機能しているわけではない、ということが指摘されていますし、先の「意識の進化的起源」の議論では、視覚や嗅覚を持つ感覚器官の形成が不可欠とされていますから、意識を形成するには、脳のニューロンやシナプスなどの電気信号を再現するだけでなく、より複雑な調整機能や感覚器官(センサー?)などを持つ疑似的な身体も必要になるかもしれません。

 

一時は、人間の思考や意識をコンピューターに移植して、永遠の(疑似的な)生命を得る。などといった議論も盛んになされましたが、残念ながら、少なくとも当分は、そのような試みは成功しないでしょうし、可能なのはせいぜい、人間の思考を模した出来損ないのプログラム程度のものでしょう。

 

まあ、この辺りの問題も、おいおい議論できればと思っています。今回は、ここまでで。