前回の記事(「意識の進化的起源」レビュー~AIと意識の生成)に引き続き「意識の進化的起源: カンブリア爆発で心は生まれた」のレビューです。

 

前回の記事で、「意識や感情を持ったAIを作ることの困難さに関して、3つの課題がある」と書いていたのですが、なんと課題の内容を2つまでしか書いてませんでした。

 

特に詳しく解説はしませんが、3つ目は、「意識は主観的な現象なので、AIが実際に意識を持ったか否かを、客観的に解明することできない」でした。

 

この客観的な観察ができない、というのは、意識の研究を非常に困難にしている主要な要因の一つですね。「意識はいつ生まれるのか 脳の謎に挑む統合情報理論」を書いた精神科医のジュリオ・トノーニは、植物状態にある人間の脳を観察することで、意識の有無の判定を行いましたが、これは、医師であるトノーニだからこそできたことであり、哲学者や生物学者が同様の実験や観察を行うことは困難でしょう。

 

ちなみに、この本の内容を簡潔に説明することは、かなり困難なのですが、Amazonのレビューで、非常に良い説明があったので、少し引用したいと思います。

 

「意識」の問題は科学的なアプローチが難しく、哲学などでも頻繁に議論されている問題である。
本書はこれに対し、最もベーシックな「原意識(統一された形での世界認識、感性の存在など)」に焦点を絞り、それを担う神経科学的部位は何か、それは生命においていつどのように、そしてなぜ生じたのか、に正面から取り組んでいる。

本書ではまず、神経系を持つすべての生物が示すような単純な「反射」と、複雑な神経系による「意識」とを区別する。

 

この本では、生命に意識が発生した初期の、最もプリミティブな形態の意識について論じていますので、そこで扱う生物も非常に原初的な生物になります。

 

アメーバなどが典型であると思いますが、意識を持たない原初的な生物の行動は基本的には全て反射によって行われます。つまり、快適な内的状態や外的環境を求めて、移動や捕食などを行うわけですね。

 

それに対して、より複雑な感覚器官や脳を持つ脊椎動物は、より高度な判断や複雑な行動を行うために、意識というものを発達させたというのが本書の主張になります。

 

ちなみに、こうした進化生物学的な主張に基づく意識論は、ある意味で、哲学や科学の分野で主流となりつつある、決定論、自由意志の否定論とは対立的な関係にあるように思えます。

 

「意識は傍観者である: 脳の知られざる営み」を書いたデイヴィッド・イーグルマンなどは典型的ですが、現在、哲学や脳科学者などの分野では、人間の自由意志の働きというのは、非常に限定的であり、ほとんどない、場合によっては全くないに等しく、意識を持つ人間が自分自身の行動を主体的に決定しているという感覚は幻想にすぎない、という考えが非常に広く支持されています。

 

ですが、進化心理学的な考えでは、全く逆で、「意識は進化に適応的であり、生物の行動に有意に影響を及ぼす」ということになります。本書の中では、「複雑なシステムは意義が分からなくても適応的である」という考えが紹介されているのですが、意識のような複雑なシステムは、非常に維持するのに大量のエネルギーを必要とするので、仮に、生命を維持するのに何の役にも立たないとするなら、進化の過程で退化、または淘汰されていったはずだというのですね。

 

ですので、逆に言えば、意識が存在するということは、何らかの形で役に立っているということです。では、実際にどのように役に立っているのかといえば、著者らの説明によれば、意識を持つことで単純な反射よりも複雑な行動を取れるようになるということ。

 

こうした考えからすると、意識は存在しないけど、意識を持つ普通の人間と全く同じ振る舞いをするという哲学的ゾンビは、実際にはあり得ないということになります。

 

なぜなら、意識を持たない哲学的ゾンビが、意識を持つ人間と全く同じ行動をするのであれば、意識を持つことの生物学的な優位は存在しないことになり、生物学的な優位をもたらさない、言い換えるなら、進化に適応的でない、複雑なシステムを淘汰されることとなるので、つまり、意識は進化に適応的であり、意識を持つ普通の人間は、意識を持たないゾンビと全く同じ行動を取ることはないということです。

 

このことは、必ずしも、意識が主体的な意志とその影響の存在の証明に直結するわけではないですが、とはいえ、これまで主流となりつつあった、決定論の考えに対する有効な反論となり得るのではないでしょうか。

 

また、AIと意識に関する疑問の一つとして、高度な知性と意識の関連性の問題があるのですが、おそらく、高度な知性や判断力と意識の存在には、何らかの関係性があるのではないかと推測できるでしょう。

 

これまで、意識の存在は、生物の進化の過程で生まれた一種の副産物のようなものとして考えられつつあったのですが、今後は、生物学や脳科学の進歩に伴って、その意義や役割、影響力に関しても研究が進んでいくのではないかと思います。