今回は、「善と悪のパラドックス ーヒトの進化と〈自己家畜化〉の歴史」リチャード・ランガム  (著), 依田卓巳 (翻訳)という本のレビューです。なんとなく、哲学っぽい感じのタイトルですけど、内容的には進化心理学に近いです。進化心理学の理論に、哲学や倫理学の要素をミックスさせたような議論ですね。

 

この本の中で、最重要のキーとなるのが自己家畜化という概念です。家畜化とは、イノシシ⇒豚 狼⇒犬 野生の牛⇒家畜化された牛と、野生の生物を人間が(一応正確を期すなら、人間等がということになるだろうか?)、飼いならしやすいように品種改良する生物進化上のプロセスであると定義できます。

 

ちなみに、株式会社平凡社「世界大百科事典 第2版」によると、「家畜化とはヒトが動物の生殖を管理し,管理を強化していく過程をいう。」とあります。

 

一般的に、家畜化とは、人間が野生の動物を飼いならす過程として理解されていますが、一方で、飼いならす動物が存在しなくとも、家畜化と共通した現象は発生するようです。その一例として、この本では野生のボノボの進化を取り上げています。

 

私たちは、ボノボが家畜化に酷似 した過程を経てチンパンジーのような祖先から分岐したと結論づけ、その過程を「自己家畜化(self-domestication)」 と呼んだ。人類の行動は、家畜化された動物の行動と似ていると考えられることが多い。ボノボから得た考察が、人類進化の手がかりを与えてくれたのだ。

詳しい説明はしませんが、ボノボは、いくつかの点で、家畜化された動物と共通の特徴を持っているそうです。ですが、実際に、人間の手で家畜化された犬や豚などとは違い、当然人間によって家畜されたわけではない。

 

人間によって、家畜化されていないにも関わらず、多くの家畜化された動物と共通の進化的プロセスを経た動物のことを、この本では、「自己家畜化」と呼んでいます。

 

この本の前半では、結構知らないことがたくさん書かれていたのですが、家畜化された動物には、一定の共通点が存在するようです。

 

ダーウィンは一八六八年の著書『家畜・栽培植物の変異』で、従順さのほかにも、家畜化の過程を示す意外な生物学的特徴がいろいろあると述べている。たとえば、家畜化された哺乳類は耳が垂れる傾向が強い。ジャーマン・シェパードなどいくつかの犬種では耳が立っているが、不思議なことに、多くの犬の耳は子犬のように下に垂れている。ダーウィンは、ほかのすべての家畜化された哺乳類において、犬と同じくおとなでも耳が垂れている種類があることを発見した。これは驚くべきことだった。野生の成獣の耳が垂れていることはめったにないからだ。野生動物で垂れた耳を持っているのは、ダーウィンの知るかぎりゾウだけだった。従順さと垂れた耳を結びつける明確な理由がないことが、いっそう不可解だったが、現実にはそうなっていたのだ。

  もうひとつの例は、馬、牛、犬や猫に共通するが野生動物には見られない、額の白いぶちである。丸まった尾、さまざまな毛並み、白い足も同様。家畜化された動物にこうした不可解な共通点がある理由は、当時まったくわかっておらず、いまでも少しずつ解明のヒントが得られて いるにすぎない。

さらに、この他、本書では、人間は「自己家畜化された生物である」という仮説のもとに、考古学者ヘレン・リーチが発見した家畜された動物と現生人間に共通する骨格的特徴を4つ紹介してます。

 

第一の特徴は、家畜が野生種より小型になっているということ。人間は、約200万年前のホモ・エレクトスの時代から体重が減少しました。

 

第二の特徴は、家畜は野生の祖先より顔が平面的になり、前方への突出が小さくなる傾向があるということ。現代人は、親知らずが変な方向に生えてきてしまうことが多いのですが、これは顔や顎が小さくなり、歯が上手く顎に収まらなくなった結果であると考えられています。

 

第三の特徴として、家畜ではオスとメスのちがいが野生動物と比べて小さいということ。SF小説では、未来人は、非常に中性的で、男性も、女性のような柔和な顔つきのしていることが多いのですが、仮に、今後も人類の自己家畜化というプロセスが進行し続けると仮定するなら、生物学的な観点からもこうした予想はあながち間違いではないのかもしれません。

 

第四の特徴として、家畜化された動物は。野生の祖先より顕著に脳が小さくなるということ。人間の脳の大きさは、過去200万年間、着実に増大してきましたが、3万年ほど前に方向転換が生じ、小さくなりはじめたそうです。現代のヨーロッパ人の脳は、2万年前の人々より10~30%小さいそうです。

 

ただし、脳が縮小した家畜の認知能力は必ずしも低下しないとのこと。理由は分かりませんが、脳が小さい種の方が大きな脳を持つ祖先より、能力がまさっていることもあるそうです。

 

ちょっと、ここまで長々と書いてしまったので、最後に、「では、どのように人類は自己家畜化したのか?」という問題についてサラッと説明しますが、その答えは、人類が攻撃的の強い個体を処刑してきたということ。

 

つまり、ある意味で、反家畜的な荒々しい攻撃性を持つ個体を処刑し、淘汰することで、大人しく攻撃的でない、家畜的な個体が生存、繁殖し、結果として、人類が家畜的な生物に進化してきたというのですね。

 

以前、流行した進撃の巨人のOPテーマで「屍踏み越えて 進む意思を 笑う豚よ 家畜の安寧 虚偽の繁栄 死せる餓狼の自由を!」なんてフレーズがありましたが、抽象的な哲学や倫理学的な観点からはともかくとして、生物学的には人類はみな狼よりも豚に近いみたいなんですね。

 

ちなみに、この「自己家畜化」という概念は、結構色んな問題について考察する上で非常に役に立つと思うので、また、気が向いた時に考察記事を書いてみたいと思います。