今回は、「善と悪のパラドックス ーヒトの進化と〈自己家畜化〉の歴史」のレビューPART②です。

 

「「善と悪のパラドックス ーヒトの進化と〈自己家畜化〉の歴史」レビュー~人間は狼よりも豚に近い」

 

前回の記事では、「善と悪のパラドックス ーヒトの進化と〈自己家畜化〉の歴史」という本の概要と、議論の核となる概念である「自己家畜化論」について解説しました。

 

ちなみに、完全にネタバレになるのですが、本書全体の問いは、「なぜ、人間は、一般庶民的な善良な性質と、残虐非道な悪としての性質を兼ね備えているのか?」というものであり、その答えが、自己家畜化によって育まれた、反応的攻撃性の低下と、能動的攻撃性の増大ということになります。

 

「一人殺したら殺人鬼で、千人殺せば英雄だ」などという言葉がありますが、人間は、道徳観念として、本能に近いレベルで、他者を傷つけない、という行動様式がプログラムされている一方で、戦争や内戦、もしくは、虐殺においては、極めて冷酷かつ計画的に大量の人々を殺害することが可能です。

 

ナチスのユダヤ人の虐殺において、重大な役割を果たしたとされるアドルフ・アイヒマンについて、女性哲学者のハンナ・アレントが、「凡庸な悪」と称したことは有名ですが、庶民的な凡庸さと、人々の大量虐殺に手を染める巨大な邪悪さが共存し得るところに、ある意味での人間の(進化生物学的観点からみた)本質があるのかもしれません。

 

ちなみに、この本の中では、反応的攻撃と能動的(計画的)攻撃に関して、次のように区別しています。

 

反応的攻撃は、敵意がある、怒っている、衝動的、感情的、興奮している、などさまざまに表現される。つねに怒りをともない、多くは抑制を失って感情を爆発させる。侮辱、困惑、身体的危険や、たんなる苛立ちといった誘因に対する反応だ。反応的攻撃に特有の強烈な興奮状態になると、まわりにいる人を見境なく攻撃しやすい。反応的攻撃者にとって、怒りの原因を取り除くことが最大の目的であり、それは往々にして自分を侮辱した相手だ。(中略)

計画的な暴力の目的は、金銭や権力やパートナーのような具体的なものや、復讐、自己防衛、あるいはたんに約束を守るといった抽象的なものかもしれない。たとえば、人間が戦争ですることの多くは、奇襲などのように計画的だ。戦争の非常に高い死亡率は、人間がチンパンジーと同様に、多くの種に比べて計画的に攻撃する傾向が強いことを示している。人間は優秀な計画者、ハンター、略奪者であり、みずから望めば殺人者にもなる。人類学者のサラ・ハーディによると、飛行機の狭い区画に数百頭のチンパンジーを閉じこめると、暴力的な混乱状態になるが、ほとんどの人間は混み合った状況でも落ち着いている。しかし、デイル・ピーターソンが指摘したように、隠れた敵が爆弾を機内に持ちこまないように厳しい審査が必要だ。この対比は、人間の反応的攻撃性が低く、能動的攻撃性が高いことによって生じる。

つまり、人間は、自己家畜化の過程で、カッとなって相手を殴り殺すような反応的攻撃性を低下させる一方で、同じ、自己家畜化の過程において他者との協力関係を築く能力を高め、同時に知性を向上させることで、相手に効果的にダメージを与えるための計画を立てる能力を発達させたのです。

 

ちなみに、この自己家畜化の過程と、受動的攻撃性の低下という現象は同じコインの裏表のような関係となっています。この本の中で、人間の自己家畜化は、攻撃性の強い個体を処刑することによってなされたと説明されていますが、この攻撃性の強い個体というのは、基本的に、カッとなってムカついた相手を殴って傷つけてしまうような受動的攻撃性の高い個体に他なりません。

 

つまり、人類は、受動的攻撃性の高い個体を処刑することで、自己家畜化という現象を引き起こし、この自己家畜化という現象が進行することで、さらに受動的攻撃性を抑制してきた。

 

しかし、一方で、自己家畜化の過程で、人々との協力関係を形成する能力を発達させ、また、知性を発達させる過程で、より計画的に敵を攻撃する手段を手に入れた。戦争などで、敵対者を大量に殺せるのは、この能動的攻撃性の発達の賜物であるわけです。

 

果たして、今後軍事技術が更なる発達をみせ、効率的に大量虐殺を行う手段を手にする人類がどのように振る舞うのかは分かりませんが、今後の人類の戦争などについて考える上でも、この反応的攻撃性と能動的攻撃性という概念は、重要な意味を持つのではないかと思います。