波乱万丈なわたしの人生の「闇の部分・波乱な出来事」を振り返る物語

54話目の今日は

 

人生で一番悪い出来事について。

 

 

2011年の東京移転と共に始まった

 

とっても大変な日々が 

 

どんどんドンドン深みにハマり 

 

ついにドツボのどん底まで落ちた

 

壮絶な数年間のお話です。

 

 

そしてずっとずっと隠し込んできた暗い過去を

 

初めて公開する瞬間です。

 

 

前回の記事はこちら↓

 

 

 

ぶっちゃけ書くと

 

わたし 

 

2014年に倒産しました。 

 

 

まぁ会社のことだから

 

わたしが会社を倒産させることに決めて

 

その手続きをした

 

というのが正しい言い方ですが。

 

 

そしてわたしは会社の持ち主であったから

 

倒産=自己破産

 

という事態になるわけで

 

「会社は倒産

 

 わたし自身は自己破産」 

 

という事態になりました。

 

 

自己破産すると

 

持ち家や財産を手放さなくてはいけないのですが

 

わたしは持ち家派ではなかったし

 

車も東京移転した時に手放していたので

 

物質的にはあまり変わらない。

 

 

もちろんクレジットカードは  

 

5年も7年も使えなくなるので 

 

その不便さは大いにあったけど

 

売り上げの不足分を

 

ずっとクレジットカードでまかなってて

 

どのカードももう限度額いっぱいだったし

 

銀行から借入れしてた会社の借金も

 

結局は会社の持ち主であるわたし自身の借金なので

 

もう本当にパンパンに膨れ上がってた借金地獄。

 

 

普通 会社経営者なら

 

「どうやって売り上げをあげていこう」

 

と考えるのに

 

もう毎日毎日毎日毎日

 

ずーっと

 

「今月はどうやって返済しよう」と

 

寝ても覚めても横になっても上を向いても

 

ただそれだけしか頭に浮かばない。

 

そしてそんな頭と心の中身では

 

当然のごとく

 

新たな売り上げを作ることに知恵は及ばず

 

どんどんドンドン売り上げ減少。

 

だからさらにまた

 

「あー、来月はどうやってお金返そう。。。」

 

と不安が募ってどん底に落ちていく。

 

そんな日々が1年近く続いていました。

 

いや、もう思い出せないけどもっと前からだったかな。

 

 

 

でも自己破産すると

 

それらの借金がほぼ0に近い状態になるため

 

金銭面ではものすごくものすごく救われました。

 

 

ただ

 

心はね。。。

 

死にましたかね。。。

 

 

ずっと誰にも言えず

 

クレジットカード必要なとこでは

 

なんかごまかして現金払いさせてもらったり

 

そういう場に行かないようにしたりして過ごしていたけど

 

いつも闇の中にいる感じ。

 

そしていつも

 

コンプレックスや隠してることへのオドオド感が

 

体の真ん中あたり

 

奥~の方にあったりして

 

重苦しいものがのしかかっていましたね。

 

 

それが2014年だから

 

ちょうど今から10年前。

 

 

10年経ったから書こうと思ったわけじゃなく

 

たまたま波乱万丈物語を書き始めたのが今年で

 

今日これを書いてて

 

「ちょうど今年で10年なんだ」

 

と気づいた今。

 

 

 

ずっとお世話になっている

 

週末起業家&ブログコンサルのさとうあやこさん

 

「裏側の話も書いてみたらどうですか?」

 

と言われて書き始めた物語ですが

 

これ

 

偶然じゃないですね。

 

 

波乱万丈物語とはちょっと外れますが

 

そのあたりのこと

 

次回書いてみようと思います。


大好きな表参道でニコヤカにしてるけど、心は不安でいっぱいだった頃。

波乱万丈なわたしの人生の「闇の部分・波乱な出来事」を振り返る物語

53話目の今日は


ちょっとオモロい話で

 

父も母も亡くなった日に


全く同じことを巻き起こしたので

 

そのことについて^_^


 

前回の記事はこちら↓


 

父が亡くなった日は

 

病院から実家に連れて戻り

 

そこに父の弟たちと家族が大集合。

 

この物語の第2話で書いた通り

 

超〜飲みまくり騒ぎまくるラテン系家族だから

 

父が亡くなろうが涙なんて一切なし。

 

ひたすら飲んで

 

棺の前で大宴会日本酒生ビール赤ワイン

 

そして日付けも変わり

 

真夜中になったので

 

「そろそろ寝よう」ってなって

 

みんなで棺の前にお布団敷いた。

 

そして

 

電気を消して

 

「おやすみ〜」って言ったとたん!


なんと

 

家中の電気がバババー!と

 

ぜーんぶついたんです電球

 

これにはもービックリで

 

「あんちゃん まだおるんやなぁ」

 

と皆んな言いつつ

 

そのあとは

 

「往生際わるい」とか

 

「案外 執念深いけんなー」とか

 

いないのをいい事に

 

さんざん悪口ゆーておりました笑笑

 

 

そして今度は母が亡くなった時のこと。



母も病院で亡くなったので

 

その日は数年間一緒に暮らして面倒見てくれた

 

姉のマンションに連れて戻った。

 

で、マンションに着いて

 

葬儀屋さんが部屋までの動線を確認していたら

 

だれ〜もいないのに 

 

エレベーターが姉の部屋がある階へ登って行ったびっくり



そして次の日は

(まだあるんかい爆笑)

 

息子が棺のすぐ近くでストレッチしていたら 

 

急〜〜に「わーーッ❗️」っ叫んだから


何かと思ったら

 

なんと全く水のない部屋なのに

 

息子のズボンが

 

びしょびしょに濡れてるではあ〜りませんか👖

 

 

ケンカばっかりしつつも仲良かった父と母。

 

そして生きるエネルギーが強くて

 

なーんとなく執念深い感のあった父と母。

 

どちらも亡くなっても尚且つ

 

「オレは(私は)

 

まだここにいるよーーー❗️」 

  

とアピールして

 

健在だったとき同様

 

存在感た〜っぷり示しておりました とさニコニコ



波乱万丈なわたしの人生の「闇の部分・波乱な出来事」を振り返る物語


52話目の今日は

突然訪れた母との別れについてです。

 
前回の記事はこちら↓


 

本当にそれは突然訪れました。


前の日まで元気に出かけてたらしいのに

 

5月5日の夜に脳出血で意識がなくなり

 

6日の早朝に子供たち連れて

 

大急ぎで福岡に帰ったら

 

その日の夜に息を引き取った。

 

だからわたしは

 

母と最後の会話は出来ませんでした。


 

でも不思議なことがあるんです。

 

 

その数ヶ月前に


父のお墓参りで福岡に帰省した際

 

帰りの飛行機まで時間があったので

 

空港近くのお風呂屋さんに行った。

 

そして並んで湯船に浸かっていたら 

 

「アンタとこんなしてお風呂はいれるとか

 

思ってなかったー」 

 

としみじみ言った。

 

それ聞いてわたしは

 

「また大げさなことゆーてから笑」

 

と心の中で密かに思いつつ

 

「来てよかった」

 

とも思っていた。



そしてそのあと空港でバイバイする時

 

わたしは数年ぶりに泣かなかった。

 

それまで何年も

 

バイバイする時は必ず

 

ポロポロポロポロ涙がこぼれていたのに。

 

 

それが元気な母に会った最後の日。



母が45歳ぐらいの頃。キレイだったなぁラブ


 

きっと母は

 

親孝行できて嬉しかったわたしの気持ちと

 

泣かずに帰れたわたしを見て

 

「もう大丈夫」 

 

と安心して逝ったのかな。

 

だったらいーな。

 

と今でも思う。 

 


そしてもう一つ不思議に思うこと。

 

これは父の時も同じなんですが

 

亡くなる前に一緒にいたのは

 

わたしだけなんです。

 

それまで何年も面倒見ていたのは

 

姉だったのに。

 

 

子供のころから両親が苦手で

 

高校入学と同時に家を離れ

 

CA時代も結婚出産してからも

 

実家にゆっくり帰って両親と過ごす

 

なんてしたことなかったのに。

 

 

「なんで最後はわたしだったんだろう。

 

わたしの姿を見て安心したのから?

 

いや、きっと何か伝えたかった気がする。

 

それってなんだろう。。」 


 

父の死から17年


母の死から13年

 

今でも不思議に思う出来事です。


わたしのお宮参りの日

 


で、次回のお話は

 

父も母も

 

亡くなった日に

 

めっちゃ不思議な現象巻き起こしたので

 

次回はそれを書きますね。

 

To be continued 飛行機


波乱万丈なわたしの人生の「闇の部分・波乱な出来事」を振り返る物語

51話目の今日からは


2011年に東京移転したあと

 

今日までの13年間について

 

書いてまいります。

 

 

それまで以上に大きな波乱が起き



もがき苦しみまくり 

 

 

「ものすごい出会い」をきっかけに

 

大変化をさせていただいた

 

13年間の物語です。



前回の記事はこちら↓



東京に移転してきたのは

 

2011年4月16日。

 

関東でも甚大な被害が発生した

 

東北大震災の1ヶ月後でした。

 


CA時代から大好きだった表参道に

 

事務所兼自宅を借りて

 

半年前から行き来して

 

大きな大きな仕事の準備を進め

 

準備万端グッド! 心はバラ色🌹

 

だったけど

 

 

震災で状況は激変。

 

 

福島第一原発の爆発の影響で電力が足りず

 

関東全域で「計画停電」。

 

表参道も渋谷も

 

夜になるとびっくりするほど真っ暗で

 

暗〜い中を多くの人が行き交うスクランブル交差点は

 

かなり不気味。

 

その交差点をビルの上から眺めながら

 

「(準備してきた)仕事は大丈夫かなぁ。

 

なんか不安。。」 

 

と思っていたら

 

 

不安的中🎯

 

 

仕事が延期で

 

いつ始まるかわからない状態に。

 

色々状況を詳しく聞きたいけど


その会社にとっても初めての大災害だから 

 

「今はとにかく 待ってね としか言えない」 

 

と言われ

 

何も聞けない。

 

 

ひたすら待つ日々


 

でもこれがいけなかった。


半年ぐらい経ったころ先方に連絡してみると

 

「申し訳ないけど、なかったことに」 

 

と言い渡された。

 

 

今にして思えば

 

待っていたのがいけなかったのはよくわかる。

 

先方が困っている状況を伺って

 

わたし達にできる最善の提案を

 

なんとしてでもひねり出して提案するとか

 

何度も何度も足を運ぶとかすれば

 

仕事の規模は小さくなったとしても

 

恐らく実施させていただけただろう。

 


でも

 

怖くて行くことができなかった。


 

そして今にして思うと

 

その「怖さ」は

 

待ってることとか


状況がどうなるかということではなく

 

「東京でわたしが本当に通用するのだろうか」 

 

という

 

「自分自身への自信のなさ」

 

が原因の「怖さ」だった。

 

 

結局この出来事をきっかけに

 

わたしはドツボにハマっていくのですが 

 

その話はまた次回。

 

あ"〜、ついに


ずっと伏せていた出来事を公表する時がきた。。

 

あ"〜あ"〜あ"〜。。。不安不安不安



あ、その前に母が亡くなったから


先にそっち書きます。

 

To be continued 飛行機

 

この頃は仕事とお金の不安で娘といても常にギスギスしていたなぁ。


波乱万丈なわたしの人生の「闇の部分・波乱な出来事」を振り返る物語

50話目の今日は


東京移転の直前に起きた大きな大きな出来事について。


 

前回の記事はこちら↓


 

時は2011年3月。

 

半年前から進めてきた東京移転の準備も順調で

 

あとは息子の卒業式と

 

下宿への引越しを終わらせたら 

 

全てが完了。

 

いざ10年ぶりの東京へ。

 

 

となっていた3月11日。

 

 

あの未曾有の大災害

 

東北大震災が起きたのです。

 

 

東京でも震度5弱〜5強という大きな揺れで

 

様々な被害が発生。

 

電車などの交通はもちろん

 

電気やガスが止まった地区も。

 


そしてさらには 

 

福島第一原発の爆発で 

 

「放射能が大量に流れてくる」

 

という噂が広まり

 

「九州や沖縄に避難すべし」

 

という状況になっていた。

 

 

なので東京に住む友達や仕事仲間からは

 

「今は移転してこない方がいい」 

 

という連絡が日々届き

 

中には

 

「一年延期しなさい」

 

と言う方も。

 

 

でも

 

もう家も事務所も借りている。

 

仕事の段取りも進めてる。

 

さらに

 

浜松の家も数日後には退去することになっていて

 

仕事先へ移転の挨拶も済ませてる。

 

しばらく延期と言われても

 

住むとこどーす!?

 

仕事はどーする!?!?

 

そしてわたしの未来はどーなるの!?!?!?


 

テレビに映る東北の壮絶な状況を見ながら

 

ただただ途方にくれる日々なのでした。