追悼 阪神大震災(2)~高速バスが担った長距離幹線輸送~ | ごんたのつれづれ旅日記

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バスや鉄道を主体にした紀行を『のりもの風土記』として地域別、年代別にまとめ始めています。
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追悼阪神大震災「激震に遭遇した夜行高速バス」)の続きです。
 

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震源地に近い兵庫県南部は、様々な交通機関が集中しているため、阪神大震災によって日本の東西交通は長期に渡って完全に寸断された。
山陽新幹線をはじめとするJRや私鉄の鉄道網、高速道路や幹線国道が軒並み不通となり、関西国際空港が連絡橋の不通で一時孤立化、神戸港も埠頭が沈下して港湾施設が破壊されるなど、阪神地域の交通網はずたずたになってしまった。

同地域を通過する高速バスもことごとく運休した。
神戸発着路線のみならず、首都圏や名古屋発着の西日本方面路線、関西発着の各方面路線など、120近い高速路線が、震災当日に運転を見合わせている。
また、地元神戸のバス事業者では、高速バス待合施設の一部が被害を受けた。

鳥取発大阪行き山陰特急バスは、震災当日も運行を試みたが、道路の破壊と渋滞に阻まれて、第1便は、大幅に遅延したあげく、午後1時に宝塚市内で引き返した。

「家族が心配ですから」

と、乗客数人が下車、歩いて大阪方面に向かったという。

太平洋ベルト地帯を貫く大動脈が麻痺したことで、京阪神のみならず、日本の経済・流通機能は危機に直面した。
残された幹線交通機関である航空機に旅客が殺到し、多数の臨時便を運航してもなお座席が不足した。
貨物輸送を担うトラックも、代替ルートとなった日本海側の国道や四国・紀伊半島などのフェリー港に溢れ、いつ目的地に到着できるか見当もつかない有様だった。

高速バスも、復旧が長引く新幹線に代わる旅客輸送手段として注目された。
運輸省(当時)当局から要請があったことも手伝って、道路事情が100%改善するのを待たずに、次々と運行を再開している。

東京(品川・浜松町)と岡山・倉敷を結ぶ夜行高速バス「ルブラン」は、震災の翌日、1/18出発便から運行を再開。
当時、東京と岡山の間には3路線の夜行高速バスがあったが、他の2路線に先駆けての運行だった。
東京を出て、東名・名神高速から北陸道に回り、日本海側の国道を経て舞鶴道・陰陽連絡道へと大きく迂回するため、最初は大幅に遅延し、到着が夕方になったこともあったという。
長時間運転に備えて乗務員を3人乗せた日もあり、人件費・燃料費・高速料金等がかさんで採算がとれるかどうかも危ぶまれたが、公共交通機関としての使命感から、果敢に運行再開に踏み切ったのだ。

四国内各地から名古屋・東京方面を結ぶ夜行バス4路線が1/20から運転を再開するなど、「ルブラン」と同じ迂回経路で復帰した路線は多い。
しかし、大変な遅れが予想されたので、この時点では運行を再開した路線のほとんどが夜行バスだった。

慣れない道であり、

「所要時間は、ちょっと予想がつきかねます」(名古屋-高知線「オリーブ」の運行事業者)

という状態が続いたが、各社とも実績を重ねながらルートを研究し、数日後には、

「少しでも流れている道を探してきましたので、今では5時間以内の遅れで運行できます」(「ルブラン」運行事業者)

と胸を張る事業者も出てきた。

1/27に中国道が全線開通にこぎつけた。
これを機に、同日夜から運行を再開した横浜-広島線「あかいくつ」など、ほとんどの高速バスが走り始めた。

神戸発着の地元事業者が運行する高速バスも、渋谷、川崎・横浜、立川、宇和島・城辺、福岡、長崎、熊本、鹿児島方面への夜行高速路線が、損壊が著しい三宮を避け、姫路、尼崎、甲子園、垂水、舞子など周辺部を発着する形で、相前後して復活している。

三宮-岡山線は、三田-岡山間に経路を変更し昼行1往復で運行開始。

大阪-津山線「中国ハイウェイバス」と、神戸-城崎・湯村・浜坂線は、再開後も一部の便の運休を余儀なくされた。

梅田発の西行き路線は、中国道上の停留所を一部通過する措置をとった。

大阪・三宮と鳥取県内各地を結ぶ山陰特急バスは、大阪発着便を一部運休し、三宮で折り返す便を1往復設定した。

2/8には、三宮-関西空港リムジンバスが、損壊の激しい阪神高速湾岸線から国道43号線に経路を変更し、運行を再開、半月ぶりに三宮に高速バスが姿を見せた。
運行本数は、震災前より22往復少ない11往復。
1月末までの利用人員は震災前より5500人も落ち込んだという。

3月までには三宮に停車する路線も増え、再開が遅れていた東京-神戸線「ドリーム神戸」、名古屋-三宮線、三宮-岡山線も甦った。
神戸市内に高速バスが帰ってきたことで、全国の高速定期路線は、多少の遅延や経路変更が残ったとはいえ、ほぼ2ヶ月ぶりに平常運転に戻ったといえる。


 

定期高速バスを補い、新幹線に代わって長距離輸送を担う臨時ハイウェイバスも登場した。

中国道が再開通した1/27から、新大阪-姫路間高速バスが、山陽新幹線の不通区間をダイレクトに結ぶ代替交通機関として華々しくデビューした。
JR福知山・播但・加古川線などを経由する鉄道山間ルートが連日120~200%の混雑を呈しているため、運輸省が新たな対策としてバス会社に運行を打診していたものである。
1/25の発表後に問い合わせが殺到したため、上下便とも、第1便は、定員55人乗りのバスを3台ずつ手配した。

姫路駅前バスターミナルには、午前6時30分発の第1便に乗るため、早朝4時頃から、大阪へ通勤するサラリーマンや、生活用品を手に被災地を見舞う利用客が並び始めた。
新大阪駅には午前6時半頃から列ができ、出発前には200人に膨れ上がった。
新大阪駅を8時40分発の下り第1便は用意した3台がすぐに満席になり、発車時間を20分繰り上げて出発。
約70人が積み残された。

久しぶりにつながった高速道路に大量の車が集中した。
宝塚トンネル付近の高架で、危険を避けて1台ずつ通す措置が取られ、付近を対面通行にしたため、開通直後に下り線が48km、上り線が25kmに渡って数珠つなぎになった。
また、中国道に接続する名神高速や近畿道も、幾つかのインターを閉鎖しなければならないほど渋滞した。

新大阪-姫路間代替高速バスも、混乱のあおりをもろに受けてしまった。
姫路発の第1便は、福崎ICから中国道に乗った頃は、地震後の通勤地獄の疲れからほとんどが居眠りをしているようなのんびりした車内だったそうだが、吉川IC付近から、1時間に100mしか進まないというひどい渋滞に巻き込まれた。

「少々時間はかかっても、弱音を吐いたら被災者に恥ずかしい」(西宮市に勤める姫路市在住の男性)

と言っていた乗客も、出発から7時間後の午後1時頃、動けなくなったバスに痺れを切らして、

「降りて歩く」

と運転手に要求。
西宮名塩SAの3kmほど手前で150人が下車し、動かない乗用車やトラックの列を横目に路肩を歩き出し、2時間かけてJR西宮名塩駅にたどり着いて電車に乗り換えた。

「腹が立つのも通り越した」(西宮で被災した親類を見舞う途中だった主婦)

と、誰もが疲れ切ってうんざりとした表情だったという。

姫路発の第1便は、その後、12時間たっても到着できず、午後7時に西宮名塩SAで姫路へ引き返した。
後続の7便は途中で中国道を降り、三田駅で乗客全員を下車させた。
1台のバスも、新大阪には到着できなかったのである。
新大阪発も、先行するバスの大幅な遅延を受けて、6便が運休という、散々たる結果に終わった。

臨時高速バスの運行担当事業者は、翌日から渋滞のひどい区間を避けて姫路-三田間にルートを変更すると発表。
三田からは鉄道を利用してもらうことで、姫路-大阪間の所要時間が大幅に短縮できるようになった。

中国道の渋滞は長期に渡って慢性化し、高速バス関係者を悩ませた。
遅延が続出し、2/1出発の品川-今治間夜行バス「パイレーツ」下り便などのように、再び日本海側を迂回するケースもあった。

「5時間遅れの日もあれば、1時間程度の遅れですんだ日もあります。到着時刻が全く読めんのです」(難波-岡山・倉敷間高速バス運行事業者)

という、開通前と大して変わらない異常事態が続いたのである。

「大動脈である中国道の復旧を早急にしてほしい。開通後も通り抜けに3時間以上を要している」(大阪-鳥取・倉吉・米子間「山陰特急バス」運行事業者)

という悲鳴も上がった。

利用者からも、

「中国道に緊急・公共車両用の専用レーンが設けられていなかったことが災いしたのではないか。警察や道路公団の事前の研究不足は返す返すも残念」(奈良県在住の会社員)

などという声が少なからず聞かれたという。

それでも、中国道の開通に合わせて、梅田-岡山間では、震災の4年前に乗客数の低迷から運休していた高速バス路線が、昼行便で2往復が復活。
従来から走り続けていた堺東・難波-岡山・倉敷間高速バス(昼行便1往復)も鉄道代替輸送の性格を強め、1便あたり2~4台態勢をとった。




 

岡山は、姫路と並ぶ東西交通の西の玄関口となった。
姫路では、大阪方面の足が山間ルートを迂回する鉄道と三田行き臨時高速バスに限られるが、岡山からは臨時便で増強された航空路線や高速バスを使って、東京・大阪などに直行できる利便性が買われたのだろう。
航空会社は、既存路線に加えて、岡山-伊丹を結ぶ臨時便の運行を開始していたし、岡山駅と岡山空港を結ぶリムジンバスは連日大混雑で、運行事業者は関連会社にも応援を求め、多数の臨時便を出して対応した。



 

2/10には大阪(上本町)-福山線(昼4往復)、2/17には新大阪-岡山線(昼4往復)と大阪(上本町)-防府線(昼1往復・夜1往復)、3/5には新大阪-広島線(昼2往復)と難波-広島線(昼1往復)、そして3/17には東京(品川)-尾道線(夜1往復)が、新幹線代替輸送を謳った臨時高速バスとして登場した。

鉄道に先んじて、東西を結ぶ幹線交通を再建した高速バスの功績は大きい。

ただし、いずれも、最大で50人程度の定員の車両であり、定員1500人もの編成が1時間に数往復する新幹線の代替としてはキャパシティが不足している感は否めなかったが、阪神間の鉄道代替輸送で多くのバスを拠出しており、スキーシーズンでスキーバスにも車両を出さないわけにはいかず、乗員も車両も払底していた、という事情もあったらしい。
また、渋滞のため所要時間が読めない状況下で、トイレなしの車両を投入するわけにもいかないことも、増便を妨げていたという。

むしろ、限られた乗務員と車両をやりくりして、殺人的な混みようの鉄道や、航空機の長時間のキャンセル待ちに翻弄されていた人々に、温かい手を差し伸べるべく、できる限りの努力を払ったバス事業者の姿勢は、高く評価したい。

4/8には山陽新幹線が3ヶ月ぶりに開通し、臨時高速バスも大役を果たし終えた。

4/7に品川-尾道線、4/8に三田-姫路線、4/9に新大阪-広島線、4/14に新大阪-岡山線、4/20に梅田-岡山線、4/28に難波-広島線が、それぞれ運行を終了した。

新幹線の復旧は当初の予定より大幅に繰り上がったものだった。
そのため、4/8以降の便の予約を受け付けてしまっていたために、かなり後日まで残っていた路線が多い。

中には上本町-福山線のように、新幹線開通後も、好評のため現在に至るまで定期高速バスとして運行を続けている路線もある。

 

 


次回は、寸断された地元鉄道の代替バスについて取り上げます。

追悼 阪神大震災「災害動脈の苦闘~被災地の再生とともに走り続けた鉄道代替バス」

 

 

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