宮田佳代子氏の玉川徹氏に対するセクハラ発言に見られる報道の問題点 | 西陣に住んでます

宮田佳代子氏の玉川徹氏に対するセクハラ発言に見られる報道の問題点

宮田佳代子氏



2015年2月26日(木)放映のテレビ朝日「モーニングバード」において、番組コメンテイターの玉川徹氏に対して、同じく番組のコメンテイターの宮田佳代子氏と松尾貴史氏、そして番組キャスターの羽鳥慎一氏とサブキャスターが次のような発言をして冷笑を浴びせました。

宮田氏
「玉川さん奥さんいないですよね。そこからですよね。まずは。」

羽鳥氏
「答えにくい話だ。また眠れなくなっちゃうぞ。」

松尾氏
「睡眠導入にすごく効きますよ。」

宮田氏
「じゃぁ今日渡してあげる。終わったら。」

サブキャスター
「玉川さんの緊張が一気に高まったところで何とかしてもらいましょう。」

以上、番組出演者の玉川氏に対する宮田氏の発言は、たとえば、アメリカ合衆国の職場であったら確実にセクハラ認定される事例であると思います。カリフォルニア州の会社組織では、異性の秘書がいる場合にその秘書が結婚しているかどうか知らないて働くのが普通であり、結婚しているかどうか秘書に尋ねることが高額の訴訟問題になることは常識です。ただ、そのことはあえて触れずに、この記事では、宮田氏、羽鳥氏、松尾氏、そして「モーニングバード」の何人かのコメンテイターのセクハラに対する過去の発言を分析し、その発言と今回のセクハラ発言および野次が極めて無責任なダブルスタンダードであるということを検証するとともに、テレビ番組の出演者の中には、心にもないことを話して大衆の感情を操作する人物が存在することを示したいと思います。

まずは、↓こちらのyoutube映像を注意深く見てください。

[玉川徹氏に対する宮田佳代子氏のセクハラ発言]


テレビ朝日「モーニングバード」では、2014年6月の東京都議会における塩村文夏都議へのセクハラ野次に関する報道を1週間にわたり長時間をかけて放映しました。ここで、鈴木章浩都議による「早く結婚した方がいいんじゃないか」という野次は、明らかに不適切なセクハラ発言であると私は思います。ただし、その一言について、1週間にわたりヒステリックに個人攻撃するほどの事案であったかとなると、私はそうは思いません。鈴木議員が謝罪をして反省を込めた会見を開いた段階でもう少し冷静に議論すべき事案であったと考えます。朝日新聞の吉田調書誤報のような大問題ですらたった1日しか放映しなかった情報番組が、この問題についてヒステリックに取り上げ続けるのは異常なアンバランスであったと思います。ただ、「モーニングバード」が大きな社会問題であるセクハラに強い関心を持って大々的な集中報道を行ったこと自体は、いわゆる報道の自由の観点から見れば理解できないことはありません。

ここで、youtube映像を見ればわかるかと思いますが、「モーニングバード」のコメンテイターおよび司会者は、鈴木都議の発言に対して次のような主張を示して批判しています。

「早く結婚しろ」という発言は卑劣である(赤江氏)
「早く結婚しろ」という発言は問題外である(羽鳥氏)
セクハラ発言に伴って周りが笑う雰囲気は許せない(塩村氏)
セクハラ発言は許されていはいけない(崔氏)
セクハラ発言は恥ずべき行為である(吉永氏)
セクハラ発言は腹立たしい(前田氏)
公の場でのセクハラ発言は本音の表れである(前田氏・羽鳥氏)
セクハラ発言をした人物は自らけじめをつけるべきである(青木氏)
セクハラ発言はうやむやにはできない行為である(岡安氏)
セクハラ発言は日本が進んでいく道の障害である(石原氏)
セクハラ発言を生んだ組織に自浄作用の発揮を望む(岡安氏)
セクハラ発言をした人物は時代の風を感じ取る能力が低い(高木氏)
セクハラ発言をした人物は辞職すべきであると感じる(高木氏)
異性に結婚を勧めるのは単純にセクハラである(岩上氏)
セクハラ発言は言葉を使った痴漢行為である(岩上氏)
セクハラ発言が通用しない時代であると認識すべきである(岩上氏)
笑いが起きたということはセクハラの意識の表れである(羽鳥氏)
セクハラ発言に無意識でいることこそ問題である(高木氏)
中傷の意識がないことは逆にさらに怖い行為である(羽鳥氏)
合いの手のような言葉の選択はどうなのかと思う(羽鳥氏)
セクハラ発言は原始時代みたいな扱いである(WSJ投稿者)
セクハラ発言にはその都度毅然として対応すべきである(赤江氏)
セクハラ発言の内容は言語道断である(羽鳥氏)
セクハラ発言のさらなる追及をしない態度には疑問がある(宮田氏)
周辺の人は絶対にセクハラ発言を把握している(松尾氏・宮田氏)
周辺の人は自分たちが発言すると損だから発言しない(松尾氏)
セクハラ発言は世界中に恥をさらすことになりかねない(松尾氏)
セクハラ発言を容認する人物が多く存在する(玉川氏)
「早く結婚すればいい」と思っている人物が多く存在する(玉川氏)
セクハラ発言の被害者は少数派であるが存在する(玉川氏)
セクハラ被害を憂う人が増えていかなければならない(玉川氏)
セクハラ対策という観点で日本は世界に後れている(玉川氏)


これらの発言はヒステリックであるものの、おおむね合理的な主張であると言えます。そして、今回の問題に対する「モーニングバード」のコメンテイターの共通した論理は次の3つの三段論法で説明することができます。

大前提:異性に結婚を勧めるのはセクハラである。
小前提:鈴木章浩都議は異性に結婚を勧めた。
結 論:鈴木章浩都議はセクハラを行った。


大前提:セクハラ行為は許されていはいけない。
小前提:鈴木章浩都議はセクハラを行った。
結 論:鈴木章浩都議のセクハラ行為は許されていはいけない。


大前提:セクハラ行為に伴って周りが笑う雰囲気は許されてはいけない。
小前提:セクハラ行為に伴って東京都議会は野次をとばして笑った。
結 論:東京都議会は許されていはいけない。


このような論理で番組は鈴木都議と東京都議会を糾弾したわけです。

さて、この問題で「モーニングバード」が主張した上記の論理は、ジェネリックな論理であり、鈴木章浩都議および東京都議会のみに適用すべきものでないことは自明です。換言すれば、鈴木章浩都議のような発言をした人物に対しては同様の論理を適用すべきであると言えます。

そんな中で、宮田氏は玉川氏に対して「奥さんいないですよね。そこからですよね。まずは。」と発言し、周りにいた羽鳥氏と松尾氏は野次を飛ばしたわけです。彼らには、次のような論理が適用されるべきです。

大前提:異性に結婚を勧めるのはセクハラである。
小前提:宮田佳代子氏は異性に結婚を勧めた。
結 論:宮田佳代子氏はセクハラを行った。


大前提:セクハラ行為は許されていはいけない。
小前提:宮田佳代子氏はセクハラを行った。
結 論:宮田佳代子氏のセクハラ行為は許されていはいけない。


大前提:セクハラ行為に伴って周りが笑う雰囲気は許されてはいけない。
小前提:セクハラ行為に伴って羽鳥氏と松尾氏は野次をとばして笑った。
結 論:羽鳥氏と松尾氏は許されていはいけない。


そもそも、宮田氏は「一般の職場でも、発言することはなくても(結婚すればよいと)思っている人、そういう目にあっている人がやっぱりいっぱいいるのかな。」とヒステリックに発言していますが、この「発言することはなくても思っている人」というのが宮田氏自身でした。つまり「発言することはなくても思っている人」が「発言することはなくても思っている人がいっぱいいる」として確信的に世間を批判していたわけです(笑)。この場合、明らかに鈴木都議はスケイプゴートとして使われたと言えます。

もちろん、羽鳥氏と松尾氏も鈴木都議をスケイプゴートとして使っています。まず、羽鳥氏に関していえば、異性に結婚を勧めた鈴木章浩都議のセクハラ発言の内容は言語道断である旨の発言をしていることからわかるように、今回の宮田氏の発言の合いの手のように野次を飛ばした行為は、明らかに確信犯であると考えられます。何といっても「答えにくい話だ。また眠れなくなっちゃうぞ。」というのは、この番組の基準でいえば、卑劣な野次と評価するに十分であり、番組の論理によれば、許されてはいけない行為ということになります。また、羽鳥氏の野次が仮に確信犯ではなく無意識な行為であるとしたら、それはさらに怖い行為であると言えます。なぜなら、羽鳥氏の主張によれば、中傷の意識がないことは逆にさらに怖い行為であるということだからです。そもそも、羽鳥氏は、笑いが起きたということはセクハラの意識の表れであると主張すると同時に、合いの手のような言葉の選択はどうなのかと思うとも発言していました。つまり、羽鳥氏がセクハラを確信的に容認して野次を飛ばしたとしても、無意識に野次を飛ばしたとしても、羽鳥氏が、羽鳥氏の基準でいうところの「許されてはいけない」人物であることに変わりはありません。一方、松尾氏も今回の宮田氏のセクハラ発言を確信的に把握していて野次を飛ばしたと考えられます。なぜなら、松尾氏は、都議会でのセクハラ騒動の時に、周辺の人は絶対にセクハラ発言を把握していると主張していたからです。ただ、松尾氏が宮田氏のセクハラ発言を把握していたことを認めるかというと、まず認めない可能性が高いと考えられます。それは、上述の松尾氏の発言を参照すればわかるように、そう発言するとが損であることを松尾氏自身が十分に知っているからです。

なお、断わっておきますが、上記の議論の価値判断はすべて「モーニングバード」での価値判断であり、私の価値判断はまったく介入していないことに注意してください。宮田氏・羽鳥氏・松尾氏の行動は、彼ら自身の基準によって「セクハラ発言」であると認定され、彼ら自身の価値感によって「許されない行為」であると認定されるものです。つまり、彼らの基準や価値観を尊重すればするほど、彼ら自身が糾弾されるべき人物であることが明確になります。そして彼らの言葉を尊重すれば、彼らこそ職の辞任を含めたけじめをつけるべき人物であると言えます。

その一方で、玉川氏が、同様のセクハラ行為で被害を受けている人々のサイドに立つ真のジャーナリストであるのであれば、少数派のためにも、公私混同を排除して厳格に宮田氏、羽鳥氏、松尾氏の行為を追及すべきであると考えます。彼らが玉川氏に行った行為は、公共の電波に乗って日本全国に放映されました。この映像を見て絶望感を味わったセクハラ被害者もいた可能性があります。公共の電波に乗って放映された段階で、この事案は玉川氏が彼らを許して済むような問題ではなくなっています。報道機関としてのテレビ朝日のジャーナリズムの姿勢が問われる重大な事由であるとも考えます。

何よりも大切なことは、このような番組によって感情を弄ばれている視聴者の方々が、その不都合な真実を確実に認識することであると考えます。少なくとも、今回の事例において、宮田氏・羽鳥氏・松尾氏は、自らが犯してしまうような行動を犯した鈴木議員と都議会を過度に問題視してヒステリックに批判することで番組コンテンツのネタとしたことは確かです。

セクハラの根絶は社会にとって非常に重要な課題です。このためには、ヒステリックな批判を単純に繰り返すよりは、むしろセクハラ発生のメカニズムを冷静に分析して、これを防止するジャーナリズムが望まれるところであり、その内容を冷静に伝えることこそがメディアの責務であると考えます。。

偽物のジャーナリズムが社会から排除されることを強く望む次第です。