最後に皆様に心より感謝いたします | 西陣に住んでます

最後に皆様に心より感謝いたします

西陣




残念なことに西陣を離れることになったため、ブログタイトル「西陣に住んでます」を存続することができなくなりました。2005年の12月に始めて約10年続いたこのブログでしたが、記事のコンテンツとしては、京都関連のトピックをはじめとして、歴史・旅行・映画・テレビ・音楽・美術・競馬・グルメ・和洋服飾・政治・メディア・おバカネタ(笑)まで、いろんなジャンルをカヴァーしていたかと思います。この記事では、このブログをざっと振り返るとともに今後のプランについて書きたいと思います。



女の子西陣


このブログは、西陣に実際に住んでいた私が、京都に関する内容を主として、日々興味を持っていた事柄にフォーカスを当てて考えを自由につづったものです。まずは、ブログタイトルにもなっている「西陣」に関連して私の思いを書いておきたいと思います。


「西陣」という地名は、ご存じのように、応仁の乱で西軍を率いた山名宗全がこの地にあった自宅を中心に陣を張ったことに由来しています。西軍に対する東軍を率いたのは、山名宗全邸からたかだか300m東に自宅があった細川勝元です。応仁の乱は、日本全国を巻き込んだ大戦争として知られていますが、実は堀川通の西に住んでいた山名宗全と東に住んでいた細川勝元の近所喧嘩と言えます(笑)。しかも、そもそもその喧嘩の原因が何かといえば、天下の遊び人として知られる将軍足利義政を中心とする関連キャラのモラル崩壊にあると言えます。


そのモラル崩壊のいきさつについて、説明文を加えて軽~く書いちゃったのが、[応仁の乱シリーズ] です。第二部を書けていないのが残念ですが、その後もモラルの崩壊が有機的に結合して行き、最終的には戦国時代を招く大きな誘因となったものと考えられます。室町時代中期は、一般の歴史ファンには人気がない時代ではありますが、このような道理を欠いたドタバタのシークエンスは他の時代には例を見ないものであり、私にとってはもっとも興味深い時代といえます。いつか機会があれば、別のページで第二部を書きたいと思っています。


西陣


さて、応仁の乱の舞台のイメージが強いため見落とされがちなのですが、平安京遷都以来、西陣は京都の歴史のステージセンターであったと言えます。西陣は平安京のランドマークとなった船岡山の真南に位置し、日本国のオフィシャルビルディングだった大極殿(だいごくでん)や天皇が住む内裏(だいり)がこの地に建造されました。まさに平安時代の西陣は、宮(御屋)がある処(宮処)を意味する「京(みやこ)」であったわけで、紫式部「源氏物語」の世界が広がっていたと言えます。少なくとも私は、そのような世界を毎日空想しながら暮らしてきました(笑)。このブログでも、源氏物語千年紀の年に、西陣を振り出しに源氏物語ゆかりの地をくまなく巡り、おもいっきり楽しませていただきました。源氏物語の表面上のテーマは「ビバリーヒルズ青春白書」も負けちゃうくらいドロドロとした男女交遊ですが(笑)、私にとって興味深いポイントは、京都の雅な文化のディテイルと日本人のフィロソフィーの源流を感じることができる点でした。源氏物語は、まさに京都を理解する上での最重要アイテムであり、今後もよりディープに愉しんでいきたいと思っています。なお、源氏物語の内容をよくご存じない方は、ぜひ拙著[一瞬で読める源氏物語] をお読みくださ~い(笑)。


鎌倉時代になると御所が現在の位置に移ったため、西陣から500mくらい東にある今出川烏丸~室町あたりが歴史のキープレイスになりましたが(例えば、里御所、室町幕府、織田信長の二条城など)、桃山時代を迎えると再び西陣に歴史の中心が移ります。太閤豊臣秀吉は、その絶頂期に京都の居城として西陣に聚楽第を建造して「聚楽よ~ん!」の世界を謳歌しました(笑)[*]


江戸時代になると、西陣の南に建造された徳川家康の二条城(現在の二条城)が京都で最も高い政治的プレゼンスを誇る場となりました。ただ、実際に京都の治安を守っていたのは、この二条城の北端あって西陣と接する京都所司代でした。実は、私の主人の家に代々伝わる系図によれば、主人の祖先は京都所司代を務めていたことがわかっていて、私たちが西陣に住むことになったのも、主人が京都所司代の近くに住みたいと希望したのがきっかけでした。主人の家系は代々江戸に住んでいて西日本とはまったく縁が遠い存在だったのですが、今回約250年ぶりに江戸から京都に戻って暮らしていたというわけです(笑)。そしてそんなこと言っている私の祖先も、実は平安時代におそらく西陣周辺に住んでいたものと推定されています。


西陣は京都で最強のパワースポットであるとも言えます。西陣は、スピリチャルな有名人物[*] を祀る場所に取り囲まれています。すぐ東には日本の大魔縁と恐れられている崇徳上皇[*] を祀る白峯神宮、西には日本最大の怨霊と恐れられている菅原道真を祀る北野天満宮、東北には祇園祭の発祥に深くかかわる怨霊である早良親王[*] を祀る御霊神社、北には京都の魔界のスーパースター小野篁[*] の墓、すぐ南には[陰陽師安倍晴明[*] を祀る晴明神社がそれぞれ位置しています。


さて、西陣に住んでいて、その素晴らしさを日々強く認識させられたのが、応仁の乱後に発祥した我が国の伝統工芸品の最高峰の一つである西陣織です。西陣織の最大の特徴は、生地を織ってから染める後染め織物ではなく、様々な色に染められた糸を使って織った先染め織物であるということです。先染め織物は、製造には大変な労力がかかりますが、色落ちが少なく、丹念に撚った経糸と緯糸の色の組み合わせと織り方のヴァリエーションで例えようのない深い味わいを表現できるとともにスタイリッシュな着こなしが保障されます。ぜひ、皆さんも西陣織会館(入館無料)で西陣織を一度じっくりと観察してみてくださ~い!


なお、現在の西陣は、京都観光のベストポジションであると私は考えます。西陣は、京都に星の数のようにある東西南北の観光地のちょうど重心付近に位置しています。私がまんべんなく京都を歩くことができたのも、やっぱり西陣に住んでいたからだと思います。



女の子京都の四季の風物詩


このブログでは、京都の様々な風景について紹介してきましたが、特にインプレッシヴだったのは、京都の最大の魅力の一つである季節の風物詩です。中でも大好きだったのが、桜もみじ紅葉です。この代表的な風物詩に対して、このブログでは、それぞれ、[京都桜便り][京都紅葉便り] というタイトルで思う存分紹介させていただきました。この一連の企画記事は、年毎に(1)天候状況に基づく鑑賞時期の予測-攻略作戦、(2)開花や色づきの速報、(3)個々の鑑賞ポイントにおける実況写真、(4)総集編というオリジナル構成で、それまでのソーシャルメディアにはなかったスタイルを創れたかと思います。今では、「京都桜○○」「京都紅葉○○」といったようなタイトルをつけた類似ページがいろいろとあるようですが、こういうページに出くわすたびに変な達成感を感じている次第です(笑)。それはさておき、この桜・紅葉観賞を通して、ホントに涙が出るような一期一会の素敵なシーナリーに何度も出逢いました。最後なのでバラシちゃいますと(笑)、私が究極に好きだった桜は、京都御苑の近衛の糸桜、醍醐寺霊宝館の大枝垂れ桜、宵の口の祇園白川と円山公園の祇園枝垂桜、京都御所の左近の桜、平安神宮の左近の桜&八重紅枝垂れ桜、西陣雨宝院の歓喜桜(以上、開花順)で、究極に好きだった紅葉は、奥嵯峨の滝口寺の紅葉、西山の十輪寺の紅葉、相国寺開山堂の紅葉、直指庵開山堂の紅葉、妙心寺大法院の紅葉(以上、色づき順)です。もし皆様がこれらのサイトの見頃に鑑賞されるチャンスがありましたら、ぜひゆっくりと楽しんで下さい。ところで、この企画記事に関連して撮影した写真につきましては、いろいろな旅行雑誌[*] やタウン誌[*] に使っていただいたり、テレビ番組のポスター[*] に使っていただいたり、京都の旅行アプリ[*] [*] になっちゃったり(笑)、いろいろな方々にいろいろな目的でお使いいただきました。写真たちも喜んでくれていると思います。なお、このブログ中に掲載されている私のオリジナル写真につきましては、以前から宣言しているように、私が持つ著作権をすべて放棄しますので、どうぞ皆様、私に構わず(笑)、必要に応じてご自由にお使いくださ~い。


京都の春と秋の風物詩が桜と紅葉であるとすれば、の風物詩は祇園祭[*][*][*]五山送り火[*] であると思います。これらの一連のイヴェントは旧暦では6月初旬~7月中旬に行われていたのですが、新暦では1ヶ月スライドさせて、7月初旬~8月中旬に行われます。その宗教的な意味については、詳しくいくつもの記事で書きましたが[*] 、基本的なプロシージャ-は、7/17:祇園祭の山鉾巡行で平安京の疫神を捕える、7/17/~/24:祇園社(八坂神社)から神輿でテンポラリーに平安京に入ったスサノオが御霊会を行う、7/31:夏越の祓で穢れを祓う、8/7:七夕で物忌みする、8/13~8/16:盂蘭盆会で精霊を家に迎える、8/16:五山送り火で精霊を送る、というものです。この一連のプロシージャ-が様々な伝統芸術と一体化して美しい風情を作るというのが京都の本当に素晴らしいところであると思います。思えば、その起源を謎解くため旅に出たこともありました(笑)[*] [*] 。なお、青モミジが美しい初夏の京都を行進する葵祭[*][*] もホントに素晴らしいですね。こちらについてもその起源を謎解くため旅に出たこともありました(笑)[*]


一方、[*] の風景もまた素晴らしい風景です。晩秋に紅葉で鮮やかだった世界が、凍えるような寒さを伴う積雪によって、絶望的なブラック&ホワイトの世界に一変するのは、まさに諸行無常を感じさせられるところです。冬と春を分ける[節分]も極めて重要な風物詩と言えます。


いずれにしても、夏は熱く冬は寒く春秋は美しい京都の四季は日本人のアイデンティティを強く感じさせてくれます。次の清水寺の一期一会な風景はその最もティピカルなものであると思います。


春の昼[*]

清水寺


夏の夕[*]

清水寺


秋の夜[*]

西陣に住んでます-清水寺


冬の朝[*]

西陣に住んでます-清水寺


このような四季に加えて、少し違った美しい京都を愉しめるのが梅雨の時期です。特に[京都の庭] を楽しむには、この時期が最高のおススメです。雨が降ることによって苔が最高に美しく映えて、気温も適度で、混雑も少なく、建物内からゆっくりと大自然のアブストラクトである庭園を眺めて時間を過ごすことができます。私の個人的価値観から言わせていただければ、このようなシチュエイションは最高の贅沢と言えます。私が特に好きだった庭は、大徳寺黄梅院直中庭&大仙院枯山水&龍源院一枝担、相国寺裏方丈&開山堂前庭、銀閣寺東求堂庭園、成就院月の庭、東福寺霊雲院九山八海の庭、醍醐寺三宝院庭園、天龍寺曹源池庭園、西芳寺苔庭、そして龍安寺石庭&池泉式回遊庭園です。


京都はこの他にも[梅と桃][他の草花] など季節の風物詩に溢れていますね!



女の子京都の歴史・宗教と都市構造


京都は、桓武天皇がグランドデザインをした四神相応[*] の宗教都市であると考えられます。さらに、天皇が住む平安京内裏と磐座・神社・仏閣・墓地の位置関係を詳しく見ていくと、平安京という王城を鎮護するために、桓武天皇が鬼門裏鬼門方向に霊的なバリアを張り巡らせたことを推察することができます[*] 。その後、安倍晴明、白河天皇、後白河天皇、平清盛、足利義満、足利義政、織田信長、豊臣秀吉、徳川家康がいろいろな形で新たな霊的バリアを構築していった可能性があることを示しました。これらの宗教施設建設のアクティヴィティについて、これまで時間軸をある程度区切って個別に空間的な分析してきましたが、今後未検討な部分も加えて、何らかの形で通史的にまとめてみようと思っています。やはり、キーコンセプトとなるのが、陰陽道であることは間違いないと思います。


西陣に住んでます-四神相応



女の子古代史の謎


北半球の中緯度に位置する日本には四季があり、その四季を支配しているのは太陽の運行です。農耕によって生活していた古代日本において、太陽はもっとも重要な支配者であるといえ、これを神格化することは極めて論理的であると言えます。そしてこのことこそ、日本が天照大神を主神とする太陽信仰の国である所以であると考えます。ちなみに、日本と同様に中緯度に位置する多くの地域では、例えば、パンジャーヴ(インド)のミトラ・ヴィシュヌ・スーリヤ・ヴィローチャナ、ペルシャ(イラン)のミスラ、メソポタミア(イラク)のシャマシュ、ウガリット(シリア)のシャプシュ、ヘリオポリス(エジプト)のラー、ギリシャのヘーリオスなど、多くの人々の信仰を集める太陽神が存在しています。


さて、古代日本の神道系インフラの空間的位置関係を検討してみると、日本神話で関連深い対象を祀るインフラが線状にレイアウトされているケースが多く、これらの方位と特定の季節(春分・夏至・秋分・冬至・節分)における太陽の日の出&日の入りの方位がよく一致することがわかります。このようなレイアウトが作るラインはレイラインと呼ばれるものであり、このブログでは、日本神話の考察を基礎としていくつかのレイラインの存在の可能性を示してきました。この一連の検討結果は、日本の古代におけるレイラインの分析 総合案内[*] にリスティングしてます。もちろんこの検討は、客観性を重視した科学的アプローチであり、よくありがちな神秘論的アプローチではありませんので(笑)、ゆっくりとお読みいただければ嬉しいです。


西陣に住んでます-神宮の神々とレイライン


レイラインについては、今後も研究を進めていきたいと考えています。



女の子映画&テレビ&音楽


映画の話題については、私が見てきた新作映画を中心にいろいろと紹介してきました。この一連の映画鑑賞歴から、私の映画の嗜好を客観的に分析すると、マニアックな芸術作品は極めて少なく、誰もが楽しむことができる娯楽作品が多いと思います。実は私は、これまでにベルイマン、フェリーニ、ロッセリーニ、ヴィスコンティ、キューブリックとかの芸術作品もかなり観てはいるのですが、やっぱり、セシル・B・デミル、ジョン・フォード、ヒッチコック、フランク・キャプラ、ジョージ・ルーカス、ジェームズ・キャメロンといった娯楽作品の方が頭にピンとくるかと思います(笑)。とにかく近年衝撃を受けた芸術作品は、2012年のキネマ旬報外国映画1位に輝いた「ニーチェの馬」という作品です。本当に心から退屈しましたが(笑)、きっと観る人が観れば素晴らしい作品なのだと思います。ぜひ皆さんも観てくださいね(笑)。私は芸術作品はあきらめて、もっぱらおバカ映画[*] ワースト映画[*] の鑑賞をひそかに続けていく所存です(笑)。


テレビの話題もいろいろと書きましたが、やっぱり印象に残っているのは「土曜ワイドの犯人予測」企画です。もうめちゃくちゃ外しっぱなしで恥ずかしい限りでした(笑)。それに対して、予測的中を続けているのが「NHK大河ドラマの視聴率予測」[*] です。数量化理論I類という統計予測手法を使って予測しているのですが、かなりいい線いってます。今年の「花燃ゆ」も、後半での視聴率の落ち込みを考えると、いい感じで予測できているのではと考えています。なお、テレビに関連して個人的に最高に楽しかったのが「TWENTY FOURを24時間で見る」[*] です。観終わった後にいつも泥のように眠っていたのを思い出します(笑)。


音楽の話題もかなり書きました。私は基本的に1920年代から現在に至るジャズミュージックが大好きで平素よりめちゃくちゃ聴きまくっています。実は今後めちゃくちゃマニアックすぎて誰も読みたくもないような(笑)、ジャズのあるマイナー分野に関するブログを内緒で書いてみたいと思っています。一方、ポピュラーミュージックもぼちぼち楽しんでいます。今年はなんといってもあの[USA for Africa][LIVE-AID] から30年の記念の年ですね。同じ日にDVDを流しっぱなしにして楽しみたいと思っています。



女の子電力エネルギー問題


このブログで、1日のアクセス数が最も多かったのは、2011年の東日本大震災直後に投稿した[東京電力の計画停電を考える] の約16万件です。この記事は、今では多くの人が知ることになった電力需給における同時同量の原則、電力のベストミクス、ースロード・ミドルロード・ピークロード、揚水発電等について説明したものですが、ジャーナリストの佐々木俊尚さんをはじめとする皆様にご紹介いただきまして、多くの方々に読んでいただけた次第です。この記事の直後、その時点では、まったく誰も着目していなかったサマータイム導入を提案した[今こそサマータイムの導入を] という記事を投稿すると、その後あっという間に日本全国でサマータイム導入議論が起こりました。なんと、記事投稿の2日後に蓮舫行政刷新大臣がサマータイム導入の提案を行ったのにはビックリしました。蓮舫大臣は具体的な資産を全く示していなかったことから、おそらく、民主党にありがちな受け狙い提案だったと思いますが(笑)、もちろん私にはこの時点である程度の試算があり、その後にその効果を定量的に示した次第です[*] 。今でも忘れられませんが、これらの記事については、めちゃくちゃコメントが来たので、めちゃくちゃコメント返しをしました(笑)。このとき面白いと思ったのは、あたかも専門家のように俗説を語って自らのプレゼンスを示そうとする人物や、対人論証を中心とする誤謬で異論を封じようとする人物がぼちぼち多かったことです(笑)。ちなみに、私は今でもサマータイムの導入は、日本社会および日本経済に持続的にポジティヴな効果をもたらす合理的な施策であると思っています。


日本が今後も普通の幸せな国として存続していく上で、極めて重要な問題が電力エネルギーのベストミクスの構築であると考えます。私たちが考えなければならないのは、電力の安定供給という条件の下で、経済負荷、環境負荷、安全負荷といった発電に起因する負荷を最小化することです。これらの負荷の配分をどうするかが大きな問題であると言えます。まず、経済負荷を最小化するということは、発電設備設置コストと発電コスト(燃料調達コスト+設備運用コスト)の合計額を最小化することにほかなりません。この経済負荷と環境負荷の最小化を追求し、ある程度の安全負荷を許容した結果生じたのが、福島第一原子力発電所の事故であると考えます。今となっては、たかだか1000億円もあれば十分に建設できた防波堤をケチったために、日本社会は大変な経済的損失を受けることになってしまいました。一方、原発による安全性をゼロリスクという形で不必要なまでに低下させ、莫大な経済負荷と環境負荷を日本社会に負わせる結果が予想されるのが原発再稼働反対政策です。火力燃料購入に伴う数兆円/年のGDP押し下げ効果と温室効果ガスの排出過多によって日本の対外競争力は持続的に低下すると同時に、中小企業は持続的な経営危機に直面することになることが予測されます[*] 。今、政治に求められるのは、内閣府のコスト等検証委員会が各電源に要求される経済コストに加えて環境リスクや安全リスクを定量化し、経済負荷、環境負荷、安全負荷を社会的な許容限界値をクリアした上で最小化することができる電源ベストミクスを構成することであると考えます。自動車事故で毎年4000人の国民が亡くなるリスクや排気ガスによる肺癌リスクの上昇をそのままにしておいて、原発にだけゼロリスクを課すのは明らかにイロジカルです。目に見えないものなので忘れがちですが、電力は自動車以上に私たちにとって多大な便益を与えてくれる生活必需品と言えます。


なお、間違えてならないのは、不安定な太陽光発電や風力発電を原子力発電に代わるベースロードあるいはミドルロードとして使用するのであれば、電力需給の同時同量を確保できる大規模逐電インフラ(例えば揚水発電)が必要となることは間違いありません[*] 。このコストは、太陽光発電や風力発電の発電コストをさらに上昇させることになります。「報道ステーション」「NEWS23」「関口宏のサンデーモーニング」に見られるような、あたかも専門家のふりをした素人集団による、基本的分析すら欠いた超オプティミスティックな自然エネルギー導入論は、日本経済に対して壊滅的にネガティヴな影響を与えることになると考えます。電力の議論を行うにあたっては、数学的根拠をもった時系列需要予測をベースとすべきであると考えます[*] [*] 。ちなみに、2012年夏、需要予測の専門家でない飯田哲也氏と古賀茂明氏(当時ともに大阪府市特別顧問)が何の数学的根拠もないお粗末な需要予測を行って関電の原発即停止を訴えましたが、実際にこのとき原発を停止していたら2012年8月2日と8月3日に計画停電が行われ、関西経済に深刻な影響を与えることになったことをデータが語っています[*] 。なお、飯田氏も古賀氏も自分の発言に何の責任も取っていません。また、古賀氏については、この時もし原発を止めて停電が起きていたら「関電の停電テロ」として喧伝していた可能性すらあります。恐ろしいことです。



女の子マスメディアの誤謬(ごびゅう)


マスメディアには社会の公正性をチェックするという極めて重要な使命があります。このチェックにあたって、公平公正を謳う報道機関であるのであれば、客観的な論理に基づき報道を行うべきであり、自らの主観的な哲学に基づき報道すべきではありません。なぜなら、客観的な論理は万人にとって公平なものでありますが、主観的な哲学は個人の価値観によるものであり、必ずしも万人に共通しないものです。ここで、ありがちなのは、あたかも客観性を装って読者や視聴者を特定な方向に導く偏向報道です。この偏向報道に必ず含まれるものが、論理的誤謬(logical fallacy)です。逆にこのような各種誤謬が含まれていない報道こそが客観報道であり、社会にとって有益なものです。もちろん、ソーシャルメディアや公平であることを必ずしも宣言していない新聞などにおいて、主観的な哲学を述べることは保障されるべきです。しかしながら放送法によって不偏不党を義務付けられているテレビにおいて、国民の情緒を弄び、事実に基づかない内容や根拠に基づかないプロパガンダを喧伝することは大きな問題であると考えます。例えば、日本経済における長期のデフレは、値上げという行為を徹底的に悪魔化したテレビ報道が推進力となったと考えられますし、社会保障における極端な世代間アンバランスは、情緒に訴える論証によって高齢者を過度に擁護するテレビ報道が推進力となったと考えられます。また、明らかに政策の議論よりも劇場型を優先し、社会党マドンナブーム、細川連立政権、小泉郵政選挙、民主党政権交代など、後に評価が著しく低い政治勢力の台頭にも大きく貢献しました。これらの政治勢力は、選挙において、政策のスローガンのみを語り、その政策を採用する合理的理由やフィージビリティーについてはほとんど語らないという点で共通しています。個人が特定の倫理をもって特定の哲学を主張するのは正当な行為であると考えます。また、合理的根拠を示して個人の倫理や哲学を論理的に説明するのも当然正当な行為だと思います。ただし、公共の電波を使って合理的根拠を示すことなしに個人の倫理や哲学に誘導する行為は明らかに不当であると考えます。


さて、このブログにおける最後の一般記事になった[あまりにも歪められた沖縄辺野古基地問題の報道] については、まったく予想もしていなかったのですが、約3000件もの「いいね」を頂戴いたしました。このブログの最後にまた多くの方々にお読みいただき本当に嬉しく思っております。そして、この予想外の出来事は、ジャーナリストの佐々木俊尚さん[ツイッター] でご紹介いただけたことによるものと思っています。私のような一般人のブログを取り上げていただき本当にありがたく思っています。


けっして取り上げていただけたから言うのではありませんが(笑)、私は佐々木俊尚さんのジャーナリズム(情報の収集・処理・配布)に強く共感しています。合理的理由がないのに個人のイデオロギーで意見にかみついたり、合理的理由がないのに個人のイデオロギーで意見に飛びついたりして、即座に事由の善悪を決定しなければ欲求を満足しないような言論の風潮に対して、一貫して、合理的根拠に基づいた意思決定に有益な情報の提供に努められている佐々木俊尚さんのアクティヴィティは、真のジャーナリズムであると思っています。もう少し具体的に言えば、マスメディアやその影響を受けたソーシャルメディアが思考停止に設定しがちな先入観を徹底的に排除して、個別のイシュー毎に徹底的に情報収集した上で論理的考察を展開されているスタンスが素晴らしいと思います。また、佐々木俊尚さんの発信されている情報は、多くの自称ジャーナリストにありがちな個人のプレゼンスを主張するのに有益な情報ではなく、まさに公共の福祉に有益な情報であると強く感じる次第です。何物にも与することがないので、論理の展開が極めてナチュラルで誤謬が存在しません。逆に佐々木さんの言論に対する反論のほとんどが「反対のための反対」や「批判のための批判」であり、多くの誤謬が含まれているのが興味深いところです。


イデオロギーを基調とする政治運動にありがちな「反対のための反対」や「批判のための批判」はカルト宗教と類似したメカニズムをもっていて、その構成員が、必ずしも十分に理解しているわけではない教義やイデオロギーをその場に流れる「空気」で無批判に受け入れ、その「正義の経典」に縛られて思考停止状態でスローガンを唱えるというものです。このような構成員にとっては、教義やイデオロギーに不都合なデータは悪であり、そのデータを唱える人物を悪魔化する行動に出ます。例えば、私が、反原発運動や反辺野古基地運動にとって不都合となる内容を少しでも書くと、イデオロギーで反対運動をしていると考えられる人物から、原子力村の住民だとか政府の手先だとか、本質的な議論とは異なるメッセージやコメントが届きます。そのような人物に言いたかったことは、私は紛れもない西陣の着物のクリエイターの一人であったということです(笑)。なお、ありえないことですが、仮に私が原子力村の住民であったり政府の手先であったりしたとしても、反論は言論の内容に対してのみ行うべきです。対人論証(ad hominem)は最も幼稚な誤謬の一つであり、言葉の暴力に他なりません。いずれにしても、日本の言論をナイーヴにしている論理的誤謬については、新たなブログを立ち上げて、体系的な研究を行っていきたいと思っています。



女の子おバカ記事と徹底分析記事


真面目な話をしておいて落差が大きいおバカ記事を書くのが、このブログの特徴でもあったかと思いますが(笑)、おバカ記事と徹底分析記事はこのブログを書くにあたって最大の楽しみでもありました。このジャンルで私がパっと思い浮かぶのは以下の記事です。


[紳士靴1] [紳士靴2] [紳士靴3] [スポーツ審判員] [三宅議員転倒]
[ぽっかぽかレモン1] [ぽっかぽかレモン2]

[変装ドラマ] [幕末そっくりさん]


冷静に振り返って自己評価してみると、ホントにどうでもいいことにめちゃくちゃエネルギーを使ってきましたね(笑)



女の子このブログの過去と将来について


このブログの歩みについて簡単に触れておきますと、当初は毎日更新していて、今は無きアメブロ「おでかけ」ジャンル創設時からランキングトップを続け、総合順位でも300位くらいまで行きましたが、ランキングによってブログが変貌する嫌な予感もしましたのでランキングトップのままランキングから撤退し(笑)、2009年の4月末からは基本的に週末更新という形で少し長めの記事を書いてきました。ただ、不思議なもので、毎日のアクセス数自体は、毎日ブログを書いてランキングトップを続けていた時よりも逆に高くなって今日まで至っています。これも皆様が、長ったらしい文章を何度かに分けて読んでいただけたためと考えております(笑)。


アメブロランキング



ちなみにこのブログでおそらくオールタイムで最もアクセス数の高かったページは、[龍安寺石庭の15個の石、本当は一度に見れます] であると思われます。


龍安寺石庭


以前は、龍安寺石庭に行くと、「どこから見ても15個の石が一度に見られない」という俗説を1分に1回くらい耳にはさんでいましたが(笑)、この記事を書いてからは「このあたりから見れば全部見えるんだって」という話も耳にはさむようになり、最近ではむしろその話の方がメジャーになっています(笑)。


さて、このブログにつきましては、この記事をもって通常の更新を終了させていただきます。皆様の豊かな心の片隅にこのブログのことをホンのちょっとだけご記憶いただければ嬉しいです。


なお、そのうち少し落ち着きましたら、新たなブログを一から立ち上げたいと思っています。ちなみに、このブログの記事自体は今後もそのまま残しておき、私がまた京都を訪れた時などに特別記事を書いたり、新たなブログを立ち上げた時などの紹介に使いたいと思っていますので、ぜひ皆様もたまに覗いてみてくださいね(笑)。


最後に、私が3月31日の日没時に観た祇園の桜のスナップ写真を掲載したいと思います。


祇園の桜


この日は今年の桜シーズンには珍しく、とってもよく晴れていました。実は桜のシーズンの晴れた日の日没時(18時30分ころ)に祇園白川や高瀬川のライトアップに行くと、めちゃくちゃ美しい青色の空を愉しむことができます。この日もまさにそういう日でした。


祇園の桜


円山公園の祇園枝垂桜ともなかなか会えなくなります。

いつまでも美しい姿を魅せていただきたいところです。


祇園の桜


以下、最後の最後の言葉です。


10年の長きにわたりこのブログを続けてきましたが、

その間に訪れていただきました皆様、

コメントをいただきました皆様、

ペタや「いいね」で励ましていただきました皆様に

ここに深く感謝させていただくとともに

皆様のご多幸を心よりお祈りいたします。

ホントに皆さんあってのこのブログでした。


おおきにありがとうございました!

Live Long and Prosper !