その回のワークショップは、遠鉄のカルチャーセンターではなく、浜松の駅から少し離れた場所で開催された。
私とIさんは、駅からタクシーで会場に向かった。
今回の私のスケジュールは、一日目が夕方から一クラス、二日目が昼と夕方の二クラス。
私が浜松に到着したのは、二時をまわった頃だった。
タクシーに乗り込み、会場に向かう。
途中、私は突然に吐き気を催した。
私は乗り物酔いはしないし、その日の体調が悪かった訳でもない。
『なんだ?こんな事初めてだ…。』
なんとも言えない気分の悪さに、私は窓を開け、そして何故か、腕時計を見たのである。
『14:47…。』
Iさんは怪訝な顔で私を見ると
『どうかした?大丈夫?顔色悪いよ?』
と心配そうに聞いて来た。
『大丈夫。なんでもないよ。』
タクシーが会場に着く頃には、吐き気も治まったが、私は何やら解せない思いで、妙な不安に駆られた。
『何でもないさ。』
私は自分にそう言い聞かせると、会場に入った。
その回のワークショップも盛況で、沢山の人が集まってくれた。
毎回、全てのスケジュールを終えた後は、ワークショップに参加してくれた生徒さん達と食事に出掛ける。
こうしたコミュニケーションは、疲れた身体を癒してくれる楽しい時間だった。
しかし、今回は初日のクラス終了後に、遠鉄のスタッフの方々と食事をする予定になっていた。
遠鉄のお偉いさんのお誘い…
いわゆる、接待と言う奴である。
まぁ…接待と言う物はいつでも何処でも、想像通りの物であり、さして面白い物ではないが、断れない物でもある。
昼間の吐き気は、あれ以来起こらなかったので、私はその事をすっかり忘れていた。
宴も闌(たけなわ)…
時刻は9時を回っていた。
食事が終わった私達のテーブルに、店の人がやって来た。
店の人は私に
『ご宿泊のホテルから、緊急のお電話が入っております。』
と告げた。
私がホテルからの電話に出ると
『ご家族の方から、至急連絡する様にとの事で御座います。』
と言われた。
当時はまだ、携帯電話が普及しておらず、現在の様に何処に居ても本人に連絡出来る、と言う時代ではなかった為、私は取り急ぎIさんとホテルに戻った。
フロントで、父が倒れた事を知った。
私は部屋に戻ったのだが、そこには留守中にフロントから届いた大量のメッセージがあった。
事の重大さが窺えた。
電話を取り、フロントで教えられた番号にかける…。
病院であった。
家族に取り次いでくれた。
受話器の向こうに母が出る。
『すぐに帰ってらっしゃい!お父さんが倒れたのよ!』
私は、即座には声が出ず、喉の奥に何か、固い物が詰まった様な息苦しさを覚えた。
『な…なんで?いつ?』
『今日、2時半過ぎよ!心筋梗塞を起こしたの。』
私が吐き気を催したあの時間…
父は倒れたのだった。
《続く》