『慣れ』は禁物!! | 鬼ですけど…それが何か?

鬼ですけど…それが何か?

振付師KAZUMI-BOYのブログ


ダンスのクラスにおいて・・・

『見る!』と言う事は『探す!』『探る!』と言う事だ。

違いを探す。

正解の形を探す。

魅力の秘密を探る・・・etc.

スタジオの大きな鏡の中には『見なければならないもの』だらけ。

やり慣れたエクササイズの中、昨日より今日、今日より明日・・・と言う風に、進歩の違いを見つけなければならない。

昨日より進歩させる『今日』にする為には、昨日の自分をしっかりと見定めておかなければならないし、今日の自分を見ていなければ、明日の自分に『進歩』は無い。

エクササイズの順番も注意点も、全て解っているから、鏡を見る必要がない!と言うなら・・・








ヘタクソになって行くだけである。

進歩を諦めた・・・としか言い様がない。

やり慣れたエクササイズだからこそ、順番も注意点も熟知しているエクササイズだからこそ、昨日と今日を比べる事が出来るのだ。

『今日もいつも通り、昨日と同じ様にちゃんとやってる!』

こう思うならば、既に『進歩は望んでいない!』と言い切ったも同然だ。

昨日の自分と今日の自分の中に、違いを探そうとしていない・・・と言う事になるし、昨日より今日!と言う意志がない事になる。


耳にタコが出来るくらいに、毎回聞いているエクササイズの説明は、時に退屈だろう。

しかし、解っている事こそ、自分に言い聞かせ続け、戒めて、今日の自分を昨日より進歩させるのがエクササイズのひとつの意義だ。

この戒めがなければ、その日も『慣れ』で終わり、ただルーティーンを辿っただけに終わる。

そこに『進歩』など現れる筈はない。

『慣れ』は『油断』だ。

油断すれば『見落とし』『聞き逃す』事になる。


『見落とし』そして『探し損ねた』と言う事だ。


クロス ザ フロアやターン コンビネーションにしても同じ事。

昨日受けた注意があるならば、戒めてかからねば『進歩』には繋がらない。

振付にしても同じだ。

『そんな当たり前の事は、とっくに解っている!』

・・・そう言う連中ほど・・・

『見ない』し『探さない』のだ。


『慣れ』は怖い。

『慣れ』に知らず知らずに頼っている事に気づかないでいると、非常に危険。


同じ事を繰り返し、繰り返し学ぶ事に飽きたり、同じ注意を受けても、『慣れ』でやり過ごす様であれば・・・

何の為にレッスンするのか?

根本の軸が狂っている・・・と言わざるを得ない。

最近・・・

私が与える注意に対し、不機嫌な表情をする生徒がいた。

これは最早、問題外である。

自分の上達を促す注意に、明らかなる『負』のイメージを浮かべた顔から発せられるものは・・・

『だって出来ないんだもん!』と言う、先生への甘えや、いつまでも出来ない自分自身への苛立ちだろう。


気持ちは解らなくはないが、そうした『甘え』や『苛立ち』は、先生に対して向けるものであってはならない。


『私は別に、ダンサーになる為に来てる訳じゃないから!』と言うエクスキューズが頭に浮かんだり・・・

『だって、BOY先生は同じ注意しか与えてくれない!』と言う不満が先に立ったり・・・

或いはまた・・・

『判ってる。どうせ出来てないです!!』と言う開き直りが噴出するなら・・・














私のクラスには不向きだ。



キツイ言葉を使わず、同じ失敗を、優しく何度でも正してくれ、更に・・・

『今日もよく頑張ったね!』と・・・










ニコニコと頭を撫でて下さる先生のクラスを受講すべきだ。



私は、私が与えた注意喚起を、不機嫌な表情で対応する生徒に対して、笑顔を作れるタイプの人間ではないし、それを自分のクラスに望んではいない。

上手いとか、下手とか、そんな事は二の次。

学ぶ姿勢が崩れない生徒に来て欲しい。

幾度も名前を呼びながら、声を張り、注意を与える私に対し、そっぽを向き、目を反らす・・・


その様な態度を取られれば、こちらも教える意欲は、一気に失せる。


『先生、さっきはスミマセン!イライラしてしまって、つい・・・』と・・・

直ぐに謝れればまだしも・・・


なんの言葉も無ければ・・・


こちらも流石に『もういいや( ̄▽ ̄;) 何も言わね!』と、ならざるを得まい?


忘れないで頂きたいが・・・










私は『鬼』だ。

私が『鬼の面』を外すのは、入門クラスのみ‼️である。

初級クラスからは・・・

『上手くなりたい!』と、そう願う生徒が集まっている事を前提に取り組んで来たし、今も昔も、その姿勢に変わりはない。


『ただ楽しく踊りたいだけ!』と言う諸君は是非、入門クラスに来たまへ‼️