マウナケアとTMT ハワイアン側の視点で考えてみた | 「ハレ ロミロミ オ ケカイマリノ」オーナーブログ  Nohona Hawai'i ーハワイ島暮らしー

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ハワイ島で「ハワイアンから見たハワイ」をシェアするプログラムThe Roots Of Aloha やロミロミのスクール&クリニック「ハレ ロミロミ オ ケカイマリノ」のオーナーをしています。そんな私のハワイでの生活、Nohona Hawai'i。

ひき続き、マウナケアとTMTのお話し。

 

 

一個前のブログをあげたあとも「TMT推進室」でググったら思いのほかいろいろ出て来ました。

少し前のものではあるけどTMT推進室の方の講演の様子だったり、インタビューだったり。

で感じたのは、ハワイでなぜ反対運動が起こっているか、その「なぜ」の部分はきっと推進室のだれも本気で知ろうとしていない、同じ立場で考えていない。

反対を「どう」回避するか、は考えていても。

(だから景観に配慮して見えにくい場所につくります、とか的外れなことを言い出す。)

 

でも知らないということは、知れば変わるかも、と少しだけ期待もできます。

なので、今回はハワイ側サイドの視点のお話です。

 

 

 

いうまでもなく、私はTMTマウナケアに作らなくて無くていいじゃん派です。

ハワイ島に住んで20年ちかく、今の我が家はマウナケアの裾野にあり、裏庭にはマウナケアの源流の川も流れています。

なので、マウナケアに住んでいるともいえます。

 

ただ、私はハワイアンじゃないし、ハワイアンの気持ちやアメリカの1州であるハワイでハワイアンとして生きていくとはどういうことかのすべてわかっているとはとてもとても思えない。

謙遜ではなくて、本気でそう思ってます。

 

内側の人間であるハワイアンが語る言葉にはマナがあり、それは彼らだからこそのこと。

でも外からハワイをみられる私だからこそ、私の理解してる範囲でのハワイアンの考え、価値観を客観的に日本人に伝えられるかも、と思い、難しいけど言葉にしてみます。

 

 

 

 

今回のプロテクト運動(ハワイでは今回の運動をプロテスト=抗議ではなく山を守るためのプロテクトと捉えています。)をしている人たちが何度も口にするのはマウナケアは sacred place=聖地 sacred mountain=聖山だということ。

 

私たちの国日本にも富士山があるので、日本人もハワイの方も「富士山に他国が天文台を建てることを想像して」と言いいます。

私も過去、その表現を使ったことがあります。

 

でもなんか少し違うなあと思うのです。

現代日本人の多くがとらえる「聖地」とハワイアンがいう「聖地」。

日本人のいう神聖とハワイアンのsacred。

日本人のスピリチュアルとハワイアンのspiritual。

とっくに土地から切り離されている現代日本人がみる富士山と、ハワイアンの目に見えているマウナケア。

 

 

マウナケアは、Mauna kea=白い山と訳されますが、本当の名前はMauna a Wākeaと言われています。

ワーケアの山。

ワーケアはハワイの創世神の一人で、タロイモや最初の人間(ハワイアン)の父でもあります。

だから神聖。

それも確かにそうなんだと思います。

日本のTMT推進室のパンフレットにもこの神話は触れらていましたね。

 

ただ現代日本人にとって、創世神話の「神聖さ」といつもの日常、リンクしませんよね。

 

でもハワイアンにとって創世神話と現在はつながっているし、スピリチュアルはなにかを「すること doing」ではなくでもう彼らの「あり方 being」。

 

そんなハワイアンがまったく価値観の違う現代アメリカで生きること、それがどういうことなのか想像してみてはじめて彼らの蓄積されてきた悲しみや憤りが理解できると思うのです。

 

 

 

 

 

つい最近、「なぜロミロミはスピリチュアルなマッサージと呼ばれるのか」という記事を書いたのでそこからの引用です。

 

「昔々、まだ西洋化がはじまる前のハワイ。

島はアフプアアと呼ばれる区域に分割され、人々はその中で暮らしていました。

 

アフプアアは基本的には海から山までがひと区域。

(それはよくパイに例えられ、島がホールのパイならば、アフプアアはそのパイの一切れと言われます。)

すごいところは、一つのアフプアアの中だけで生活が完結するところ。

超ーーーサステイナブルな暮らし。

 

「アフプアア」 by イアヌアリ画伯

 

 

海から魚やオピヒなどの貝、海藻を採り、

里ではタロイモやサツマイモ、バナナやサトウキビなどを栽培し、

山では薬草や住居や道具の材料となる植物が育ち、

アフプアアの中だけで衣食住のすべての材料を賄うことができました。

 

さあ、ここで想像してみて。

自分も、自分の親も、その親も、そのまた親もそこの土地で生まれ、そこの土地のものだけを食べ、そこの土地の水だけを飲み、そこで死んでいく暮らしを。

食べ物だけではなく、身につけるもの(カパ)、暮らす家、乗り物(カヌー)、道具、薬草、そのすべてがそのアフプアア産の材料を使ってアフプアアに住む人々の手で採取され加工されたもの。

 

 

 

"You are what you eat. "

「あなたが食べたものがあなたである」

 

そんな言い方があるけれど、それをあてはめるならそこに暮らす人々はアフプアアそのもの。

ひとりの「人間」はそこでは独立した生命体というよりも、アフプアアという有機体の、その細胞の一つのようなものに近かった思うのです。

 

そんな人間たちがもつその土地との繋がりや自然界への洞察力、コミュニケーションする力は、きっと現代人とはまったく違うレベルだったはずだし、そういう世界では今スピリチュアルと呼ばれている存在、アクア(ひらたく言うと神)やアウマクア(ひらたく言うと祖先神)も当たり前に認識され共生していたことでしょう。

 

今でも、クムとよばれる人々や何かの技に秀でたハワイアンたちは自然界や神とのコミュニケーションを当たり前にとっています。そういった人がチャントを唱えると鳥や虹、風などがまるで呼応するように現れたり消えたりする様を見たことがある方もきっと少なくないと思います。

すっかり現代生活をしているハワイアンですらこうなのですから、どっぷりアフプアアで暮らしていたハワイアンは言わずもがな。

自然界とアクアの境界線などなく、植物や自然現象は神のたくさんの姿形(キノラウ)のひとつでありマナがあるというハワイアンの考え方もアフプアアの暮らしを考えるとすんなりと理解できるのではないかな。」

 

 

この記事では触れていませんが、マウナケアのような高山の上のほうはまさにwao akua 神の領域と言われ、たやすく行けるような場所ではありませんでした。

 

日常的に暮らす土地だって聖地であり、その土地や自然と繋がり、スピリットと繋がっていた「スピリチュアル」なハワイアンの、日常を超えたレベルの神聖さを持っていたのがマウナケア。

 

 

 

 

 

さて、ここでもう一つ知っておくべきが、こうして土地と自然とスピリチュアルな存在とつながって共存していたハワイアンのその後の歴史。

 

 

アフプアアというシステムはポリネシア人がハワイに移り住んできたあと(諸説ありますが300BC以降、何波かにわかれてやってきています)長年かけて育まれた生活様式です。

 

そこには土地所有という概念はなく、マカアーイナナ(”土地の目”という意味)と呼ばれる一般ピーポーはコノヒキというマネージャーのもとアリイ(酋長のようなかんじ)から与えられた土地をケア(mālama)し年貢(作物だったり、タパだったりその人の役割で)を収めることでそこに住むことができました。

アリイは神の子孫であり、彼らにとっても土地は売買できる「不動産」の感覚ではありませんでした。

 

そして1778年キャプテンクック到来、ハワイは激動の時代を迎えます。

1795年カメハメハ大王がカウアイを除くハワイ諸島を統一し、西洋化が進んでいきます。

1819年に年カメハメハ逝去後にはハワイの伝統的なカプシステムも廃止、宣教師も到来し、ハワイの文化や宗教は抑圧されていきます。

 

そして1848年、ついにグレートマーヘレという土地の再分配が行われました。要は土地の所有化。

4分の1はクラウンランドと呼ばれる王族(カメハメハ3世とその家族)の土地、

その残りの半分はコノヒキランドとよばれ245人のアリイやコノヒキ、半分は政府へと土地が分けられました。

 

1850年、マカアーイナナも所定の手続きを行えば、その時点で住んでいる土地を所有することができるようになりました。

ただ、「土地を所有する」という概念もピンと来てなかったうえに書類にサインをと言われてもハワイ語がアルファベットで表記されるようになったのはほんの20数年前の1826年。

手続きを行わない者も、行えない者も多かったようです。

結局、マカアーイナナが所有することのできた土地は、トータルでハワイ全土の1%以下とも。

ハワイアンたちは祖先代々つないできたライフタイルからも土地からも切り離されてしまったのです。

 

 

ちなみにこのグレートマヘレで躍進したのが、西洋のビジネスマンたち。資本主義の台頭です。

売買できるようになった土地を買いあさり、実現したのがサトウキビプランテーション。

そこで足りない労働力を補うために移民として入れられたのが日本人、というわけです。

 

 

その後、1893年リリウオカラニを最後の女王としてハワイ王国は転覆し、ハワイは共和国になり、アメリカに併合され、州になり、それにともないクラウンランドや政府の土地もアメリカに譲渡(ceaded)されたりハワイ州に譲渡されたり、それがまた売買されたりと複雑な変遷をたどります。

 

この辺は煩雑すぎるので、省略するとしますが、この土地の扱い方についてはハワイアンとアメリカ&ハワイ政府の間でこれまでもたくさんの軋轢を生んできました。

古いところでは米軍の演習場となっていたカホオラべ島。

ヒロ空港も建設時には反対運動が起こったそうです。

 

そもそものハワイ王朝を転覆したのが違法行為だったこと、また土地のアメリカへの譲渡も合意を得られたものではなかったということはクリントン大統領だったときにアメリカも認めています。

にもかかわらず、現状もハワイアンの望まない土地の使われ方(例えば米軍施設など)は変わっていませんし、多くのハワイアンがハワイアンホームランドの家に住める権利を待っています。

 

そして今回問題となっているマウナケアはもともとはクラウンランド、王族のものとされた土地でした。

その後、アメリカ、ハワイに譲渡され、現在はハワイ大学がハワイ州から借りている形になっています。

ただし、年間借地料なんと$1!!

 

そしてハワイ大学はさらに他の天文台に土地を貸し、借地代ではなくその天文台の利用権を得るかたちを報酬としています。

(もしハワイ州が各天文台からきちんと借地料をとれば、州の収入になる、というのも州民の不満点のひとつのよう)

 

 

自分たちの王国が違法に滅ぼされ、分割され、国や州のものとなり、切り売りされ、ホテルが立ち並び、土地代は高騰、買っているのは白人や日系人、外国人。

ヴァオアクアとして簡単に立ち入れるような場所ではなかったマウナケアには道ができ、天文台が乱立し、かといって金銭的なメリットもない。

そこにさらに30メートル級の天文台を建てるという。

 

"Enough is enough" もううんざり!これ以上私たちの土地を荒らさないで!と叫びたくなる気持ちもわかります。

 

 

マカアーナーナ(”土地の目”、平民)でありカマアーイナ(”土地の子”)であったハワイアンたちが祖先代々つないできたライフタイルからも土地からも切り離された痛み。

 

ふだんはそこは見ないようにしてわりきって現代のライフスタイルに適応しているハワイアンもたくさんいます。

ぶっちゃけ、すっかりアメリカナイズされたライフスタイルを疑いなく送っているハワイアンも、努力せず文句だけ言ってるハワイアンもいます。人間だもの 笑。

でも今回、仲間のハワイアンの訴えをきいて、自分たちのルーツ、生き方に思いを馳せたハワイアンもたくさんいると思います。

 

 

今日もマウナケアのプロテクト活動をしているリーダーが言っていました。

This is our home.

TMTにはプランBがあるけど、僕たちにはここしかない、と。

 

 

彼らの目から見えるのと同じマウナケアが、日本のTMT推進室の方の目からも見えるといいな、と思います。