新政府、に幕府が降伏15代将軍豚一も、あっさり降伏、水戸に自分で籠る。豚一は、江戸に帰って来てそうそう、会津藩を江戸に入れなかった。容保も江戸に入れず仕方なく会津に帰って新政府軍と徹底攻勢することになる。新政府軍すぐ様会津を朝敵に指名、もともと薩長に会津を助けるきなどないのだ、会津は、薩長の佐幕派掃討のそうしあげの標的にされたのだ。それでも会津は、最後まで諦めずに、戦い抜いたのだ。私はこの責任を豚一の責任が重いと考える。そもそも豚一が江戸に会津藩を引き入れて、降伏するにしろ説得するのが筋、降伏するなら、容保を連れておこなうのが筋、だと思います。そうしてれば、東北の悲劇はなかったと深く思います。豚一の責任放棄が東北戦争を引き起こしたでしょう。