記念すべき第一回は、前漢第9代皇帝、宣帝を紹介します。宣帝は、あの有名な漢の武帝の曾孫に当たります。宣帝の祖父劉拠は、武帝嫡男で皇太子でしたが、武帝の侫臣江充が劉拠との遺恨があり、武帝に、皇太子が呪詛をしていると弾劾して武帝との仲を引きさきました。証拠が見つかり、武帝は、劉拠を廃太子になり、呪詛の罪に当たり、劉拠の母で、武帝の皇后衛子夫や、劉拠息子、孫と皆殺しになります。劉拠の息子劉進も皆殺しの憂き目にあうのですが、宣帝の兄姉が処刑されるなか、宣帝は、呪詛の獄の時生後何ヵ月かで、母は、殺されましたが、宣帝、当時取り調べをしていた。丙吉に保護され、乳母に育ててもらいながら生きていることを隠して生活をしていました。そんな宣帝に好機が訪れずます。武帝死後、当然江充は始末されるのですが、武帝の息子、昭帝は、後継者を残さず死亡してしまい、後継者問題が発展します。劉賀が指名されます。劉賀は、皇帝になりますが素行が悪く、当時の宰相霍光や丙吉に廃されました。後継がいなくなり、困っていたところ、丙吉が宣帝が生きていることを霍光に伝え宣帝が擁立されます。宣帝は青年時代を庶民として、生き、張賀と言う人物に、学問を学んぶために、学費を出してもらいながら生活をしてました。即位した宣帝は、霍光死後、霍一族の専制を取り除き、自己の権力を固めて行きました。宣帝のの特筆すべき所は、当時前漢時代は、儒教国教にしていましたが、宣帝は、それを嫌い、法治主義者でした。皆さんは、法治主義者と言えば、曹操が有名で、その前の時代と言えば、秦の始皇帝ぐらいと思っておられるとも思いますが、前漢時代にもいたんですなね。こんな逸話があります。ある儒者が宣帝に配膳の時肉料理の配置を古法に戻して欲しいと言います。そうすると宣帝は、その儒者に、昔の人は、料理を手ずかみで食べていたが、それに戻せと言う事か、と言ったそうです。笑えますね。宣帝時代は、比較的安定したそうです。また自分を助けてくれた丙吉も恩に報いていて、丙吉は、丞相にまで昇進します。また、丙吉も有能で、宣帝の治世を補佐します。宣帝の治世は中興の祖と言われました。前漢と言えば、劉邦や武帝劉徹が有名ですがその中でこう言う有能な皇帝いたんですね。以上、長文になりましたが紹介を終わります。