北海道上陸後、最初の城として五稜郭に来ました。幕臣達の最後の戦争として、また、蝦夷の地に徳川共和国の建設の為に旧幕臣達が奮闘しましたが、近代兵器と圧倒的な軍の数を誇った薩長新政府軍に負けました。薩長新政府は、新しい時代を向かえて外国の様な近代化をと言う名目で戦っていますが、元々は、薩長の連中が攘夷と叫んで外国を打てといってたのに、外国の脅威を知るやいとも速くに方針転換をしてしまうのがどうなのかと疑問に思います。長州の有名な尊皇攘夷論者吉田松陰は、幕府の外国に対する政策が無策で、立ち向かえないと言うてましたが本当に無策なのは、薩長ではないのかと思います。元々幕府は、開国の方針を取っており、幕臣達の中には、近代の軍事、医療、思想など様々な物に取り組んだ人がたくさんいました。この五稜郭の戦いにもその様な人がたくさん幕臣型として、戦っております。榎本武揚は、有名ですが、陸軍奉行だった大鳥圭介と言う男は、大坂の適塾で緒方洪庵から蘭学を学び、中浜万次郎から英語を学び、幕府でフランス軍事顧問から、直接に指導を受けた伝習隊の隊長をしていた人物で、近代フランス軍の基礎で勉強していた人物です。病院長だった高松凌雲は、オランダ医学を学び、緒方洪庵の適塾にもおり、幕府では、将軍の奥医師を務めていました。その後フランスに留学、留学中に民間病院の在り方などの洗礼を受け、箱館戦争では、敵味方からりょうみん達関係なく診察してました。これは、日本史史上初めての赤十字活動で、赤十字の先駆者と言うわれています。またこの変わった近代的城五稜郭を設計した武田斐三郎は、緒方洪庵、佐久間象山から洋学を学び。幕府の船の亀田丸で一週した男で、箱館奉行所に詰めていたころに設計を学んだそうです。このようにこれほどの人物がそろっていながら幕府は、近代化に遅れていたのは、嘘になります。あの新撰組で有名な土方歳三でも、幕府滅亡後は、近代化に取り組んでいて、軍の在り方などを勉強したと言います。一方、新政府軍は、箱館戦争終結後、近代化に遅れており、新政府の中心人物だった西郷隆盛が西南戦争引き起こすと言う事態です。この戦いは、ただ単に近代兵器だけを持っていた。薩長新政府軍と、近代学問を学んだ旧幕臣の戦いで、たまたま武器を持っていた新政府軍勝利したと言う感じでは、ないかと、五稜郭を散策中に考えてました。