PC文化が発達した現在

文章も、絵も、画像編集も、自宅のPCで手軽に出来るようになりました。

我々作曲家も譜面も、当然ながらほとんどの人はPCで譜面制作を

するようになりました。

 

余計な手間が省け、コピペが簡単に出来て、パート譜の制作、

綺麗でしかも読みやすく、保管も場所を取らない。

良い事ばかりです。

 

しかし、私は未だに全ての作曲を『手書き』で行っています。

PCオンチではありません。

現に30年前から、自作のPCソフトで楽曲の打ち込みを初めており

『摩訶不思議アドベンチャー』など、共同で打ち込み制作をしていました。

 

では、なぜ便利だらけのPC譜面を使わないのか?

 

それは、『作家の思い、熱さが伝わらない、と思っているから』

思っている、と言うのは私の感覚なので違う意見を否定するものではありません。

 

『筆圧』って良く言いますよね。

 

過去の自分の書いた譜面を読んでみると、この『筆圧』が異常に強い事が

良くあります。

きっとその部分は、伝えたい思いが半端なく大きくて、そうなったんだろう

と、良くわかります。

 

実際その部分の演奏も、演奏者さん達に思いが伝わったようで

本当に熱く、良い演奏になっていました。

 

『言霊』って言葉があるように音符にもその一つ一つに『音霊』があり、

音符の後ろに潜む作家の思いや意図が、PC譜面では発動しないような気がします。

 

 

私が中学生の頃、何かの展示会で

ワーグナーの『トリスタンとイゾルデの前奏曲』の手書き総譜を見たときに

心の底から感動しました。

一枚の絵画のように広がる譜面から感じる『音霊』に

打ちのめされた感覚でした。

 

同じように7〜8年前にフィンランドでシベリウスの交響曲第二番の1楽章の

冒頭のあの有名な和音の連続の読んだ時

その前に消されていた最初の楽想も微かに読めました。

『最初、シベリウスはこんな和音で始めようとしてたんだ』

と、深く感動し、その微かに読める音符を書き写して来ました。

 

このように『手書き総譜』は、音楽を演奏するためのただの一つの便利ツール

だけではなくて、

作家の全てを伝える『過去からのメッセージ』だと思っています。

 

私が、過去の巨人達の足元にも及ばない事は理解した上で

自分も、過去の自分に負けないように過去の譜面から受けるメッセージを

深く理解して、

明日からもせっせと、手間と時間のかかる『手書き』を続けて行きたい

思っています。

 

何せ『過去の自分が一番のライバル』なんですから。