本日、去年惜しくも亡くなってしまった同期の作曲家『西村朗』の

追悼演奏会でした。

私と違い、藝大時代から天才振りを発揮し、内外で数々の作曲賞を受賞して来た

日本を代表する現代音楽作曲家でした。

 

その作品は『濃く』て『深い』。

私も彼のそのポリシーに、ジャンルは違えどかなり影響を受けています。

『切ったら血が出るような曲』

お互い、そんな曲を目指して作曲して来たような気がします。

 

彼とは、藝大受験前の高校からの友達で、出身地が大阪で共通していたので

先生も同じ、受験時期も同じでした。

 

高校3年の時には、週末に大阪から始発の新幹線の自由席に一緒に乗って

東京で作曲の池内友次郎先生、作曲理論の永富正之先生、ピアノの金澤桂子先生と3軒回り

最終の新幹線で大阪に帰る、と言う生活を約4ヶ月続けました。

 

親の負担も半端無かったと思います。(親に感謝)

 

そして、現役の藝大受験は私が2次で落ち、彼が最終の4次で落ちて

ここも同じに浪人生活。

 

よく一緒にご飯、食べて語り合ったものでした。

 

そして翌年。

めでたく2人とも合格。

抱き合って喜んだものでした。

 

その際の成績は私が2番で、彼は7番だったと思います。

ただ、卒業時の成績は、私がビリから2番で、彼は主席卒業でした。

 

芸大時代は、恩師の佐藤眞さんと授業をサボって、朝から晩まで飲んでました。

勉強はほとんどしなかったなぁ。

 

ただ、彼は在学中に日本作曲コンクールも優勝して、エリート街道一直線。

私は、劣等生。

 

卒業後は、お互い別々の道を目指し、彼はアカデミックで私は商業音楽という、真反対に。

 

で、結局!最後まで彼には勝てなかったなぁ。

 

もう少し、生きていてくれたら、少しは私の事を見直してくれたかも。

でも、それも儚い夢。

 

彼の分まで生きよう、と思っても、彼のようには生きられない。

 

そうか?

『もう君はいないんだね』って、しみじみ思います。

もう一度語り合って、もう一度飲みたいもんだね!