babyを亡くしたママのブログ

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09年8月3日息子は天使になりました。

病名は・・先天性心疾患『総肺静脈環流異常症』2ヶ月と17日一緒に生きた幸せを大切にして前を向いて明るく笑顔で生きていきます。1人でも多くの方に勇気&元気をプレゼント出来るようにブログをスタート♪

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あれから9年
明日、8月3日は賢人の祥月命日。
あっという間の9年。

先月、レナは、8歳。隼人は5歳を迎えることが出来た。
今月、私は30歳代が終わり、40歳代のスタート。
この10年はドラマのように過ぎ去った。
母になり、賢人との別れを経験した。

そして30歳代終わりである2018年2月。
生まれて初めて手術を経験した。まさか私が手術を経験するとは。。
手術をしなければならない状況だと判明した日は、病院を出て表参道で泣いた。
亡くなった賢人を抱っこし、車内から見た表参道。数年後、同じ場所で泣いている自分がいた。

とにかく人生における不幸のフルコースを経験させて頂き、もう笑うしかない。自分の運命を受け入れて向き合う。

喉に大きく手術痕が出来た。闘った勲章である。

それでも私は相変わらずよく話し、術後1週間で職場復帰した。まるで手術したことが嘘のように働いている。あれから、体調を崩すこともなく今に至る。

祖母94歳含めて、家族みんな相変わらず元気に過ごしている。
これから先もずっと家族の幸せは、私が必ず守る。

生きているこの瞬間に感謝したい。
不幸を不幸だと思うと、人生悲しいだけ。
私の人生、賢人の死以外不幸なんて一つも無くて、これは何か大きな幸せを手に入れる前に、色々試されているのだと私は思っている。
私、失敗はするけど負けませんから!

賢人の人生を生きているわけだから、悲しみも苦しみも二倍受け入れる。
同じように幸せ、喜びも二倍なのだ。

ブログを書く機会も減ったが、
これからも大切にしたい。
ここには賢人と私達家族の歴史が記されている。
たくさんの方々と繋がることが出来た。
それぞれの人生が健康と幸せで包まれているように祈りたい。

賢人が観た唯一の映画
崖の上のポニョのサブタイトルは、
生まれてきて良かった

これに気付いたのは最近。
賢人のメッセージだと理解した。

私も生まれてきて本当に良かった。
だから人生を一生懸命生きようと思う。

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あと10分で8月3日を迎える。

今年もまた、平日の育児を任せている母への感謝と子供達の誕生日祝いを兼ねての22日から沖縄旅行へ出発。リッツカールトン沖縄で過ごした。母にリラックスして欲しかったので、昨年同様にプレミアムエクスペリエンスをチョイス。
ホテルからのサプライズやプレゼントに感謝。
先週帰宅した。

しかし、今年は賢人のアピールが無かった。
ここ最近、賢人の存在をはっきり感じるシーンが減った気がする。認めたく無いが、そばにいないのでは無いか?と嫌な予感がよぎる。
涙が出る。
そんな気持ちを知ってか?知らずか、
『だから!何度も言ってるけど私が賢人なのよ!信じてよ!』と言う7歳になった麗夏。
麗夏に賢人の生まれ変わりであって欲しいとは思っていない。それを背負って生きて欲しくない。
彼女には彼女の人生がある。

賢人の魂は麗夏として生まれ変わり生き続けているのか?
8年を経て、新たな人生のため、別のママを見つけて生まれ変わったのか?
書くだけで泣けてしまうが。。
やっぱりどこにも行って欲しく無い。
私の息子であって欲しい。

やはり祥月命日は、
心があの日に引き戻されるのだ。
目の前でピーッという鈍い音が響く真夜中のICU。親なのに我が子の命を救えなかった無念。
賢人の人生も受け取り必ず生き抜くと、誓ったあの日から8年経過した。
30歳だった私は、38歳に。
賢人は8歳に。
この8年、私達家族は、一生懸命生きてきた。
人一倍喜び、人一倍不安を感じ日々生きている。
いつか別れの日がやってくる。
だからこそ日々大切にしたい。
8月3日、賢人祥月命日の明日も相変わらず一生懸命働く。仕事に行く。

時々、私の運転に限って誰も乗っていない助手席のシートベルト未使用サインが鳴り響く。
その度に、子供達が賢人だと言う。

賢人の存在を感じる頻度が減ったのは、感じようとするアンテナを敏感にしていないからなのか。
賢人のサインを見逃さないように、過ごしたい。

姿は見えないだけ。
それだけだ。見えるものだけが全てではないのだ。
8年前、賢人を亡くした時期の私が
ここ数日見え隠れする。
そんな表現が適切かも知れない。
小林麻央さんやご家族と重なる。

ブログの更新で、どこへ向かうのか自分でもコントロールしきれない感情をキープする。
大切な人を亡くした時、心の方向性を決める方法は人それぞれだ。
正解は無い。
心、身体を静かに休める。
それだけが正しい方法では無いと私は思う。
経験者として。
私の場合、心や身体を静かに休めると止めどなく溢れる感情や悔しさ、悲しみ、苦しみだけに支配されるだけだった。
出産直後の闘いからずっと休む暇無く突き進んだから、休息は必要だったのかも知れないが、私に休息は苦痛でしか無い。
そんな乗り越え方もある。
海老蔵さんに、頻繁なブログ更新を批判する必要は無いし、制止する権利は誰にも無い。

それは余計なお世話であり、余計なお節介。

優しさ、思いやりとは、静かに見守るだけである。必要な時に手を差し伸べる。それだけだ。

頻繁なブログ更新を制止出来る人がいるとするならば、ご主人の体調を心配する小林麻央さんだけである。


海老蔵さんの自由であり、あえて頻繁な更新を謝罪する必要も無いし、悲しみに向き合う人に余計なストレスを感じさせるとは。。改めて理解し難い。
匿名という武器に隠れ、誰かを批判する暇があるなら、自分に与えられたこの上無い人生という奇跡を必死に生きて欲しい。心から思う。
与えられたチャンス→生きる事をマイナスに使ったら勿体無い。

大切な人を亡くしたご家族は、現実に、もがき苦しみ、それでも亡くなった家族の命を引き受け、必死に生きようとするのだから。悲しみからどうにか這い上がろうと必死なのだ。

私はひたすら応援したい。
お会いしたことも無い、小林麻央さんご家族を応援なんてそれこそ余計なお世話であり、余計なお節介だが、どうしても応援したい。

賢人を亡くして8年の月日が流れても闘いも挑戦も終わらない。ずっとずっと続く。
かわいそうな人生でも、かわいそうな賢人でもない。
人生はいつか終わる。
人生が終わる悲しみより、生まれて出会えた幸せを大切にしたい。