あと10分で8月3日を迎える。
今年もまた、平日の育児を任せている母への感謝と子供達の誕生日祝いを兼ねての22日から沖縄旅行へ出発。リッツカールトン沖縄で過ごした。母にリラックスして欲しかったので、昨年同様にプレミアムエクスペリエンスをチョイス。
ホテルからのサプライズやプレゼントに感謝。
先週帰宅した。
しかし、今年は賢人のアピールが無かった。
ここ最近、賢人の存在をはっきり感じるシーンが減った気がする。認めたく無いが、そばにいないのでは無いか?と嫌な予感がよぎる。
涙が出る。
そんな気持ちを知ってか?知らずか、
『だから!何度も言ってるけど私が賢人なのよ!信じてよ!』と言う7歳になった麗夏。
麗夏に賢人の生まれ変わりであって欲しいとは思っていない。それを背負って生きて欲しくない。
彼女には彼女の人生がある。
賢人の魂は麗夏として生まれ変わり生き続けているのか?
8年を経て、新たな人生のため、別のママを見つけて生まれ変わったのか?
書くだけで泣けてしまうが。。
やっぱりどこにも行って欲しく無い。
私の息子であって欲しい。
やはり祥月命日は、
心があの日に引き戻されるのだ。
目の前でピーッという鈍い音が響く真夜中のICU。親なのに我が子の命を救えなかった無念。
賢人の人生も受け取り必ず生き抜くと、誓ったあの日から8年経過した。
30歳だった私は、38歳に。
賢人は8歳に。
この8年、私達家族は、一生懸命生きてきた。
人一倍喜び、人一倍不安を感じ日々生きている。
いつか別れの日がやってくる。
だからこそ日々大切にしたい。
8月3日、賢人祥月命日の明日も相変わらず一生懸命働く。仕事に行く。
時々、私の運転に限って誰も乗っていない助手席のシートベルト未使用サインが鳴り響く。
その度に、子供達が賢人だと言う。
賢人の存在を感じる頻度が減ったのは、感じようとするアンテナを敏感にしていないからなのか。
賢人のサインを見逃さないように、過ごしたい。
姿は見えないだけ。
それだけだ。見えるものだけが全てではないのだ。