ときは進まないけど疲れる。

中学校は東北の片田舎で、偏屈なルールがたくさんあった。当時の学年主任は見た目を着飾るのは中身のない弱い人間のすることだという持論で、芋々しかった当時のぼくも(今もかもしれないが)割とその思想に陶酔していた。思えばこのプロパガンダが後々のぼくの生活に多少の影を落としていたのだと、今では納得できる。

それはおよそ素行のよろしくない人々(今では敬意を込めてそう呼ぶ)を粛清して風紀を保つためのものなのだろうと、幼心に頭の片隅では思っていたかもしれないけど、でもやっぱり大人が一方的に縛り付けるのには彼らなりの反感もあって、あんまり抑止力として働いていなかったように思える。

彼らはきっとそんなところで足踏みしたくはなくて、いつも、整髪料をつけて登校したり、ジャージの腰ゴムを抜いたりして、必死の自己主張をしていた。どこの学校にもある景色なのかもしれないが、彼らのそういうロックな動きを抑え込むのに先生たちは三年間終始していたように思える。むしろ問題なのは、当時の僕が、自分はそういうことには興味のない中身のある人間なのだと勘違いして主義主張を見た目ですら表現する努力を怠り、彼らを冷めた目で見ていたことであって、今の自分にとってそれはとても皮肉だなあと思う。

上京して一年が経とうとしている。中身の無いぼくがこの一年でやってきたのは、不用意に酒を飲んだり、不真面目で怠惰に堕ちていくのを美化したりだとか、そういう実のないことだけだ。もう学年主任はいないというのに、自己主張するために必死に身売りばかりしてきた。誰かに言われたわけでもないのに、ずっと足踏みをしていた。先日の成人式で見たのは、当時の彼らが皆就職していて、自衛隊に入隊しただとか、美容師学校に通っているだとか、相変わらず必死に、しかもたくましく生きている姿だったわけで。

一方でぼくはまだ足踏みをしている。

劇団綺畸2015年度新人公演『水星劇場』
作・演出 岩崎雅高
3/19(土) 19:00
3/20(日) 14:00/19:00
於 駒場小空間
入場無料カンパ制